第22話

「おおー!」

 突然ですが私は今、空を飛んでいます。VRなど仮想現実の類ではなく、現実の鎌倉の空を飛んでいます。

「風がきもちー!」

「それは良かったです」

 わたしを抱えて飛んでいるため、背後から聞こえるガブの声は相変わらず陽気でふんわりとしていた。だが、言い終えた後で小さく漏れた「いてて」という声を私はあえてスルーした。

「奇麗だー!」

 眼下には民家から漏れる白を基調とした蛍光灯たちの灯り、そして島のシルエットを境にして広がる星空たち。もし何も知らず、ガブを追い返していたらこんな景色を生で見ることは出来ずにいただろう。

「なんか平べったい感想しか出てないですね」

 再びガブから声が来たが、それは先程と違って少し不満げな感情が混ざっていたように感じた。

 誤解を与えてもあれなので、「予想以上のものを目の当たりにした人間って大体こんな反応だよ?」と返すとあまり興味がないのか、「ふうん」という声とも音とも取れぬ返事をし、無言の遊覧飛行を続け、やがて目的地へと着陸した。

「本当にちゃちゃっと着いたね」

「空は障害物がありませんからね」

 江の島のてっぺん近く、いろんな食事処や雑貨屋が乱立している通りのど真ん中で私はガブと話しながら周りを見渡す。

 時間も時間だから空いてる店は無く、街灯もない。少し不気味さもあったが頭上から差す月光がそれも打ち払ってくれていた。

「んじゃあ、海の方行ってみますか」

「また?」

 折角来たのに再び階段を使って波打ち際へと行く私の背後へガブリエルから疲れたような質問が来たが、再び無視して進んで行くとため息とともに彼の足音が付いてきた。やっぱり強気に出れないんだな?

「別について行かなくても良いですけど、波にさらわれたりしたら魂探すの面倒なだけですよ」

「合理的だけど今それ言う?」

 階段と階段の間の緩やかで広い面に降りていた私は振り返りながら難しい表情を作り、口を尖らせて抗議するとガブリエルはフン、と鼻を鳴らしながら肩をすくめていた。あ、右頬に真っ赤な手形がある。

「それは左江内さんが叩いてきたからでしょ。──建前ですよ。先が短くてもそんなすぐ命を捨てたくはないでしょ? 未練が多くても良いことなんてないですから」

「むう……」

 彼の言っている事は正論だ。案外いい奴かもしれない。

「評価は一定にした方が良いです。つかれちゃいますよ」

「?」

 ガブリエルの言っている意味が理解できなかったが、きっとそんなことに思考をいちいち使うということへの皮肉なのだろう。そう片づけて最後の階段を下りきると比較的穏やかな岩礁が広がっていた。私の立っているコンクリート製の土台から一段程下には苔むしたむき出しの岩が顔を見せており、ザ・自然という印象を持った。

 遠くの方を見ると波はやっぱり荒く岩礁へと打ち寄せ、〇映の最初に流れるような砕け方をそこらかしこで乱発していた。

 流石に近づくのはヤバいと分かっていたので、身近な岩礁でカニでも見つけようと足を踏み出した瞬間、

「ひぇあ!? 冷たっ!」

 左足を直接刺激する感覚に思わず階段の上段へと飛び退いてから確認すると、ぐっしょりと靴が濡れていた。

 隣にいたガブリエルはそんな私の反応を見てクククと笑い声を漏らしながら、「潮が満ちてるんです。薄くて分からなかっただけでしょうけど」と笑いをこらえながらご丁寧に解説をしてくる。分かってたなら言ってくれればいいのに。

 そんな私の心の内を読み、彼は「まあ興奮した人にはいい薬かな、と思ったので」と悪びれもせずに言うんだから嫌な奴だ。

「ちなみに鎌倉はこれでお終いですか?」

「夜景も見れたし、最後はもう一回空から見たいかな」

「了解です」

 ガブリエルはリクエストに応え、再びシャツを脱ぐのに対して、私は今度は子猫のようにしっかりと抵抗することなく後ろから抱き付かれ───

「そういえばどこら辺がいいとかあります? 胸とか万が一触って不快になられてもあれなので」

「……手遅れだよ!」

 腕を振りほどき、今度は利き手で思いっきり頬を引っ叩いた。パシン!と大きな音が波に負けじと江の島に響いた。

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