チャーハンの話3

「ああ! ぺらぺら喋ってごめん!」

 ちらりと見たシャルロットの放心したようすを見て、蒼田は手を止めておろおろと謝った。シャルロットはすぐに気をとりなおして、どうぞ続けてください、というようなそぶりをした。

「ごめんね、ありがとう」

 フライパンから小さく煙が上がってきた。こちらを見ていてそれに気づいていない蒼田に、シャルロットはさらにあわててうながした。

「大丈夫だよ。こうなるのを待ってたんだ。でも危ないから真似はしないでね。じゃあやるよ」

 溶き卵をフライパンに落とす。熱した油を吸った卵が黄色い花が咲くようにふわりと広がった。半分ほど卵を咲かせたあと、ごはんを投入する。

「よく中華料理人がフライパンをあおっているけど、あれは火力の強いお店だからできることで、家の火力でそれをやるとせっかく温めたフライパンの温度が下がっちゃうからやんないほうがいいね。混ぜるときは、ごはんのかたまりを崩すように木べらでとんとんしていくと、ついでに混ざるからそれで大丈夫。まあ、材料を入れて一発くらいはいいかもね、楽だし」

 といって蒼田はフライパンをあおる。裏返ったごはんがフライパン底の半熟状態の卵を纏っていた。次いで言の通りに木べらを使ってとんとんとごはんの塊を崩していく。ある程度崩したら、塩をふた回し、黒胡椒、白胡椒をふた回しずつ振っていった。

「チャーハンで一番重要な調味料は、たぶんこれ」

 といって蒼田が手にとったのは、旨味調味料だった。

「むかしテレビで有名な中華料理人がチャーハンを作ってるのを観てさ、これをすんごい量入れてたんだよね。けっこう衝撃だったんだけど、やってみるとシンプルな中華味のチャーハンよりもやっぱり味に深みが出て美味しいんだよ。まあ入れすぎは注意だけどね」

 旨味調味料をふた回し振って、顆粒タイプの鶏ガラスープの素をふた回し入れる。全体になじむように木べらでとんとんと混ぜると、ごはんに調味料が染まっていき、茶色っぽいチャーハンらしい色になった。

 続いてまな板の上に切っておいた具材をざっと投入する。ここでまたいちどフライパンをあおり、またとんとんと木べらのリズムが始まった。

「最後に、醤油とごま油を鍋肌にまわして、さっとあおったら完成。この二つは味じゃなくて風味がほしいから入れるって感じかな」

 ひと息ついた蒼田は火を止めて、器に盛りつけた。最後に黒胡椒をひと振りかけた。ひとくち目で胡椒の風味がしっかり香るので、食欲をそそるらしい。

 シャルロットは見ていただけなのだが、彼女には情報量があまりに多すぎて、蒼田よりも大きな息をついていた。

「ごめん、わけわかんなかったよね。ああそうだ、ひとつお願いしようかな。これを向こうに持っていってくれる?」

 と、蒼田は申し訳なさそうに言ったあと、しぐさをまじえて伝えた。頼まれたシャルロットは顔色をとりもどし、スプーンの添えられたチャーハンをふた皿、テーブルに運んでいった。その間に蒼田はフライパンを洗った。

 チャーハンは短時間で集中して一気に作り上げるため、作ったあとに達成感を覚える、と蒼田は思っていた。店ではほぼ毎日のように作っているチャーハンだが、そういえば家で作るのは初めてだった。さらにいえば、客ではない誰かのために作るのも、これが初めてだった。ただ作り上げたという達成感のほかにも蒼田は感じていることがあったが、この時点ではまだそれをはっきりと自覚することはなかった。

 ――フランス人の口に合うかな。だめだったら、コンビニに連れて行こう。

 と一抹の不安を覚えながら、蒼田はフライパンの後にまな板と包丁を洗った。調理器具は食べる前にできるだけ全部洗ってしまうのが蒼田のこだわりだった。さっと洗うていどでの時間では料理は冷めないし、洗い物でいっぱいのシンクを見てげんなりしたくなかった。

 リビングに向かうと、シャルロットはチャーハンを見つめて目を輝かせていた。パラッとした狐色のごはんの上を、ネギの緑、チャーシューの茶色、卵の黄色、カニカマの赤が楽しく彩っており、鶏ガラと黒胡椒の香りが一刻も早く口に運びたいとの欲求をくすぐってくる。

