第9話 九日目_交錯

九日目、日曜日。


『おはよう!』

『おはようございます!』


『十時半頃に部屋まで行くね』

『よろしくお願いします』


ベッドから抜け出すと服を着替えた。そして鏡を見ながら身なりを整えると、モーニングを食べに一階へ下りた。



車を近くのパーキングに駐めると樹里の部屋へ向かった。


コンコンコンッ


軽く扉をノックすると小声で樹里を呼ぶ。

中で何か転がすような音がする。

しばらく様子をうかがっていると、扉が開いて樹里が出てきた。


「迎えに来たよ♪」

「はい、お願いします」


樹里の荷物を受け取ると、ガスの元栓と忘れ物の確認をしてもらい部屋を離れた。


「しゅっぱーつ!」


ご機嫌な樹里を乗せて空港に向かって出発した。


「天気次第だけど、ディズニーには明後日と明々後日に行こうかと思ってる」

「今日が日曜だから、火曜と水曜ですね♪」


「ランドとシーのどっちがいいの?」

「それなんですよねー、ランド二日間か、それぞれ一日ずつかで決められないんですよ」


うーーん……


「まあ、また来ればいいんじゃないの」

「松山から東京へですか!?、また東京に行けるなんて、想像も出来ないです」


「飛行機は初めて?」

「はい。新幹線も乗ったことがありません」


「じゃあ、帰りは新幹線にする?」

「いいんですか?」


「構わないわよ。岡山乗り換えで松山まで六時間半ぐらいよ」

「へえー、凄いですね」


樹里なら時間なんて気にしないで電車を選びそうだった。



「東京で行ってみたいとか、やってみたいとか何かあるの?」

「うーん、特にはないですね」


「何か好きなこととか、興味があることあるの?」

「うーん、なんだろ」


「例えば洋服とか、お化粧とか、美味しい食べ物とか」

「うーん、みんな好きですけどね」


「ゲームは?、いつもしてるんでしょ」

「まぁ、完全に暇つぶしですね」


「なかなか見つからないわね」

「構いません、まずは東京の空気を吸えれば」


「松山のほうが美味しいわよ」

「まぁ話のネタにはなりますから」


樹里の笑顔を見ると、本心からそう言っているんだとは思うが、私としては頑張りたかった。



車を駐車場へ入れて、返却を済ませると出発ロビーへ向かった。

そして土産物屋さんで実家へのお菓子を買い、ベンチに座った。


すると私の携帯がなった。

電話に出て、私達が座っている場所を伝えると通話を終えた。


程なく、私達の前に二人の人が立った。

樹里が見上げるとご両親だった。


樹里は両親が見送りに来ることを知らなかった。


お母さんの目はすでに涙がたまっていて、二人の姿を見た樹里の目からも涙がこぼれた。


私ももらい泣きしそうで、三人の姿から目を離した。



「樹里、気をつけて、元気でな」

「うん、すぐ帰ってくるから」


「そんな事言わんで好きなだけいろ。頑張ってこい」



「樹里ちゃん、樹里ちゃん」


「なあに、お母さん」


「連絡ちょうだいね」


「分かった。今までごめんなさい」


「いいんだ。お前が謝ることじゃねえ」


「お父さん……。ありがとう」


お父さんもハンカチで涙を拭っていた。


私も早く両親に会いたくなった。



日曜日、午後の空港。それなりに人がいて混雑していた。

時間に余裕をもたせて計画しているが、そろそろと思い、声をかけた。


「昼食を食べるので、早いですがご一緒しませんか?」


四人でうどん屋さんに入ると、話題は樹里が小さい頃の話に自然となった。


樹里は小、中と活発で勉強の出来る手の掛からない娘だったそうだ。

書道も上手で、絵も上手、音楽は普通だったが、体育もそれ以外の教科もよく出来て、小学生の時は学級委員をしていた。


成績はお兄ちゃんよりもよくて、学校の先生達はどんな大人になるのか楽しみだと、いつも褒めてくれたらしい。


樹里は今でも可愛いし、頭の回転がはやいと思う。相手の様子もよく観察していて、他人に合わせるのも上手だと思う。


ただ、万事それが良いかは疑問に思う。



私は飛行機のチケットを取り、樹里の部屋の住所が分かった時点で、樹里のご両親に電話をしていた。


そして出発時刻のことを伝え、樹里が隠していた住所を教えた。


その後、ご両親はさっそく部屋を見に行ったそうだ。

決して手入れが不十分な訳ではないが、階段の錆びた古いアパートを見て、驚いたそうだ。それから玄関前まで行き、その扉の使い古された感じを見て、中の様子を想像したそうだ。

