メロンジュース、進入禁止、マッシュルームカット。

不可逆性FIG

Melon juice, No entry, Mushroom cut.


 本日の感染者数は新たに300人が感染していると発表があり、早急な対策が必要であると――

 プチ。

 連日の報道で聞き飽きた言葉の羅列に僕は大あくびをひとつ。そして、そのままつまらないテレビのニュースを消すことにした。


 世の中は一度収束したと思われていた感染を未だに止められずにいる。幸いにも僕や、僕の周囲に感染した人はおらず、どこか対岸の火事に思えてしまっていた。そのせいでニュースの映像も娯楽に見えてしまうからよくない。

 なにせ、感染者は皆一様に髪型がマッシュルームカットになってしまうらしいのだ。プライバシー保護のため大手メディアでは感染者の様子は直接映されこそしないが、今はSNSがジャーナリズムの中心となっているため、プライバシーもクソもないのが現状である。余談だが、テレビでは顔にも頭髪にもモザイク処理されてしまうので、一部界隈では公然猥褻カットの再来とバズったこともあるようだ。


 そんな非常事態の中、我が国の有識者が突き止めたのは、どうやら音楽を媒介に感染が広がっていくとのことだった。かつてはエルヴィス・プレスリーがリーゼントを、ボブ・マーリーがドレッドヘアを感染させたように、日本では今マッシュルームカットが感染を広げているのである。

「ライブハウスの入場制限ならびに未成年者受け入れ禁止かぁ……」

 とりあえず音楽の流れる場所を進入禁止するという愚直なアイデアは、もちろん成功するはずもなくこうして感染は未だに止められずにいるのが現状だ。報道を受け、先駆けて自主規制を始めたテレビ局などのメディア企業。なんというか、BGMも無いまま粛々と切り替わる番組はなんとも味気ないものだ。だからこそ、今まで以上に僕はテレビから遠ざかっている。

 ――さて、と。僕は塾に行くために支度を始める。もちろん直行直帰である。一応、感染しないために。


 しかし運命のいたずらとは怖いもので、同じ塾に通っていた生徒がついに感染したと先生から授業の前に注意喚起のための報告があった。

 その子は密かに想いを寄せていた僕の……初恋の女の子だった。もちろん、その報告のあとに誰かから回ってきた彼女のリーク画像が僕のスマホにも届いてくる。画像の場所は病室だろうか、俯いた彼女の美しいサラサラの黒髪が、茶色に染まって見事なキノコヘアーになっていたのだった。僕はその姿に思わず涙し、慌てて目元を拭う。パンデミックであるという現実感がまさかこんな非情なかたちで襲いかかってくるとは夢にも思わない。気が付くと僕は潤んだ視界のまま塾を抜け出して、行き先もわからないまま何処かへ駆け出していた。


 こんな世界なんてもうどうでもいい! と、自暴自棄になって辿り着いたのは、すっかり人通りの寂しくなった街角のライブハウスの前だった。世の中から音楽が消え、静寂となった世界。他人のくしゃみひとつでさえ、大勢の殺意を集めてしまう世界となっている。

 その中でも音楽を絶やさないように、レジスタンス集団の中心地となっているのがライブハウスだ。僕は進入禁止の張り紙を横目に重たい扉を開ける……。

 地下への階段を降り、もう一枚の防音仕様の重たい扉をぐっと押して、部屋に一歩踏み入れると、僕の身体に振動と風圧がぶち当たったのを感じた。それは、ステージ横に配置されたバカデカいスピーカーからの音の圧だと一瞬気付かなかったほどに。

「いらっしゃい。ぼうや……大人じゃないわよね。悪い子ね、ここは禁止エリアでしょ?」

「あ、ごめんなさい。でも……」

「ふうん……まあ、いいケド。そう、いいのよ。ここは悩みを抱えた誰もが自由になれる場所だから。でも、飲酒はダメ。メロンジュースで雰囲気だけ味わっていきなさい」


 僕はメロンジュースを片手に後方の壁によりかかりながら、ステージ前列で熱狂しているキノコヘアーの集団を眺める。ギターを掻き鳴らしながら歌を歌っている派手な色したマッシュルームカットの人に極彩色の照明が連続で当てられていた。音楽の熱量がそのまま大音量となって、観客全員の心へと散弾銃のようにぶち当たり、まるで流血しているかのように皆一様に涙が溢れている。当然、僕も……。

「音楽がこんなに素晴らしいだなんて」

 僕は曲が終わるまでの数分間、永遠にも近しい刹那を生きていた。鳥肌が止まらない。止めたくても、止まらないのだ。心が揺さぶられて、正気じゃいられないのだ!


「――子供はね、大人よりも感受性が高く色んな影響を受けやすいの。だから、感染もしやすいけれど、たかが音楽ひとつに本気で救われたりもするのよ」

 メロンジュースをくれたお姉さんが、耳鳴りの止まない僕に向かって言葉を紡ぐ。

「ステージで歌う彼は音楽が悪じゃない時代なら天才と呼ばれていたでしょうね。知ってる? 彼の作った歌を聴くと、誰もが心を奪われてしまって、みんな感染しちゃうの。だから、裏ではマジックマッシュルームカットって二つ名で言われてるのよ」

 と、キノコヘアーのお姉さんは説明しながらハハハと楽しげに笑う。きっと、初恋の彼女もどこかで素晴らしい音楽に心を奪われたのだろうか。そう思うと、僕は彼女と同じか、それ以上の体験ができたのだろうことが何よりも嬉しかった。

「……ぼうや帰るときはトイレで髪を切ってから帰りなさいね」

 僕は塾を抜け出したことを思い出して、冷や汗をかいた。そして、そのまま母にバレる前にライブハウスを出ることにする。その間際に忠告を受けたので尿意は無かったがトイレに入り、鏡を確認して自分の姿に僕は今年一番の大声で笑ってしまうのだった。


 なぜなら、そこには。

 ロックにやられ残響のやまない耳と、美しく強い照明が焼き付いた目に飛び込んできた自分の姿――それは紛れもなく茶髪マッシュルームカットに感染していた僕の頭部だったのだから。



〈了〉

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メロンジュース、進入禁止、マッシュルームカット。 不可逆性FIG @FigmentR

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