6日目 Ⅲ

 まゆさんと女の子の両方が、呆けている間に人ごみの中から二つの人影が駆け出してきた。若い男女の二人組、私達の前にいた少女を見つけると、慌てたような表情でこっちに走ってくる。


 多分、まあ、両親だろう。話を聞くまでもなく、表情を見れば察しがついた。


 その姿は子を心配する親そのものだ。


 私は、見られないのをいいことに、女の子の服をちらちらと捲ってみる。


 まゆさんは慌てたように私を止めようとした。だけど、声を出すと不自然だと想ったみたいで、ぱたぱたと可愛らしくジェスチャーをしてるだけだった。女の子はなんとなく触られている感覚だけはあるのか、なんだか気持ち悪そうに身をよじらせている。でも、両親がこっちに来ていることに気が付くと、ぱぁっと顔を明るくした。


 明るくした、か、まあ、そうなんだよねえ。そうなんだよねえ……。


 私は軽くため息をつきながら、そっとまゆさんの隣に戻ると、そっと耳打ちをするように告げた。



 「多分、虐待されてます。服の中、結構、痣がありました」



 まゆさんの眼が見開かれて、わかりやすく顔も青ざめる。うーん、素直な反応、周りから見て不自然じゃないといいんだけど。


 まゆさんは視線を前に向けたまま、小声で私と会話してくる。


 「え、すごい良い人そうだよ、あの両親?」


 「根っからの悪人が虐待してる方が実は少ないですよ?」


 両親は少女の近くまで来ると、泣きそうな顔で、まあ実際泣きそうなのだろうけれど、少女を抱きしめる。少女も劇的な生還と言わんばかりに泣きながら、両親の胸へ飛び込んでいく。


 周囲にいた人も微笑ましい視線で、それを見ていた。多分私とお姉さんだけが、どこかうすら寒い内心でそれを見ていた。


 「でも……」


 「あの子、寿命があと29日しかないです。そもそも、よく考えてみてください。さっき車の前に飛び出した時、


 「…………え」


 家族が涙を呼ぶ感動の抱擁は続いている。


 「あの年で、自殺っていうものが想像つくかはわかりませんが。なんで車の前に飛び出したかはなんとなく想像がつきますよ。


 思考が挟まらないまま、不思議と私の口はするすると動いていく。


 「実はね、本当に悪意を子どもに向けて虐待してる人なんて、ほとんどいないんです。


 大概の親は、子どものため、子どもの幸せのためを想って行動してるんです。本気で、子どものためだと信じてやってる。信じてやってるから歯止めが効かない。


 それで、どうして上手くいかないかわからないから、とりあえずの解決策の暴力ばかりが積み重ねるんです」


 脳裏に、私を殴る人の姿が映った。殴った後に、そのことを後悔して謝る姿まで、異様に鮮明に。


 その人が誰だったかは上手く想いだせないけれど。


 「なんていうか、歯車が噛み合ってないんですよ。子ども自身が必要なことと望んでることが、その親がこうした方がいい、こうしてあげないとって考えてることと、凄いずれちゃってるんです。


 それでどう見ても、めちゃくちゃなんだけど。不思議と家族としての繋がりみたいなのは、ちゃんと機能してるんです。だから余計がんじがらめになって、わけわかんなくなるんですけど」


 白衣の医者が、親切そうな壮年の女性が、教師みたいな女が。いつかの私に丁寧に教えてくれた。


 「たとえば、親はたくさん子どもに幸せになって欲しいとするでしょ。そしたら一杯期待する。こんな習い事をさせよう。こんないい学校に行かせよう。こういうことができるといい。あれも、これもって。この子のためだから、この子の幸せのためだから、上手くいかなくて手を上げるのも子どものため。


 子どももそれは分かってるから応えようと躍起になって、でも子どもが本心で望んでることは別だから、上手くいかない。そうやって親は暴力を振るう罪悪感に押し潰されて、子どもも期待に応えられない罪悪感に擦り潰される」


 その家族はまゆさんの所まで近寄ると、三人そろって泣きながら頭を下げた。まゆさんは笑顔すら浮かべられず、告げられる感謝の言葉をただ呆然と聞いていた。


 少なくとも、今、女の子は幸せそうだった。


 多分だけど、この子はこうやって無意識のうちに、両親の愛を確認しているんだ。


 まだ自殺どころか、死ぬという言葉すら上手く理解できていない年ごろだろう。


 だから、きっと本人すら気付かないままに。


 家族は好きだけど、気付けば、掛けられる言葉やプレッシャーばかりが重く積み重なっていく。


 『幸せになって』、『あなたのためだから』、『もっと、もっと』。


 その言葉が子どもを傷つけていると、親はついぞ知らないままに。


 子どもの心は積み重ねられた重荷を背負って、傷つけられる苦痛に暗闇の中で人知れず喘いでる。


 そうして、知らぬ間に気付いてしまったのだろう。


 自分が危ない目に会った時にだけ、本当の愛を確認できることに。


 だから、その危うさを理解しないままに、愛欲しさに自分を命の境界に放り投げる。


 さっきの交通事故も、実は自分自身で轢かれにいったことを自覚してるかどうかすら怪しいものだ。


 こういっては何だけれど、29日後の行く末も簡単に想像がついてしまう。


 きっと、今日みたいに、自分自身でも気付かぬうちに命を危険に晒して、そのまま死んでしまうのだ。道路に飛び出すとか、高いところから身を乗り出すとか、そんな些細なきっかけで。


