3日目 Ⅱ





 「そーいえばそろそろ海が見えるよ、ゆな」


 「おー、やっとって感じですね。山、長かったー」


 「あはは、ほら、そろそろ抜けるよ」


 朝から原付を飛ばして数時間、途中でお昼ご飯を食べたり昨日みたいに寄り道していた。だから、時間はかかったけれど、ようやく私たちは海に出た。


 森を抜けたら、少しだけ視界が開けて、山肌の向こうに、空じゃない濃い蒼が覗いてる。


 「うっみだーー!!」


 ゆなが私の後ろでテンション高く、声を張り上げた。日差しが反射して遠く向こうで、海面が反射するのを眺めながら、私達は原付で走りつづける。見えたと言っても、まだもう少し距離はある。山道は終わってないし、原付の足であれば尚のこと時間はかかる。


 日が暮れるまでにつけばいいんだけど。


 私は少しアクセルをきつめに回しながら、山沿いの道を進んでいく。


 そうやって飛ばしながら、私が曲道をすっと曲がった時のことだった。


 背後でゆながもじもじしてる。二人乗りで密着しているから、ちょうど少しくすぐったい。


 もしかしてトイレかな、と私が振り返らない程度にゆなの様子を感じていると、ぼそぼそっと声が響いてきた。


 「あのー……お姉さん……」


 「なーにー?」


 珍しく小さな言い淀んだ声に、私は風に飲まれないよう声を大きくして聞き返す。


 「……さっき美味しそうなアイスクリーム屋の看板あったの……」


 「ああ、いこっか?」


 「そう、だけど。そうじゃなくて! も、もしお姉さんが食べたいなら行くといいかなーって」


 「ゆなが食べたいんでしょ、いいよ、行こう」


 「で、でもこれはあくまでおねーさんの旅だから! おねーさんが食べたいと思ってないなら行っちゃダメだよ! あくまで自分優先で!」


 「じゃあ、私がゆながアイス食べてる写真撮りたいから寄るね?」


 「え、あ、うーん」


 「それならいいでしょ?」


 「え、うん。いいの、かなあ?」


 気を遣いつつもアイスが食べてみたい死神に苦笑しながら、私はしばらくすると見えてきた看板の所でハンドルを切った。そこにあったのは、平日の昼間のはずだけど、何台か車が止まっていて確かに美味しそうなアイス屋さんだった。


 駐車場に原付を止めて、ヘルメットを取った私は意気揚々と原付の座席からカメラとかの荷物を取り出していく。


 「さ、いこっか」


 「う、うーん」


 未だに迷いがちな死神に笑いかけながら、私は軽く笑ってアイス屋さんに向かっていった。ゆなも程なくして、遠慮がちに私の後ろについてくる。


 ははは、年下が遠慮しおってからに。


 軽く笑いながら、店内に入って、私は思わずおおと声を上げた。


 なんだか見たこともないアイスが一杯並んでいる、果物をそのまま凍らせて埋め込んだようなものに、見たことのない漢字で書かれたアイスもある。でも、意外と普通のバニラとかイチゴが一番おいしそうにも見えるのが不思議なところだ。


 私がショウケースをじっと見ていると、店員のお姉さんがお決まりになったら声をかけてくださいねーと、優しく微笑んでくれた。


 それに愛想笑いを返して、どれにしようかなと悩んでいると、何気なく私の服の裾が引っ張られた。引かれるまま振り返ると、ゆながどことなく拗ねたような顔で私を見ていた。


 どうしたのだろうと、首を傾げていると、そのままずるずると引っ張られて、自動ドアも越えて店の外まで誘導される。どうでもいいけど、自動ドアはゆなにちゃんと反応するみたいだ。


 多分、端から見たら、何故か後ろに体重を掛けながらそのまま退出する変な女に見えるのだろうなとか、ぼんやりと考える。


 そうして店を出て、少し離れて周りに人目がないことを確認したゆなは、高らかに宣言した。


 「お姉さん、お説教」


 「え」


 なにゆえ。


 訳がわからないという想いで首を傾げる私に対してゆなは、顔を少し赤くしながら胸を張って言葉を告げる。


 「おねーさんは、私のことなんて気を遣わなくていいの! これはお姉さんの一生分のわがままの旅なんだよ?! お姉さんが決めないと意味ないじゃん! お姉さんがしたいことしないと! 私のやりたいことなんて、後でいくらでもできるから、ちゃんと自分のしたいことをして! わかった?!」


