5日目 アイシテミル
5日目 Ⅰ
一面、真っ暗闇の中、私はふと目を覚ました。
目元を擦ると、何かが滲んで濡れている。寝ながら泣くか何かしていたのかな。
軽く欠伸をしながら、目を擦ったのとは反対側の手を上げようとして、何かが引っかかることに気が付いた。
少し暖かくて、か細いなにか。
なんだろうと触っていて、やがてそれが人の指だということに気が付いた。
はてと首を傾げてから、同じように人肌に触れている感覚が、あちこちあるのを感じる。
そのままじっとしていると、暗闇に慣れてきた目が、ぼんやりと私に抱き着くゆなの姿を映し出す。お風呂上がりに眠ってしまったから、二人とも下着姿で、そのおかげでえらく肌が触れる感覚がしていたみたいだ。
静かに笑って、隣で寝息を立てるゆなの頭を撫でてみた。綺麗な髪がさらさらと指を抜けて、心地いい。
ゆながむずがりながら、しがみついてきたから、それに合わせるように抱きしめ返した。
それにしても、今、何時だろう。カーテンの向こう側は真っ暗で、とりあえず、夜だと言うことはたしかだけど。
夕方前に寝始めたわけだから、真夜中ごろになっているだろうか。
暗闇の中、スマホを目で探してみたけれど、残念ながら見えっこないし他のもので時間もわからない。
抱きしめ合っている都合上、無理に動くとゆなも起きてしまうし。はてさて、どうしたものだろうか。
でも、まあ、いいか。
三日くらい旅をしっぱなしだったので、こんな一日があってもいい。
抱きしめたゆなは眠っているのに、何故だかだんだん力が強くなっていて、離さないとでも言わんばかりに私の背中にぎゅっと力を込めていた。
そういえば、こんな裸に近い形で他人と抱き合ったのは初めてかもしれない。
腕同士が、肩が、胸が、お腹が、足の付け根が、つま先まで。
一人の誰かに触れていて、そしてそれが苦しくない。不用意に身体に触れられるのは嫌悪感の印象しかないのだけど、ゆなだと不思議とそんなことはない。むしろ暖かくて心地いい。
そしてどの感覚も記憶にない、初めてのものだった。首筋にかかる息のくすぐったさも初めてのもの。でも、どこか安心できてしまう。
あまりに心地よ過ぎて、ちょっと離したくないなあ、なんて想ってしまう。
まあ、そんなことは叶わないのだろうけれど。
でも、ああ、ほんとに離したくないな。
このまま最期の時までこうやって二人で抱き合っているだけって言うのも、悪くないのかもしれない。
なんて、考えているとゆなが一際むずがって、しばらくむずがった後、ぼんやりと顔を上げた。
寝ぼけ眼までかわいいと想えてしまうのは、わたしもそろそろボケてきている気がしないでもない。
これは何ボケだろうか、親ボケか、姉ボケか、それとも。
「……起きた?」
「……トイレ」
「うん、行ってらっしゃい」
ゆながベッドから這い出て、しばらくの後、カチと電気の音がして部屋の廊下の明かりがついた。それを頼りに私はベッドのそばのランプをつけて、ついでに見つけたスマホを手に取った。
時刻は午後十時回ったところ、まだまだ夜は長いそんな頃。
軽く一息を吐いた後、何の気はなしにブログのページを開いて、アップロードした写真を眺めてた。付いているコメントにはどれもかれも、あたりまえだけどゆなの姿のことは書かれていない。私があげているのはあくまで、風景の写真で日常の写真。そういう風に見えている。
不思議なもんだねと想いながら、ぼーっとしていると、程なくして流れる水の音がしてゆながトイレから欠伸をしながら出てきていた。
そんな姿を、スマホのカメラでパシャ―ッととる。
夜闇の中、トイレから出てきた無防備な下着少女のいっちょあがりである。
出すとこに出せばいろいろ物議をかもすけど、端から見ればただのホテルの壁にしか見えない。
「何撮ってんの、お姉さん」
「ゆなちゃん、セクシーショー」
この性質を応用すれば、他人には健全な画像にしか見えないのに、私だけにはゆなの痴態が見えるという写真が創れるわけだ。あはは、怒られそう。ま、この写真はさすがにアップしないけど。
「やったなあ、お姉さんのセクシー写真も撮ってやる」
「いや、ゆな。私の場合はただの恥ずかしい写真にしかならないから」
「私だって恥ずかしいんですけど?!」
ゆなは、がるると唸りながら私のカバンを漁るとカメラを撮りだして、しばらくいじくった後、こっちに向けてパシャパシャと本当に撮ってきた。
うう、変なデータ残るなあと若干へこたれながら、私はそっと布団にくるまってその中に隠れた。気分はまるでカタツムリか、ヤドカリみたいだ。
「……うう」
「こらー、出てきなさい盗撮犯。君は包囲されているー」