「お待たせ。食べよう」

 蒼田もリビングに向かった。ローテーブルにチャーハンの皿が並べて置いてある。二人がけのソファに座るシャルロットの隣に蒼田も座ることとなった。こんな美人の、しかも外国人と並んで座ることなどこれまでの人生から想像もつかなかった蒼田は、一瞬覚えたとまどいを表に出さないように平静を装い、ソファに腰をおろした。

 ソファについた蒼田を見たシャルロットは、食前の祈りをささげはじめた。テレビや映画で見たことのある光景を前にして、外国人らしい、と蒼田は月並みの感想をえていた。

「いただきます」

 祈りが終わったのを見て、蒼田はそう言うとチャーハンを食べはじめた。美味い。天才の所業である。蒼田は自分の料理を自分でべた褒めする男だった。

――いや、俺が美味いのはあたりまえだ。シャルロットは……

 蒼田はちらりとシャルロットを見た。

 シャルロットといえば、皿を手で持って食べる文化がないのか、いざローテーブルに置かれた食べ物を目の前にしてどう食べたらよいのかはじめは困惑した。しかし隣で当たり前のように皿を手で持って食べている蒼田を見て理解したらしく、おなじように左手に皿をとり、スプーンでチャーハンをすくいあげると、迷うことなく口へ運んだ。

 はじめに黒胡椒の香りが鼻から抜けていき、このあとすぐ迎える喜びを確信させる。鳥ガラだしの濃縮された旨味が舌で溶けだしてふわっと広がり、旨味調味料がその幸福を逃さぬように口の中全体を支配する。さらに鍋肌で焦がした醤油がかけめぐって後味をしっかりと締め、ごま油の風味が次の一口を強くうながす。

 という分析をしているわけではあるまいが、シャルロットは眼を閉じて文字通りチャーハンの美味しさを噛み締めていた。

「C’est bon. アオタ」

 シャルロットは満面の感動を蒼田に向けた。

――口に合ったみたいだ、よかった。

蒼田は心底ほっとした。二人はチャーハンをぺろりとたいらげた。


「じゃあ、洗い物してくるからくつろいでてよ」

 と言って、蒼田は空いた皿を持ってキッチンへと向かった。調理器具はすぐに洗うが、食器だけなら次回使うときにすぐに洗うことができるので、食べ終えたあとにすぐ洗うかどうかはそのときの気分次第だった。この時は、ちょっと間が持たなそうだったのでそうしたのである。

 このあとはどうしよう、と蒼田は考えながらゆっくりと皿を洗っていた。とりあえずシャワーでも貸そう。しまった、着替えはスウェットしかない。お嬢様っぽいからいろいろ抵抗がありそうだけど、しかたがない。そのままベッドで今日は寝てもらって、自分はその後シャワーを浴びて、ソファで寝よう。明日は早く起きて、いっしょに交番に行こう。

 蒼田は何度目かわからないすすぎをおこなう。

 そもそも、シャルロットは何者なのだろう。空からいきなり降ってきたのがまず一番理解できない。映画かゲームの登場人物のような格好をしているし、これがファンタジーなら、他に魔法使いとかドラゴンとか、ほかにそれっぽい何かが起こってもよさそうだが、いまのところ何もない。だいたいフランス人らしいし、そのあたりは的はずれなのかもしれない。それなら、超常現象でフランスの女優か誰かが飛ばされてきたとか、そんなところだろうか。

 ――なんにせよ、明日交番に行って警察に任せれば、俺の役目は終わる。今日はもう、さっさと寝よう。

 ひと通り考えてもわからないことだらけなので、やるべきことを再確認すると、蒼田はぴかぴかになった皿を水切りかごに置いた。

 シャルロットにシャワーを勧めるべくリビングに戻ると、彼女はソファで横になっていた。寝てしまったらしい。

――まあ、いろいろあったし、しかたないか。

 蒼田はどこかすこしほっとしつつ、クローゼットから来客用の毛布を持ってきて、シャルロットにかけた。これまでのコミュニケーションは、さっきの救出劇での緊迫感や、得意な料理をしている没頭感にある意味たすけられたといえる気がする。

――ここまで対処できたなら上出来だろう。明日うまくコミュニケーションがとれたらよいのだが。

 と、蒼田は達成感と不安とがいりまじった感情を覚えつつ、シャワーを浴びたのち床についた。そのまますぐに眠りに落ちた。


 蒼田がリビングの照明を消して寝室に引っ込んでからしばらくして、ソファのシャルロットは目を開いた。彼女は起きていたのである。

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