第21話
江ノ電に揺られて数分。七里ヶ浜駅で下車した私たちは静かに浜へと降り立った。
「左江内さん」
ガブリエルから声をかけられるが関係ない。
靴を脱ぎ捨て、素足で貝殻と乾いた砂を蹴って駆けていく。
「海だああああ!!」
「ヒャッホウ!」
なんだお前も飛ぶんかい。
「冷た〜い」
乾いた砂の上に腰を下ろし、素足を海水で湿っている砂へと置きながら私はつぶやく。
「そりゃあ夕方ですもの。冷たいのは当たり前です」
「でも夏だよ? それでも?」
「夏は余計そうですよ。理科で習いませんでしたか?」
ガブリエルの呆れたような言葉に、私は昔の回想に時間を少し割き、そして放棄して立ち上がった。
「知らん!」
「義務教育過程ですよ?」
だまらっしゃい。これから死ぬやつはもっと有益なことに頭を使うんじゃい!
「開き直るのはいいですけど、これからどうするんですか? お店はあらかた閉まってるし、電車もしばらく来ませんよ」
「別に店だけが
「さいですか」
ガブリエルはいつものように軽い口調で流し、やがて黙った。
ざざーんと波が砂浜に打ち寄せてくる。波は地面に吸われながら下がっていき、再び陸へと斬り込む。
その様子は一進一退で、たまに大きな波が私たちのつま先まで迫ってきたりした。
「そういえば、なんで鎌倉にしたんですか? 夜景といえば普通は都会の摩天楼とかを想像しがちですけど」
「それ私への皮肉? それはね、江ノ島から見る鎌倉が綺麗らしいから」
「らしい?」
「私も写真とかでしか見た事なくてさ。早くいきたいなー」
「じゃあさっさと行けばいいのに、なんで海に来たんですか?」
私はコイツに風情ってもんを知らねえのか、と毒づきたい気もしたがそれも波の音に攫われ、どうでもよくなって答える。
「ちょっと前に読んでたラノベにさ、あったの。ここの描写が」
「それだけですか?」
「それだけだよ。でも、ここは本当に綺麗。富士山も見えるし」
「富士山見えればどうでもいいんですか?」
「黙れ」
おお怖い怖い、なんて言いながら彼は立ち上がり、尻についていた砂をぱっぱと払って先に駅の方へと向かおうとした。
「私を待ってくれないの?」
「いや、単純に危ないと思っただけです」
「何が──」
私は意味深な言葉を問いただそうとした。だが、背後から迫ってくる比較的大きめな波の音と時間を思い出し、ダッシュでガブリエルへとタックルをした。
「あだあ!?」
「そういうのは早く言え! 思いっきりかぶって風邪ひいたらどうするんじゃ!」
「その時はその時です」
お前まじで天使なのに性格終わってんな。
「その言葉は結構刺さるんでやめてもらっていいですか?」
「豆腐メンタル?ってやつ?」
「それはあなたもでしょうに」
ガブリエル、相打ちだぞ。これ。
その場で座りこみ、海をぼーっと眺めているだけの状況に少し気まずくなり、お互いに黙った。
周囲では波の音だけが聞こえ、偶に上の道路を走るバイクのエンジン音と江ノ電の通過音がひどく異質に聞こえた。
私は彼になんだか申し訳ない事を言ってしまった気がした。だが、どうやって謝ろうかと考えていた。
腹を決め、口を開く。
「あの、ごめ──」
「江ノ島、行くんですか?」
「へ?」
突然の問いかけに私は出鼻をくじかれ、アホ丸出しな受け答えを発した。
「だーかーらー、江ノ島行くんですか?って聞いてるんです」
腕時計をチラッと見ると、時刻は予定ギリギリを指している。
「時間がもうないよ。それに、砂浜でゆっくりできただけ良いよ」
「それじゃあ江ノ島までひとっ飛びしますか!」
話を聞かないガブリエルはいつの間にかあのよく分からない笑顔を浮かべていた。
「飛ぶってどういうことよ」
「文字通り飛ぶんですよ。大丈夫。認識阻害の
そう言いながら彼はシャツを脱ぎ、中々に引き締まった上半身を砂浜に顕現させた。
「結構画になるじゃん」
「なんならポーズでもしましょうか?」
私の褒め言葉にガブリエルは海の側に移動し、台風が来るたびに再生数が昇るというH○T LIMITの有名な立ちポーズを決める。
「なんか急にダサくなったわ」
「ひどい」
上げていた両手を下ろし、脱ぎ捨てたシャツの砂をはらって私にそれを渡してきた。
「え?」
「飛ぶんだから、背中は露わな方がいいんです」
「羽で破らないの?」
アニメなどでは服を突き破って羽を露わにする描写が多く、私は質問すると、彼はため息をつく。
「シャツ代がもったいないです。あと、柳田理科雄著の《空想科学読本》という書籍をご存知で?」
「知ってるよ。大好きな本でもある」
「そこのデビルマンのコラムで解説されてますよね?」
「あ、服のやつ!」
彼に言われて思い出した。
「というわけなので、抱きついてください」
「変態野郎」
「そうしなきゃ飛べないんです。じゃあ僕が抱きますよ」
「やめろ! 何をす──ぎゃあああ」
夕暮れ時の七里ヶ浜には、ニッコニコの上稞の男に抱きつかれて叫ぶ私の声だけが木霊し、やがて波に吸い込まれて消えていった。
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