6日目 Ⅱ

 海岸沿いの旅もなんだか開けたところに辿り着いて、観光地みたいなところに来ていた。


 まゆさんが地名を教えてくれたけど、生前の記憶のない私でもさすがに聞いたことのある程度に有名な場所だった。なんだっけ、日本三景とかそんなんだっけ。


 もう土曜日だから結構、車通りも多くて、原付で動くのはちょっと不便そうだったので、私達は駐車場に原付を止めて歩くことにした。


 海岸線まで続いている道があるらしく、景観を楽しむために定期船まで出ているみたいだった。他にも上からの景色を一望できるロープウェイもあったりするらしい。


 まゆさんと軽く話をして、とりあえず海岸線を歩いてみようということになって、道路で信号待ちをしていた。


 そんなときだった。


 観光地で、休日、当然歩く人も多い。そして私に気づいていない人たちは遠慮なくぶつかってくる。なのでまゆさんにできるだけくっついて歩いていた。


 腕を絡ませるほどではないけど、肩をすり合わせる程度の距離で。


 ただ、多分、腕を絡ませておいた方がよかった。


 そんなことを思い知るのは、この後のことだけれど。


 

 ぼーっと歩行者用の信号が青になるのを待っている私たちの隣に、影がふっと差した。


 最初は何とも思っていなかった。人なんていっぱいいるし。


 最初、気になったのは、それが小学生くらいの女子だったこと、親と連れ立っているふうでもなく独りだったということ。


 もう一つは、私と少し距離を置いてそこに立ったということ。


 なんというか、私からすごく適切な距離感だった。


 普通の人は私が見えていないから、私との距離感なんて気にしない。人間は普通、人と近づきすぎないようそれぞれのパーソナルスペースを保っているけど。私の場合は見えてないから、顔が触れるほど近くにも平気でこられるし、歩くときに足が当たっても加減なんて一切されない。


 なのに、その子はすごく、位置で私達の隣に並んだ。


 ていうか、この子―――――。


 なんて考えていたら、その女の子はすっと道路に踏み出した。


 小学生だ。信号を待つ我慢が効かなくなったのかもしれない。


 車の隙間を抜けてやろうとしたのかもしれない。


 それくらいに想って、踏み出された足を見て、ふと想う。





 あ、やばい。






 、この子が踏み出したタイミングは車が来るドンピシャだった。


 狙ったんじゃないかってくらい綺麗に、車の前に飛び出していて、おもわず声も届かないのに叫ぼうとしてしまったら。





 

 




 は?




 そのまま、まゆは女の子をかばうように抱き着くと、うずくまって、ぎゅっと目を閉じた。






 音が鳴る。






 ブレーキの音だ。





 甲高くて神経を逆なでするような音が、車の姿と一緒に私の目の前を埋め尽くしていた。





 「まゆ!!!」





 

 叫んだ。






 訳が分からない、分からないけど走った。


 




 目の前の車のボンネットを踏み越える。






 息が荒れる。





 心臓が潰れる。





 身体中が千切れそうで、訳が分からなくなる。





 車を踏み越えた先にまゆはいた。




 生きてる?





 生きてる。





 女の子を抱きしめたまま、ぶるぶると震えている。





 

 撥ねられたわけじゃ、ない。






 そっか。車が、ぎりぎりでハンドルを切ってたんだ。






 安堵で息が抜けきる前に、私はまゆに走り寄った。


 






 とりあえず、この場から離れないと車道は危ない。








 周囲が騒ぎ始めるのを耳で聞きながら、私は急いでまゆの手を取って、ついでに女の子の手を取って走り出した。








 少女は不思議そうな顔で、私たちをじっと見ていた。







 ※





 「怪我無い?! 痛くない?! 大丈夫?!! 死んでない!!??」


 「だ、大丈夫だから、ゆな。車にも当たってないし、ぴんぴんしてるよ」


 「そっか! 本当によかったよ! でもバカ!!」


 「はい……」 


 「本当に死んでたらどうするつもりだったの!!?? もうバカ!! ほんっとバカ!!」


 「いや、私、寿命は明日だから、今日は無茶しても死なないかなって……」


 「そんなの関係ないから!! 死神はそんな風に絶対の運命を決めてるわけじゃないの! 予定外のことだって一杯あるし寿命も簡単に変わっちゃうの!! だからこんなの、もう二度としないでよ!!」


