現代日本における過去との価値観相違

蓮見 悠都

現代日本における過去との価値観相違




「時代が移り行く限り、価値観は変貌するんですよ」


 目の前にいる彼が、まるで今日は暑いですねとでもいうような、自然な語り口で話し出した。そして本日は呆れるぐらいの晴天で、ここハチ公前で待ち合わせをする多くは、片手に小型扇風機を構えていた。


「価値観、ですか」

 

 僕はオウム返しをする。


「そうです。価値観です。何に良さを見出し、何をゴミ箱に投げ入れるのかは時代によって大きく変化するものです」


「そういうもんですか」


「ええ。そうです」


 自信ありげに、彼は頷く。


「そうですね。分かりやすい例でいえば、食用のマグロは昔と価値観が変わったことで良く知られています。とりわけ、脂の乗ったトロの部位ですね。江戸時代などは『下魚』とまでいわれ、破棄されてきたものでした。いまでは、信じられないですよね」


「何かそこにはワケがあるのでしょう?」


「ええ、当然です。まず、当時の技術ではマグロのような大きな魚の鮮度を保つことは不可能でした。冷凍の手段もそうですし、なにより素早く新鮮な魚を江戸まで届けることには、当時の交通網では何日も時間がかかってしまいました」


「なるほど。鮮度が落ちてマズくなってしまうと」

 

 彼は気持ちよさそうに、何度も頷いた。


「その通りです。さらなる理由としては、江戸っ子の舌にトロのような脂っぽい魚は合わなかった、ということもあります。一汁三菜が馴染んでる日本では、好まれなかったのも頷ける話でしょう」


 スクランブル交差点の方面から、どっと人の流れが押し寄せてくる。呼応するように、ハチ公前の気温も上昇した気がした。彼の額も、汗の雫が光を反射していた。


「そうですね……あとは、人殺しの価値観といった話もありますが」


「いきなり物騒な話ですね」


「まあ、そう気負わずに」と彼は唇に笑みを絶やさずにいう。「鎌倉時代といえば、イメージが付きますか? 源頼朝などが名前に上がりやすいですね。そうです、『侍』が世を席捲した時代です。ですが、いまの現代日本で親しまれている『サムライ』と実態は大きく異なっています」


「そうなんですか」僕は、頬に滴る汗をハンカチで拭った。


「ええ。彼らには信じられないような野蛮性・凶暴性を持っていました。 練習のために見知らぬ通行人を弓で射る、ゲーム感覚で当てるなどを習慣的に行っていたようです」


「それは……残酷ですね」


「弓には威力を抑えるガードのようなものを取り付けていたので、死には至らないようでしたが。まあそれでも、現代人からしたら通行人を狙うなんて気が狂った人間としか思えませんよね。『馬庭の末に生首絶やすな』とは、『男衾三郎絵詞』のなかに出てくる一文ですが、鎌倉武士たちの様相を一言でうまく説明できていると思います」


 カンカン照りのなかでも、彼の口は止まることがない。一方、僕の頭は働いてこなかった。僕の反応が鈍かったせいか、彼は少し考える表情になった。


「難しいですか」


「……まあ、普段思いも付かない話なんで」


「そうですよね。では、ここで私が実践して見せましょうか」


 すると彼は、僕の座っている場所から一歩後ろに下がり、あたりを見渡した。


「ここのハチ公前は、様々な人たちがいます。例えば、向こうから歩いてくる女性が見えるでしょう?」


 彼が指さした交番の方向から、一人の若い女性が歩いてくるのが見えた。薄いピンクのスーツを着ていて、オフィスに勤めるOLといったイメージが思い浮かべられた。


「例えば、あの女性を僕が殺したら、すぐに僕は捕まります。ですが」


 パチン、と大きく指を鳴らした。突然、僕は不思議な雰囲気に襲われた。風景はまったく変わっていないが、どこか世界が逆転したような感覚が身体に染み込んできた。


「僕はいま、人を殺しても良い世界に変化させました」


 すると彼は、ポケットからくるくるとナイフを取り出した。銀色に光る、キャンプで使うような小型のものだった。何も知らず歩いてくる女性に向かって彼は自然に近づき、そして胸のあたりにナイフを突き立てた。


 一瞬の早業だった。僕は口をあんぐり開けて、恐怖の声も上げれずにいた。女性は酷く歪んだ表情を見せたあと、白目を剥き、泡を吹いてその場に倒れ込んだ。赤い血が、地面に滴っていく。どうやら、絶命してしまったらしい。


「ご覧の通り、私は彼女を殺しました。しかし、周りをご覧なさい。みんな無関心で、いつも通りの光景だと思っています。スマホで撮られることもありません。こちらに目が入ってるはずの交番のお巡りさんも、一切動きません」 


 確かに、周りの人たちは何も反応を示さなかった。血の付いたナイフにも、倒れた女性にも。


 もう一度、彼は指をパチンと鳴らした。


 不思議な感覚が、身体をよぎる。見ると、彼が女性を刺す前のタイミングに世界が戻っていた。


「元の世界に戻りました。いま彼女を殺したら、当然のようにお巡りさんが寄ってくるでしょう。法律が適用され、僕は殺人罪で刑務所に収監されます。もちろん、僕は前科持ちにはなりたくないので」

 

 と、ポケットから手を出して、パーの形にした。今度は近くまで歩いてきた女性を、何もせずにただスルーした。キビキビとした歩き方で女性は駅のほうに消えていった。


「どうです? 分かっていただけました? これが価値観の変貌です。時と場合で価値観なんてものは、あっという間に変わってしまいます。数年前までは、危険だ危険だと取り出されていたものも、二、三年後には世界平和のシンボルとなりえる。そのような変化が起こるのが、この世界の仕組みなのですから。



 どうですか? ウチの宗教に入る気が起きましたか?」


 

 僕は腕を組んで、微妙な笑みをつくるほかなかった。




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