第17話

 最悪だ。見抜かれていた。

「先輩、答えてください。なんで病院から抜け出したんですか?」

 だんまりを決めていると亜紀ちゃんは尋問官のような口調を閉じ、ため息を今度は出した。

「分かりました。言いたくないならいいです」

「まっ───」

 背を向けた彼女へ声をかけようとするとそれを物理的に上平常務が遮るように仁王立つ。

 あの巨体が目の前に、しかも般若....言い過ぎだが顔に怒りを浮かべている彼へ昔の私だったら素直に踵を返しただろう。だが今は違う。

「....なんのつもりだ。左江内さこう

「そこをどいて。私は亜紀ちゃんと話がしたいの」

「すまない....もう部外者のお前を会わせることは出来ない」

 私の主張に対して、彼は表情筋を一切緩ませたり締まらせることもなく淡々とした口調で却下してくる。

「なんで駄目なの? 私は”友人”として彼女に会って話がしたい。元社員だろうがなんだろうが関係ないでしょ?」

「そうもいかない。規則なんだ」

 彼がそう言うと周囲の話題は私の重病の推測から部外者への排斥へと変わり、視線が敵意のあるモノへ変わるのを感じた。

 これは仕方ない。そう思いながら腕時計を見るとまだ五分も経っていなかった。

「分かった。常務も皆さんもお元気で」

「ああ。──そうだ、左江内!」

 優雅にきびすを返して帰る私へ常務が声をかけてきたが、部外者な私は精一杯の抵抗で無視してエレベーターのボタンを押すと扉が開き、乗り込む。

 エレベーターに乗り込んだ私は階のみんなへ向き直り、満面の笑顔を浮かべて礼の言葉を述べる。

「それでは、お元気で!」

 静かに閉じられたドアを見ながら一つの事を達成できた私は満足感に浸りながらバッグからノートとペンを取り出し、ある項目を斜線で消した。

「あ、デスクにあるやつ取りに行くの忘れてた」

 困ったな。今生の別ればりの演出を醸し出しておきながら「あ、忘れ物がありました」だなんて言って戻ったらお互い地獄だ。

「いや、でもアイツから渡された書類......まあいいや」

 別に大した書類でもないだろうし、天使からのブツなら普通の人間──死期が遥か彼方のみんななら見えないと勘定してドアが開いたエレベーターから降りる。

「さて、ご飯を食べに行きますか」

 少し、いやかなり空腹だったのでかつての勤務地だったビルを出ると、直射日光がきらりと私の目に突き刺さり、目を細めた。

「生きてるねえ」

 しみじみと年寄りじみたことを言いながら駅近くにあるカフェに入る。

「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」

「はい」

 統一された制服の店員さんに席へと案内され、メニューを眺めながら何を食べようかと熟考し、決まったので店員さんを呼ぶべく手を上げて声をかけた。

「店員さーん!」「あの、すいませ──」

「はーい、ただいま伺います!」

 一人の店員さんが来て、注文を聞いてくる。

「トマトクリームのパスタを。コーヒーは食後にお願いします」

 かしこまりましたと領収書にボールペンで走り書き、厨房へ戻ろうとしたので私は引き留めると怪訝そうな表情を一瞬だけ見せて来た。

「勘違いかもしれないんですが、隣の人が店員さんを呼んでいたっぽいんです」

 害悪客臭すさまじい言い方だがさすがは接客のプロ。

 先程の不意打ちを打って変わって嫌な顔を見せずにかしこまりました、と言って仕切りの向こうに座す人へ伺いに行った。

 不躾ながらも聞き耳を立てると、確かに呼んでいたらしくスイーツを注文していた。

 しめしめ、人助けになったぞ。と独善性丸出しの愉悦に浸りながらお冷をひと口飲んでいるとバッグから小刻みに振動して聞き慣れた電子音を発する存在に気付いて手に取る。

「げっ」

 それは社用のPHSだった。

 このスマホやら最近はスマートグラスやらが台頭する時代になんて遺物を採用してんだと思いながら見ると画面には未読メッセージが一件来ている旨のが浮かび上がっていた。


 件名 打ち合わせ

 本文 ウチの広報課の代表が既に『ボンマルシェボンテ』にて待機しています。


「なんだこれ」

 送り主は上平常務からだった。これ絶対送信先間違えてるだろ、と思いながら絶対に返却しなくてはいけないので会社へ戻る義務感で思わずため息を深くつく。

「ん?」

 ふと、小さな違和感が脳裏を過って短文を何度も何度も見直す。

 そして恐る恐る開いていたメニューの表面に書かれているオシャレな字体の店名を確認する。

「ボンマルシェボンテって.....ここじゃん」

 という事は広報課の代表って? いや、そもそも打ち合わせって何? 様々な疑問が波打ち際のようにこっちへ近付いては遠のきを繰り返し、「うーん」と小さな唸り声を漏らしていると店員さんが注文したパスタを持ってきたのでとりあえず放棄した。

 食を楽しむうえでこんな問題は邪念に過ぎない。

「いただきまーす」

 フォークでパスタを巻き、スプーンの上に置いて頬張る。

 ちゅるちゅると吸って食べるのはあまり礼儀がよろしくないと昔から四人に言われてきたことだが、実際は私が蕎麦を上手にすすれなかったからそれが理由なのだと中学生までは本気で思っていた。

「美味しい......」

 こういう所は昔から変わらないなと達観しながらカニの旨味とクリームのふんわりとした舌ざわり、そしてトマトの酸味たちを統括する小麦の風味豊かな細めのパスタを味わう。

「ほへえ....」

「.....先輩?」

 間抜けな声をあげる私へ仕切りの向こうから声がかかってくる。誰だ私の事を先輩と呼んで食事を邪魔する人物は。

 心当たりが一人しかいない。

「....亜紀ちゃん?」

 呼ばれると横から顔をひょいと覗かせていつもの悪戯っ子のような笑顔を浮かべながら亜紀ちゃんが出て来た。

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