その足で不動産屋へ行き、娘のことをお願いすると、大家にも同様のお願いをしたそうだ。


そして今日、空港へ来た。

一年以上会っていなかった愛娘だ。積もる話をしたいだろうが、そこまでの時間は無かった。


うどん屋さんの会計を済ませると、荷物を預けるために航空会社のカウンターへ向かう。

そしてそれが済むと手荷物検査場へ向かう。

樹里とご両親はお互いに別れの挨拶を交わした。

それから私に手土産を渡すと「よろしくお願いします」と頭を下げて、送り出してくれた。


私はご両親の期待と不安を感じながら見送る二人に頭を下げた。



それ以降、終始無言だった樹里だが、搭乗が始まり、機内でシートベルトをすると、私の手を握ってきた。


窓から見える景色が動き出し、滑走路の端で一旦停止すると、急加速して空へと飛び出した。


窓から外を眺めていた樹里だが、離陸後、上空旋回をして、海と市街地が見えた時には、その景色を食い入るように見ていた。


飛行機が水平飛行になり、窓から見えなくなると、樹里の手は小刻みに震えていた。


私の心も自分の判断に迷いが出て、大きく揺れていた。



シートベルト着用サインが点灯し、高度が下がると、飛行機は何事もなく着陸した。


樹里は窓の外に並ぶたくさんの飛行機に驚いているようだった。

さらに機内から乗降用に接続されている橋へ渡ると、東京の空気と湿気の多い暑さを感じられたと思う。


そのまま人の流れに従い、荷物の受け取り場所へ進んだ。



「あれだね」


樹里と私の荷物が流れてくる。それを受け取ると駅へと向かった。


「トイレ、いいですか?」

「そうだね、交代で行こう」


「他には何か無い?」

「大丈夫です」


私はモノレールを使うことを選び、樹里を椅子に座らせて、車窓を見せた。

静かに眺めていた樹里だったが、運河の上を通った時は「あんまりきれいじゃないね」と呟いた。


終点の浜松町で降りると山手線に乗り換えた。

そして五反田駅で降りると、残りは歩いた。


私の家は駅から歩いて七分ほどのマンションだ。

会社に近くて、家賃補助を貰っているので、この街に住んでいる。


建物に着くと郵便物を取り、玄関にあるオートロックの開け方を樹里に教えた。


それからエレベーターで上に昇ると部屋の鍵を開けた。


「さあ、どうぞ、入って」

「お邪魔します」


樹里がおずおずと入っていく。


「疲れたでしょ、まずは座って」


荷物は玄関に置いて、ソファーへ座った。


「涼しい……」

「エアコンをかけておいたからね」


足を伸ばして寛いでいる樹里の隣で、私は一息つこうと目を閉じた。



うたた寝をしてしまい、目覚めると、樹里がテレビを見ていた。

時計を見ると夕方の五時半。

夕飯時だが、外には出たくない。でも家には飲み物しかない。


駅前まで出れば、食べ物屋さんはたくさんあるがどうしよう。


「樹里。ごめんね、寝ちゃった」

「大丈夫ですよ」


「夕飯はどうしよっか?」

「何か作るんですか?」


「ごめん、滅多に作ったことない」

「そうなんですか」


「うん、仕事帰りに食べたり、買ってくることが多くて、朝食もパンだから」


「今日と明日の朝はどうしますか?」

「明日はそばにあるカフェで食べようよ。今日はもう外に出たくないかな」


「何か買って来て作りましょうか?」

「デリバリーじゃだめ?」


「出前?」

「そう」


「構いませんけど、やっぱりお金持ちですね」

「他に使うところが無いだけだよ」


「何にしますか?」

「そうだなー、正直言うと、ジャンクな感じがいいかな」


「ジャンク?」

「マック、モス、ケンチキ、ピザ、そんな感じの食べ物」



「モスってモスバーガーですか?」

「そうだよ」


「配達してくれるんだ」

「うん」


「へえー、じゃあモスで」

「なら、メニューから選ぼうか」



配達されてテーブルの上に置いたハンバーガーやポテトなどをパクつきながら、樹里の疑問に答えた。

東京に来て、改めて私に興味を持ったようだ。

私の仕事に関する質問もいくつか含まれていた。

そして自分の働き口についても質問を受けた。


そこで私はすぐに働く話と、将来に向けてじっくりと働く話を伝えた。


樹里は真剣に聞いていた。


ただ、いずれの話も私が樹里と一緒に暮らす前提となっており、たとえ私の恋愛が成就しなくても、樹里が一人で暮らしていけるようになるまでは同居が前提だった。


ひと通り話を終えると、樹里は黙り込んでしまった。

そして黙々と、ナゲットにオニオンフライとポテトを口に放り込み食べていた。



「咲さん、お風呂入りたいです」

「うん、食べ終わったら貯めるね」


「はい。それで、今日は咲さんの背中を洗います」

「えっ!?」


「一緒に入れますか?」

「う、うん。大丈夫だよ」



お湯が貯まり入浴の準備が出来た。


「樹里、先に入っていいよ」

「はい、すぐに来てくださいよ」



私は少し迷っていた。


素直に今の乾いた心に従えば、樹里の手が肌に触れた途端にキスして抱きしめて、首筋と……。


でも、最初に会った晩以降、私達はキスしかしていない。

それは樹里が体の関係を拒んだことと、私も片想いで体だけ奪うような関係にはなりたくなかったからだ。


今、なぜ樹里は背中を洗うなどと言い始めたのだろうか。


やはり私と一緒にいるための対価を体で払おうとしているのだろうか。


さとい樹里ならあり得る。私の樹里への気持ちには応えられないから、代わりに欲望に応える。


このまま浴室の扉を開けたら駄目だ……


いっその事、樹里のお姉ちゃんだったら良かったのに……


(つづく)

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