シネマフィルム

諏訪森翔

切られた半券

 幼い頃、私の将来は映画の主人公のように誰かを助け、尊敬されるような人間になれると妄想していた。


「おい!ここ、前もミスしてたよな?いい加減学習しろ!」

「はい……申し訳ありません」

 ガミガミと続く上司の叱責を避けるように頭を下げ、飛んでくる泡唾をガードしながら何故こうなってしまったのかといつものように振り返る。

 思えば自分の半生は本当にしたい事も見つけず、勉強も満足に打ち込まなかった。それでも学力は身につけ、そこそこの大学へ入った。

 しかし、卒業する寸前までロクな活動もせず、就活にも胡座をかき続けて周りが続々と内定を勝ち取っていく中、焦って唯一手に入れた就職先がここだった。

 だがここは私が当初考えていた職種とは異なり、働き始めから今まで無知から発生するミスを連発していた。

 もし、就活を早く始めていたら友人や周りと同じように広告で見かけるような企業に就職できたのだろうか。

 この考えに至るのも何度目の到達か。学習していないというより、やはりミスの連続の結果、落ちるところまで落ちたのだと思った。

「───い!話聞いてんのか!?」

「は、はい!申し訳ありません!」

 話を聞いていなかったことがバレないように慌てて今一度深く頭を下げる。

 周囲から寄せられていた同情的な視線や冷たい視線も今では無くなった。もう慣れているのだ。

「ったくよぉ、俺の昇進に響いたら許さねえからな!ほら、さっさと仕事しろ!」

 突き放した口調で上司は言いながら手で追い払う動作をして視線を外す。

 一礼をしてから自分のデスクへ戻り、まだ途中だった業務を再開する。


 可哀想……

 ククク

 仕事出来ないなら邪魔なだけなんだよ…


 自分には関係が無いと分かっていても気にしてしまう笑い声や愚痴が耳に入り、私は昼休憩までグラフを出したり消したりの単調作業をして時間と我を忘れた。

 まだかまだかとパソコンの端に浮かんでいる時計の時間を睨み続け、昼休みの時刻となった瞬間、私は誰よりも早くその部屋を飛び出した。

 飛び出した先の外は真夏の到来を示すように眩しく、アスファルトから反射する熱と直射日光は私の額に汗を滲ませた。

 とりあえず、いつものコンビニへと足を運ぶ。

「いらっしゃいませー」

 合成された音声と共にコンビニの自動扉が開くや否や、店内から追い出された冷風が私に直撃し、初めてあの監獄から解放されたのだと実感し、嘆息する。

 見慣れている品揃えを見ながら何を買おうかと指を迷わせているこの時間は私にとって何事にも変え難く、そして何より命の補給といっても過言ではなかった。

「これにするか」

 何気なく目に入ったサンドイッチと付け合わせのスープも取って少し長めの列の後列に並んで腕時計を見る。

 時間はまだまだあると分かっていたが、その時間すらも私にとっては微々たるものであり、結局はあの冷たい職場へ戻ることが決まっているという事がどうしようもないくらいに心を重くさせた。

「ありゃざいました~」

 ウィンと閉まるドアの音と共に背中で店員のコールを聞きながら片手には外気でぬるくなったサンドイッチ、もう片手にはアツアツのスープを持って私は蜃気楼と人々が闊歩する大通りへと身をゆだねた。

 戻ってきた監獄の入り口はとてつもなく強大に見え、そしてコンビニでは快適だとさえ感じていた冷房の風も凍てついたブリザードのように感じた。

「はあ」

 ため息と共に、今のご時世では珍しい回転ドアを押して監獄へと帰還する。

 帰還したつもりだった。

「え?」

 回転ドアを出た先に広がっていたのは中規模の映画館だった。

 思わず振り返ると、私が入るのに使ったはずのドアは封鎖されており、戻れなくなっている。

 どういうことだと混乱し、手に持っているサンドイッチとスープたちが辛うじて私の正気を保たせていた。

 しかし、ここは───

「懐かしい」思わず口をついて出たその言葉に我ながら可笑しくなる。

 ここは私がかつてよく行っていた映画館に酷似している。受付の人が座っているカウンター近くの壁にはびっしりと公開予定の作品や名だたる賞を総取りした傑作たちのポスターが貼られ、それぞれのシアターの番号が彫られている洒落たカーペットが敷かれていたりと何から何までそっくりだった。

 あの頃の自分には無限の可能性があると信じ、自信に満ち溢れていた。だが、その自信は今やかつての映画館のように塵となっていた。

「ようこそいらっしゃいました。しかしながら、当シアターでは飲食物の持ち込みを禁じております。申し訳ありません」

「あ、え?」

 いつの間にか目の前に立つ男は、私の両手から昼食を没収し、その代わりとして一枚のチケットを握らされる。

「さあ、あちらへ」

 男に手を引かれ、間もなく開演を告げるブザーの鳴るシアターへと私は案内された。

「どうぞごゆっくり」

「あの、私は昼休みが──」

「構いません。まずはあなた様が優先です」

 男の言葉に私は笑い、分厚いドアの向こうのシアターへと足を踏み込んだ。

 少し暗く、とても静かなシアター内は私以外の観客もちらほらと見え、なるべく真ん中で人がいない席へと腰掛ける。


 ブーーーッ


 再び開演のブザーが鳴り、点いていた残りの灯りも消えて背後から映写機の懐かしい音と共に映画は始まる。

 上映されている映画を見ているうちに、私は気がつくと泣いていた。

 それは上映されている作品に対しての感動もあれば、今の私に対する悲しさと悔しさからなのだと私は思った。

 そして本編は終わり、エンドロールまで見終わってシアター内にぽつぽつと灯りが点いてから私は席を立つ。

 最近の映画館では珍しいことに誰もエンドロールまで立ち上がっていなかった。

「如何だったでしょうか」

「なんというか、何か失っていたものを見つけた気がします」

「それは誠に良かったです」

 男は満面の笑みで私の感想に喜んだ。きっとこれを観る前の私なら猜疑心に満ちた心で素直に受け取らなかった感謝も今は受け入れられる。

「ああ、代金は──」

「お代は結構でございます」

「本当に?」

 耳を疑う回答に私は思わず疑いの心を持った。

「左様でございます。それと、こちらを」

 男は間髪入れずに私へ入場する際に没収したサンドイッチとスープの缶を差し出してきた。

「あ、ありがとうございます」

 受け取った二つはまるで今さっき買ったかのように微妙な温度が保たれたまま、一体どうやって保存していたのかが気になった。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。

 私は今、自分のするべき事としたい事が明確に見えている。

「それでは、行ってらっしゃいませ」

「ああ。行ってきます」

 回転ドアを潜ると、ひんやりとした私の勤務先にいた。

 時刻は昼休みの終了まで余裕があった。

 不思議な場所だった。もう無いはずなのに、確かに存在し、もう無くなっていたはずの熱意を呼び覚ましてくれたあの場所に。

 二度と行けないのかもしれないと、なんとなく私は感じた。

 だが、今の私はここですべき事をあそこで見つけられた。その感謝さえあればいい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シネマフィルム 諏訪森翔 @Suwamori1192

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説