 誰も彼もが、幸せに向かおうとしているのに、どうにもならない。


 むしろ、幸せに向かおうとしてるからこそ誰も止まれないまま、歯車はひび割れて壊れてしまう。


 きっと、そういう運命の子なんだろう。


 女の子は、目一杯の笑顔でまゆさんの膝近くまで歩いて行って、そのまま足に抱き着いた。偽りのない感謝をその顔に浮かべながら。


 両親はあらあらと微笑んだけど、まゆさんは青ざめたままで、震えた手でそっと女の子の手を取った。


 「どうにかできないの……? この子の親に期待がずれていることを教えるとか」


 「まゆさんは、知らない人間に、自分たちの親子関係が間違ってるって急に言われて、受け容れられますか?」


 あの人も、そうだった。


 だって、医者も、カウンセラーも、教師も、何かも分かっていた。分かっているのに、変えることはあまりに難しかった。


 自分が正しいと信じていたことを、間違えていると受け容れるのは、信じているからこそ、きっと難しいんだろう。


 だから、多分、この親子もどうにもならない。


 なにせ、私達がこの親子と言葉を交わせる時間はあまりに少ない。宙に舞った蜘蛛の糸が、空中で一瞬触れた程度の、そんな交流。何も変わるはずもなく、何を変えられるはずもない。


 望む意味すらありはしない。なにせ、この後、関わることすらない人たちなんだから。




 だというのに。




 「どうにかしたいよ」



 あなたはそうやって、泣きそうな顔でわがままをいうのだ。



 ほんと、しかたないなあ。



 ちょっと、そんな気はしてたけれど。



 私は軽く微笑むと、そっとまゆさんの耳元に囁きかけながら、少女に指を向けた。



 「それじゃあ、『変える』ならこの子です」



 まゆさんは少し驚いたように私を見るけど、私は構わず言葉を紡ぐ。細かく説明している時間はない。


 「大人を変えるのは時間がかかります。だから変えるならこの子です。まだ、子どもは変わりやすいから。


 どうにか、生きる意志を、自分を守る意思を、今、植え付けないと。


 ほら、まゆさん、話しかけて。あまりぼーっとしていると、不自然だから」


 まゆさんは慌てたように、しゃがんで女の子の所まで目線を落とすと、ぎゅっと抱きしめた。周囲は命の恩人と救われた命の熱い抱擁に感嘆している。事実そうだし、それ以上のことには見えないだろう。


 でも、けしかけてみたけれど、ここから一体何を告げればいいのだろう。


 私はなにを告げてもらえたら、ちゃんと生きていけたのかな。


 ……いや、それがなかったから、私はこうなってしまったわけで。そんな私に答えなんて、出せるわけがないのだろうか。


 もう伝えられることもなくなって、私はそっと空を見上げた。


 遠く広がった秋空は、どこにも答えを浮かべてなんてくれていない。



 一体、どんな言葉をもらっていたら、私は――――。






 「





 ―――――――――。





 「ねえ、あなた、名前は?」



 「ゆあ、だよ。おねえちゃん」



 「そっか、ゆあ。大丈夫? いたくなかった?」



 「うん、おねえちゃんがまもってくれたから、いたくないよ。ありがとう!」



 「うん、どういたしまして。私もゆあが生きててくれてよかったよ」



 「え、うーん。ありがと………」



 「ねえ、ゆあ。お姉ちゃんにゆあを助けさせてくれて、ありがとね?」



 「え? どうして?」



 「へへ、お姉ちゃんね、実はとっても弱虫なの。お父さんとお母さんに折角、会社に入れてもらったんだけど、上手く頑張れなくてね。私なんか生きてていいのかなって、ずっとずっと不安に想ってたの」



 「おねえちゃん……?」



 「でも、今日、ゆあを助けさせてもらえたらね。こんな私だけど、生きててよかったなって想えたの。だからありがとう」



 「…………わたしも……ありが……とう?」



 「うん。ねえ、ゆあ。一つだけ、お願いしていい?」



 「…………うん、なに?」



 「できないことも、怒られることもいっぱいあると思うけど、生きてね? 出来たら、お姉ちゃんより長生きしてね?」



 「……」



 「。ゆあに会えて本当に良かったよ」



 「……ねえ、おねえちゃん」



 「なに?」



 「



 「……うん、そうだよ」



 「おべんきょうできないよ? ともだちもできないよ? てつぼうもへただし、かけこだっていつもビリだよ。それでもいいの?」



 「うん、そうなんだよ」



 「うまれてきてよかったの? もっと『えらいこ』にならなくてもいいの?」



 「うん、そうだよ。そうなんだよ。君はえらくなくても生きてていいんだよ」



 「……そっか……あれ?」



 「ありがとう、ゆあ」



 「……うん」



 「ありがとう」



 「うん……うん」




 ぼろぼろと泣くあなたの傍で、女の子も不思議そうに泣いていた。



 自分がなんで泣いているのか、きっとそれすらわからないまま。



 傍に立っている女の子の両親や周囲に群がった野次馬達も、どことなく感動の雰囲気に当てられて涙を滲ませている。まゆさんが伝えようとした意志を本質的に理解している人は、きっと誰もいないだろうけど。