 「う、うん。大丈夫、もうこんなことする機会なんてないよ、きっと……」


 とりあえず、まゆさんを女の子から引きはがして物陰に隠れたところでお説教タイム。


 ただ、同時にちゃんと腕を取っておけばよかったと自分の甘さを呪う。


 この人にとっての自分自身の命の軽さを舐めていた。


 最悪、明日そうなるのはいい、いやよくはないけれど、覚悟ができた上での形だ。


 ただ、もし今日こんな形で死なれたりしたら、私はまだ何の心も準備できていない。


 そんな形でこの人を失うのだけは嫌だ。


 「もう……本当に止めてよ。こんな形でまゆさんと別れるのなんて、絶対嫌だからね……」


 「…………ごめん、ゆな」


 ふうと息を吐き出したところで、ぼろぼろと今更に涙が零れだした。


 息も荒れだして、吸った息と吐いた息のバランスがぐちゃぐちゃで訳分からなくなる。


 まゆさんの肩に手を当てて、そのままもう片方の手で胸を叩こうとした。でも顔を上げると、なんでかまゆさんまで泣いていたから止めた。


 「…………なんで心配かけた方が泣いてるの」


 「……ごめん、ごめんね」


 そのままぎゅっと抱きしめられて、泣きつかれる。ああ、もう、調子が狂う。これじゃあ、怒るに怒れない。


 仕方ないので、頭を思いっきりぐりぐりとまゆさんの顔に擦りつける。ちょっとまゆさんがのけぞるような形になるけれど、構わずぐりぐりと頭をこすりつけてやる。言葉にできなかった分の心配と安堵をこすりつけて、わからせてやるのだ。


 愛情表現が過剰なペットに構われたみたいに、のけぞったまゆさんに涙も鼻水も全部こすりつけてやる勢いで、抱き着いて全身全部擦りつける。さすがに泣いていられなくなったのか、ちょっと困ったような顔になっているが、構うもんか。絶対に構うもんか。


 「ううーー! うー!」


 「ゆな、えと、もうわかったから……」


 「だめ! まゆはわかってない!」


 気が済むまで、擦りつけて、ぐっと抱き着いて。心臓の音をじっと聞く。


 どくどくと動いてる。まだ動いてる。ちゃんと動いてる。そのまま動いてて。


 ダメなんだから、止まるのなんて許さないんだから。


 そんな念をじっと込めて、最後に頭をもう一度こすりつけてから顔を上げた。


 目が合ったまゆさんは、ちょっと困ったように笑いながら、涙目のまま額を私の額に突き合わせてくる。


 「私がどれだけ心配したか、わかった?!」


 「うん、もうしない。ごめん、あとありがとうね」


 本当はそのまま二時間でも三時間でも言いたいことは言えてしまうのだけど、ふうと息を吐いてとりあえず気持ちを切り替える。気づけば身体は少し落ち着いている。しばらく抱き着いてたら安心してきたのかもしれない。


 まゆさんが泣いていたのも、よく考えれば、もしかしたら単純に轢かれるのが怖かったのかもしれない。


 そう想うと怒ってばかりは、ちょっと可哀そうだったので、今度はまゆさんの頭を私の胸に抱き寄せて改めて愛で直す。


 まゆさんは困ったように笑いながら、そのまま素直に抱きしめられてくれた。抱きしめていると、少しだけまゆさんの震えが感じ取れて、それが治まるように必死に愛情を込めて抱きしめる。愛情の込め方なんて分からないから、ひたらすらにぎゅって力を込めて抱きしめるくらいしかできないけれど。


 「……怖かった?」


 「……うーん、ちょっとだけ。でも正直、夢中でそんなのわかんなかったかな」


 「そか……代わりに私が一杯怖がったからね」


 「あはは、そうかも。ごめんね」


 「むー……ゆるす!」


 そのまま、ぎゅっとしていたかった気もするけれど、とつとつと足音が近づいてきた。


 私もまゆもそれとなく顔を上げて、そちらを見た。


 そこに立っていたのはさっきの女の子で、どことなく暢気なもので、ぼけーっとした様子で、私達を見ていた。



 「おねえちゃん、なにしてるの?」



 そう、忘れていたけれど、こっちの処理もあるんだよなあ。


 私は軽く息を吐くと、まゆさんからちょっと離れて、その子の目の前でしゃがんでそっと目線を合わせた。


 同時にその子は、ちょっと姿勢をのけぞらせて、


 ま、距離感が目と鼻の先で、そのまま進んでいれば、私と額がハイタッチをかましてしまいそうだったからね。自然な反応だ。


 


 「あ、えっとね。ちょっと怖くて泣いちゃってて……」


 「そっか……ごめんなさい。わたしがわるいの」 


 その子は何かを怖がって俯いたような顔でまゆさんを見上げる。ふむ、視線はあくまでそちらと。私をスルーする意味はないから、そもそも認識があやふやだと、そう見るべきかな。


 私は確認を終えると、まゆを危ない目に合わせた鬱憤も込めて女の子の額を軽く弾いた。


 その子は額を抑えると、何とも言えないような驚いた表情で自分の額を押さえてる。


 まゆさんもそこで、少し不思議そうに首を傾げる。


 立ち上がった私は、少し迷ってから、言葉を選びながら口を開いた。




 「




 「え、どういうこと……それ」



 「もうすぐ……死神が憑くってことですね」




 その女の子の頭上に浮いた数字は『000029』。つまり、この子の寿命はあと29日。



 その日になれば、この子は自ら命を絶つ。



 何も知らない女の子は、不思議そうな顔のまま自分の額を押さえていた。




 ※

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