 ゆなは畳みかけるように、一息でそこまで言い切った。


 ちょっと焦ったようになっているのが珍しくて、面白い。なんだか、可愛いなあと私が微笑んでいると、ゆなはさらに顔を赤くして、ふんふんと腕を振り回す。感情表現の仕方が、子どもかい。


 「もー、本気だよ! 笑ってないで、お姉さんのしたいことするの!」


 「えー、でも見てたら食べたくなったよ?」


 「だから、あれは私が食べたいもの! それに無理して付き合わないでいいって!」


 「別に無理していないんだけどなあ」


 「うぐぐ……うう、でも」


 私の言葉に翻弄される死神はちょっとかわいい。


 と、まあ、そんなことは置いておいて、私はふむと考えを巡らせる。


 解ったことが一つある。


 ゆなにとって、私のわがまま、というか意思や選択がとっても重要なんだと思う。


 多分、私が今までの人生でやりたくないことをやって、無理矢理されてきたことを取り返すためにそうしているんだろう。


 だから、それを叶えるために、ゆなの希望で立ち寄ったりというのは極力控えたいのかもしれない。お腹が空いたとはよく言うけれど、何を食べるかはずっと私に選ばせていたね、そういえば。


 つまり、ゆなの目的としては、ゆなの希望で行き先を変えるのはNGなのだ。


 だから、怒っているのだろう。私とはちょっと認識にずれがあるけれど。


 どう伝えたもんかな、とカメラをいじりながら考えて、ふと思い立ったから、そのままそっとシャッターを押した。


 「え?」


 何枚か自動で撮れるから、赤い顔のゆなが、ちょっと呆けたようになるまでがゆっくりと映っていた。うん、相変わらずいい顔してる。


 「


 「ふぇ?」


 「すっごいよく動いてね、表情が分かりやすいから」


 「は、はい、どうも」


 ゆなはよくわからないまま、顔を赤くしながら困ったように返事する。その姿に、思わずくすっと笑ってしまう。


 「私ね、昔から何考えてるかわからないって、よく言われたの」


 親に、上司に、友人に。


 「表情に出ないんだって、私としては一杯焦ったり、不安だったり大変なんだけど。周りから見たら、何思ってんだか、わかんないんだって」


 人は何を考えているかわからない人を恐れてしまう。理由はとても原始的で、感情が分からないと敵か味方か判別がつかないから。


 「私としては、不安でいっぱいだからね。そういうの出してる暇がないって言うか、あんまり怖がってたら怖がるなって怒られちゃうしね」


 元から出すのは苦手だったけど、それで余計うまくできなくなってしまった所はある。


 「それにね、人から見て分かんないと、段々自分でも、自分の気持ちがわからなくなってくるの」


 写真が好きだったのは、そこに写るのが私じゃないから。私の眼を通した、私の心に違いはないけれど、私という形を伴わない何かだから。


 「美味しいものを食べてても罪悪感が邪魔して、あんまり幸せになれないし。お酒飲んでても一時は楽しいけれど、頭のどこかでこれでいいのかなって不安になるから、うまく楽しみ切れないし」


 だから、この最期の一週間でそういう、私が明確に私のためにしたいことっていう目標は立てなかった。


 「自分だけの楽しみって私、途中でよくわかんなくなっちゃうんだ」


 そんな虚しい気持ちを抱えて、一週間を過ごしたくはなかったから。


 「でもね、ゆなの顔を撮ってたら、そんなの不思議と考えないの。だからゆなの顔好きだよ、私」


 昨日、一番よく撮れた写真は、どんな風景の写真より、ゆながこっちを向いて笑った写真だった。


 「ゆなの表情がわかりやすいからかな。美味しいもの食べてるゆなを見てると、ちゃんと美味しいなって感じれるし。楽しそうなゆなを見てると私も楽しんでいられる気がしてさ、困ってたり恥ずかしがってるのも、すごいよくわかるから好きなんだ」 