 そんな様を眺めながら、私は少し離れたところで、スマホを耳にあてていた。



 「ってなわけで、匿名で虐待の通告を入れてもらえます? はい、はい、住所は伏見の2の5の、え、どうやって調べたかって? 免許証抜き取っただけです。大丈夫、後で返しますよ」


 『あいよ……っふあぁ』


 電話口の向こうでクソ上司は、寝不足っぽい欠伸をかましながら、適当に返事をしていた。だいじょうぶかなあ、これ。


 「ちゃんとやってくださいよ。未来のクライアント削減のためなんだから」


 『わかってる。無駄な案件が一つ減るなら、俺も文句はないさ』


 そういうと上司は、電話の向こうで、カタカタと音を鳴らしている。通報のメールでも打っているんだろうか。こういう時は無駄に仕事が早いみたいだ。


 『にしても、珍しいな。ゆながそこまで肩入れするのは』


 上司の言葉に私は苦笑いしながら、私は肩をすくめた。


 「クライアントの意向なので。……あと、ちょっと想う所もありまして」


 『……?』


 私は少しだけ、語調を変えると、ふっと軽く息を吐いた。


 自分の声が低く、どことなく冷たい響きになるのを感じる。



 「



 『……』


 先ほどとは少し、意味合いの違う沈黙が受話器の向こうから流れてくる。否定も肯定も期待していなかったけれど、その沈黙が私にとって何よりの答えだった。


 「多分、境遇が似てたんでしょうね。なんか知らないはずのことが、ぼろぼろ口から出てくるんですよ。そういうことってあるもんなんですね」


 『そうか……』


 私の問いかけとは少しずれた、何かを納得したような言葉がスマホの向こうから響いた。


 「まあ、だからといって。どうって話じゃないんですけど。親の名前とか想いだしたわけじゃないし。あ、そうだったんだなーってくらいのもんです」


 『……ゆな』


 受話器の向こうで何かを告げられるのは気配で感じ取れたけど、私はあえてそれを無視することにした。それから、一方的な通告に近い形で言葉を紡ぐ。


 「でも、まあ、お陰で覚悟は決まりました。別に何が変わったわけでもないけど、やっぱ実感って大事ですね」


 『…………』


 「じゃ、おつかれさまです」


 上司の返事がくる前に通話を切った。


 それから持っていたスマホをしばらく眺めてから、背後の道路にぽいっと投げ飛ばした。



 べきっ。



 という音の後スマホの残骸が地面に散らばっていた。


 だけど、どうせ誰も気づくことはないだろう。


 私は父親に免許証を返しながら、女の子の両親とすれ違った。


 それから手を振って別れているまゆさんに向かって歩いていく。途中で両親に向かって歩く女の子の額を軽く小突いたけれど、よろめくことも驚くこともせずに、


 泣いているんだか、笑っているんだかよくわからない顔のまま、両親の元へ返っていく。


 私は未だに涙に濡れたあなたの隣に立って、かるく頬擦りつけた。


 触れあう頬に涙が滲んで、私の頬も少し塗れる。


 それを少し喜びながら、あなたと心を分け合いながら、私はぎゅっと抱き着いた。


 「大丈夫……かな、あの子」


 「うーん、よくわからないけど、大丈夫でしょう」


 「よくわからないけどって……」


 「だってわかりませんよ、未来のことなんて。


 結局、誰にも、神様にも、死神にも、分からないもんですよ。


 でも、あの子はきっと大丈夫です」




 ふと振り返った女の子の頭上に数字が浮かぶ。




 000030。




 ゆっくりと瞬きをして目を開けると、少しだけ数字が滲んで姿を変える。




 000031。




 私は笑ってまゆさんの手を取った。




 「それに、ここから先はあの子の人生なんですから」




 あの数字は一体どこまで増えるのだろう。




 彼女の人生は一体どこまで続くのだろう。




 楽しみだけれど、死神としてはもう二度と出会うことはないのだろう。




 それは少し寂しいけれど、それはきっと素敵なことだ。




 私は笑いながらあなたの手を取って、二人で揃って歩き出した。




 あの子の上に浮かぶ数字のことを教えたら、あなたも優しく笑ってくれた。




 最後に振り返るとゆあは、遠く向こうからまゆさんに向けて手を振っていて。





 その頭の上でまたゆっくりと数字が滲み始めていた。

















 死神ルールその6 『死神は自殺を行った子どもの魂から創られる』

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