第9話 死苦三重苦
産まれる前に本当に産まれたいか聞かれたとしたら、絶対に拒否した。というか神様に助走をつけてドロップキックしていたレベル。つまり、産まれがクソ。親がクソ。自分がクソ。たった一度の人生が外れガチャだったとしても、公式はテコ入れもメンテもしてくれなかった。詫び石の配布もない、というかあったとしてもクソ親にぶんどられてると思う。
普通にぶん殴られたりモラハラ受けたり日常茶飯事。親がヤバいのを知ってるからか友達もいないし、教師はオレのような出来の悪い生徒を気にする余裕もなく、善意の第三者なんて現れなかった。
世間を呪うのも筋違いだろう。きっとオレが現状に憤り声を上げたなら、気にしてくれる他人もいたのかもしれない。
でもオレはオレ自身が大嫌いだ。
だからもう生きていたくなかった。
人生の最期に、クソ親ぶっ殺してオレも死のうと思ったのは月が綺麗だったからだ。
いつもの通り家から締め出されて、近くの公園の遊具の中で寝るかと考えてふと空を見上げたら、夜に穴が空いたかのような月がぽっかりと浮かんでいた。その時全てが腑に落ちた。オレのクソ人生はこの日のためにあったのだと。窓ガラスを壊せば締め出されたことなんて関係ないのだと。殺る気になれば何でもできる。台所には包丁があるし、いざとなれば拳もあるし。
ちょうど手頃な石があって窓ガラスを叩き割れた時は、やっと神様が味方してくれたと本気で思ったのだ--結果は、とんだ勘違いだったのだが。
オレの一応我が家には何故かすでに死体があった。父親と母親と、オレくらいの年齢の誰か知らんやつ。制服が側にあったから多分学生だが、なぜかそいつと母親は全裸だった。
そして死体の中心にはキラキラ輝いている女がいた。
彼女には色素が全くないように見えた。髪は透き通るような白で、まつ毛も白。灰色の瞳。フリルをこれでもかと盛り付けたような白い服に、白くてふわふわの羽が背中についていた。後から白ゴスというのを知ってそういうファッションなんだと知ったけど、その時は天使が舞い降りたんだと思った。
ただ彼女は片手に家の出刃包丁を握っていて、包丁は赤い錆がびっしり浮いたみたいになっていて、そこだけ汚いのが何故か申し訳なくなった。
灰色の瞳が一回瞬きをして、鈴の鳴るような声が聞こえた。
「あれ、君ってもしかして、この家の一人息子さんですか?近親相姦ではなく?」
それだけで状況がわかって吐き気がした。このクソ母の浮気相手。
「あー、拷問してる最中に散々言ってた『アイツから先に殺せ』っていうのは、あなたのことだったんですねえ」
死んだから少しは悲しくなるかと思ったが、それも今消えた。全て消えた。
「……何があったのか、聞いてもいい?」
「冷静な人は好きですよ。まああなたのご存じなさそうな親類の方に依頼されました。遺産相続争い的な感じで。出来るだけ酷く痛めつけて遺言書の在処を聞き出してほしい的な。そんな感じでわたしが派遣されました」
だから靴だけ汚れたスニーカーなのかと合点がいった。服には一滴も血が染みていないけど、床は真っ赤っかだから。別の人間の使った靴で足跡を偽装しているのかもしれない。
「君、運がいいですよ。侵入口は窓に偽装しようと思っていたので、手間が省けました」
「……君の手間が省けてよかったよ」
「え?」
驚いた顔も可愛かった。最期にいいものが見れてよかった。今日は人生最高の日だ。
「オレも君が殺してくれるんだろう?本当の一人息子はオレだし。現場を見られてもいるし。オレは親戚関係のことは何も知らないから、拷問はしないでもらえると助かるけど」
ああ、でも拷問されてもいいのかもしれない。3歳の頃の火傷跡。5歳の頃の切り傷。8歳の頃の骨折の跡。みんなこの子の傷に上書きして貰えば--
彼女は眉を顰めて、腕組みをした。
「正直--迷いますね」
「え?」
「確かに依頼人の希望に沿うなら一族の血を引くもの
三重苦です、と言い切る彼女は、出刃包丁を片手でクルクル空中で回していて、そちらの方がよっぽど面倒臭そうだと思ったけど黙っていた。
「でもオレは、君に殺されてもよくて」
「それなんですよね。君、この状況をちゃんと理解してるじゃないですか。わたしがこの三人を殺したってわかってるのに、命乞いも何もなく--君、何も悪くないじゃないですか。なのに死のうとしてるんですか。バカみたい」
何も悪くない。
そんなことを人から言われたのは初めてで。いつもいつもお前が悪いお前が悪いと言われていて空気のように当たり前にそれを吸って生きて、地球が回っているように当然だと思っていて。
「……泣いてるのは、死ぬのが怖いからですか?」
「ううん。嬉しかった。ありがとう」
これで心置きなく死ねる。
彼女は何故か一瞬真っ赤になった。白い肌だからよくわかった。拷問屋に感謝しちゃお終いですよ、とかなんとかごにょごにょ言っていた。そして大きなため息ひとつ。
「君、リコッタパンケーキとか作れる人ですか?」
「……りこった?」
「別にできなくてもいいんですよ、覚えてくれれば。とりま、わたしの雑用係になりませんか?血を見るのが平気なら大丈夫だと思いますよ」
そう言った彼女の唇から、紅い紅い舌がのぞいて。
包丁を握ってない真っ白な手をオレの方に伸ばして。
オレが割った窓ガラスから月明かりが差し込んで彼女を包み込む。
月が綺麗だったから。
オレは悪魔に魅入られて--その手を取った。
(第九話 了)
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