 ゆなは顔を赤くしたまま、拗ねたような、でも泣きだしそうな、そんな表情を浮かべていた。


 感情が一杯あるのはわかりやすいけれど、一つの名前を付けるのは難しそうなそんな表情。


 「だから、ゆなが美味しそうだなって想ったものは一緒に食べたいし、ゆなが楽しいなって想ったことは一緒にしたいの」


 その表情を写真に撮りたい気もするけれど、さすがに今は怒られそうだ。


 「もちろん、私が嫌だったらその時は言うしさ。だから、お願い、一緒にアイス食べよう? だめ?」


 手を合わせて、お願いする。この小さく優しい死神さんは、こういう頼み方をすると断れないっていうのは、なんとなく解りながら。


 たった三日の付き合いだけど、それくらいにこの子はわかりやすい。


 ゆなは俯いて、少しの間、肩をわなわな震わせていたけれど、やがてふんと鼻を鳴らすと、私の脛を足で軽く小突いた。


 蹴られた力があまりに優しくて、ちょっとの痛みもありはしなくて笑ってしまう。


 そのまま、ゆなは肩を怒らせながら、ふんふんと歩き出した。


 「私、しぼりたてソフトクリーム!!」


 そう怒ったような泣いてしまいそうな、そんな声を上げて、ゆなはこっちも振り返らずにアイスクリーム屋に行ってしまう。


 ああ、本当にわかりやすい、怒っていることも情が揺れてしまっていることすらも、とてもとてもわかりやすい。


 こっそりと、そんな後姿を写真に撮ってから、私は走って追いかける。

 

 「まーって、ゆな。私が行かないと買えないじゃん」


 「同じの頼んだら、ぶっ飛ばすからね」


 「えー……私もしぼりたてがよかったなあ」


 「…………………じゃあ、私が違うの食べる!!」


 「あはは、ウソウソ。私あれにするよ、果物いっぱい入ってたやつ。後で交換しよ?」


 「ふん! ふーんだ! ふーんだ!!」


 そんな風に君はたくさん怒っていたけれど、アイスを食べたら機嫌も直った。


 そうして、その間ずっと写真は撮らせてくれていた。







 不条理に憤るゆなを撮った。私もなんだか怒りたくなった。



 なんだかんだ美味しそうにアイスを食べるゆなを撮った。私もとっても美味しかった。



 その日、見えた海の夕暮れをゆなと撮った。こんなに夕暮れが綺麗に見えたの初めてだった。



 私のお願いを聞いてくれるゆなを撮った。私もゆなのために何かをしてあげたいと、そう想えた。



 実はずっとずっと、困ってたんだ。



 やりたいことって言っても、私、わがままにやろうとすると、どうしたってこれでいいのか心配になる。



 そのままだと、不安になってどうしようもなくなって、きっと最期の一週間も中途半端に終わってしまったと思う。



 私は、あんまり私が大事じゃないから、私のために一週間を使ったぞって言っても、きっと心のどこかでちゃんと胸を張れなかったんだ。



 だからと言って、私を大事にしない人のために、私を嫌いな人のために、消費される一週間も嫌だった。



 だから、困って困ってしょうがなかった。



 でも、君が背中を押してくれたから、私はちゃんと旅に出れた。



 君が笑ってくれたから、私もちゃんと笑っていいんだって想えたんだ。

 


 そうしてゆなを撮っているうちに、ふと想いついたんだ。



 この一週間は、君を遺す一週間にしよう。



 私の残りの時間の全部を使って、君と過ごして、君を遺そう。



 不安なまま私独りのやりたいことを成す一週間より。



 私の背中を押した、誰にも見えない小さな死神を遺す一週間の方がきっといい。



 私以外に、誰も見えない。



 私以外に、誰も遺せない。



 そんな君との旅が残せる一週間なら、それがいい。



 そう、きっと、それがいい。



 ホテルについた途端、そうそうに眠ってしまった私の死神の髪を撫でながら。



 眠りにつく君を眺めながら。



 私はそっとシャッターを押した。



 眠る君をレンズの奥に刻み付けた。






 きっとこれが、本当の意味での、私の最期のわがままだから。





 私の命は、あと四日。













 ※




 ●通知:ブログのページを更新しました:9/29 21:59 


 ●通知:コメントが投稿されました:9/29 22:41


 『名無しさん:お久しぶりでーす!! 相変わらず、ここの地味な空気感好き。タイトルの訳分からなさもすげー好みです。独特のセンスが神』


 ●通知:コメントが投稿されました:9/29 23:39


 『名無しさん:連日投稿お疲れ様です。アイス美味しそうですね。海もとても綺麗ですね』


 ●通知:コメントが投稿されました:9/30 03:07


 『名無しさん:初見です。素敵な写真だと思いました』

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