なんだか楽しくなっているゆなが、調子づいた声で煽ってくる。こちら側からやった手前、特に文句も言えない私は仕方なくそっと頭だけ布団から出した。
「自首します……」
「ふはは、わかればよろしい」
楽しげなゆなはそう言って、カメラをベッドの傍のランプ台に置くと。
「てや」
といって、私がくるまっている布団に突っ込んできた。
いきなりの行動に私がちょっと驚いていると、そのままもぞもぞと布団の中に潜り込んできて私が頭を出していたところの隣からぽんと頭を出してきた。
そのままごてんと転がったら、布団ごと引っ張られて二人揃ってベッドの上で転がった。
二人でごろんごろんとベッドの上を忙しなく転がりながら、最後に身体を折り重ねって止まった。
私がゆなに覆いかぶさるような形になっていたから、潰さないようそっと身体を上げて隙間を開ける。
だけどゆなは布団の中で、私にしがみついたまま離れない。駄々をこねる子どもみたいに、足を絡ませて腕で抱きしめて離れないようにしっかりとつかまれている。
「もう、どうしたの?」
この死神さんは突発的に落ち着かなくなるなあ、と軽く笑って頭を撫でた。子どもみたい、といっても実際まだまだだ子どもなのだろう。見た目通りだとすれば、十五・六歳、まだ身体の成長に心が追いついていない頃だ。ましてずっと人の死をみているのなら、不安定になっても仕方がない。
「んー……」
「いやな夢でも見た?」
「…………」
「ほら、しんどかったら喋ってみて」
撫でた髪はうつむくゆなの顔をそっと隠していた。
「………………だめ」
囁くような、消え入りそうな、そんなか細い声がした。
「ん?」
ぎゅっと、私の身体に食い込む指が強くなる、擦れる足がどことなく震えている。
「……あんまり優しくしちゃ、だめ」
思わず微笑んでしまう。言葉と身体がちぐはぐだ、言葉は離そうとしているのに、身体の方はしっかりと離れないように私を繋ぎ止めている。
「なーんで?」
ずずっとなにかをすする音がする。そうして、身体が引き寄せられてゆなの顔が私の胸に埋まる。
ちょっとだけ胸元が濡れた感じがした。
「だって、寂しくなっちゃうじゃん」
「…………」
「そんなに優しくされたら、お姉さんがいなくなる時、寂しくなっちゃうじゃん」
「……そっか」
繋がれた言葉は悲しくて、辛くて、苦しい。
私があなたに優しい言葉をかければかけるほど、どんどんあなたの中で、寂しさは増えていく。そんなことはわかってる、わかっている、はずなのに。
心の底から嬉しいと、愛しいと、想ってしまう私はきっと、悪い奴なのだろう。
本当のことを言えば、きっと距離を取るべきだ。
別れの時に傷つかないよう、寂しくないよう、少し心を離すべきだ。
私は大人、あなたは子ども。
私はクライアント、あなたは死神。
私は死んで、あなたは生きる。
いずれ別たれることがわかっているなら、そうやって線を引いて痛くないよう、離れてあげるのが本当の優しさなのだと想う。
だからきっと。
「
「え?」
改めてちょっと自覚する。
「好きだよ」
私はきっと誰に言われるまでもなく、ゆなに背中を押されるまでもなくわがままだった。
「————そんな、うそ」
想ってた。あなたを遺す一週間にしよう。あなたを知る一週間にしようって。
「ほんと、本当に。好きだよ」
あなたとかけがえのない時間を作ろう。たくさんの想い出を、たくさんの記録あなたと遺そうって。
「———だめ、だめだよ。だめなの、そんなの、———だめなの、私」
私の一週間の全部を使って、あなたに触れよう。私の残りの人生の全部を使って、あなたを知ろうってさ。
「ねえ、ゆな、好きだよ」
そしたら、きっと、もしかして、万が一、ほんとうにちょっぴりだけでも。
「おねえ……さん」
―――あなたは私を忘れないでいて、くれるかなって。
「ゆな」
もし私の全部を使って大事にしたら、あなたもちょっとくらい私を大事に想ってくれるかな。
「わた……しも」
あなたのかけがえのない何かに、なれないかな。
「……」
大事にされたことも大事にしたこともなかった私だけど、もしかしたら誰かの大事になれるかな。
「すき……だよ」
そう、それが、きっと。
「うん、好き」
小さな小さな死神の心に傷をつけてでも、私が叶えたかったものだった。
零れる涙に落とした気持ちは何だろう。
罪悪感かな、悲しさかな。
でもそれだけじゃなくて、嬉しさとか幸せとかが滲んでしまうから。
だから、あなたから愛されることがきっと。
「ごめんね、でも、ありがとう」
本当の意味での、私の最期のわがままだったんだ。
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