エピソード10 後編
「用事が終わってしまったな」
「そだね。でもこれでお開き、勿体なくない?」
「ならカラオケにでも」
少し橘の目が鋭くなる。
「あの日の会計時、お忘れですか?」
よく覚えている。
気まずいタイミングに居合わせた女性店員が話題にしていたのだろう、俺たちが二時間コースを終えて受付にたどり着くと、さも「あー、事後だ」みたいな顔を全店員にされたんだったな。
「すまん」
「ホントだよ。せっかくのカラオケデビューが台無しじゃん。まあわたしにも大いに非があるんだけど」
「え!? 初めてだったのか!?」
「へ!? ち、違う違う、委員長のこと! 委員長のカラオケデビュー!」
「ああ、そういうことか」
遊び慣れた橘に限ってカラオケデビューなんてあり得ない。
とんだ勘違いだったな。
「じゃあさ、ゲーセンにでも行こっか?」
「ゲーセンか……。しばらく行ってないなぁ」
またまた悪夢がよみがえる。
アホとの二人旅のことだ。
まだ俺が小学三年生だった頃。そしてあいつが小学二年だった頃だ。
その時流行っていた美少女戦士のフィギュアがUFOキャッチャーの景品にされていたのだ。
素通りする俺の袖を引っ張って「取ってーー! 取ってーー!」とウザさ極まれりといった風に叫ぶ妹に、俺は諦めて財布を出す。
財布の中には八百円。子どもながらには大金なのだ。
戦の末、美少女フィギュアが妹の手に渡り、俺の財布は空になった。
今でもたまに思う。
妹の部屋に飾られたソレを見て「首へし折ったろか!」と。
「それじゃ決まり! いざ行かん! モザイク混じりの裏ステージへ」
「ち、ちょっと待て! そりゃどういう意味だ!?」
「知らない? ゲーセンって死角が多いから隠れてエッチなことしてるんだって」
「なんだと!?」
驚いていると、橘がセーターの裾を少しだけたくし上げる。
「お客さん、こんな景品ございますよ?」
「――――ッ!」
他の誰にも見えないように捲られたセーターの中からチラリと臍が顔を覗かせていた。セーターの下は下着だけのようだ。
この季節にしては分厚いな、と思ったらそういうことか。
「い、いいだろう。挑戦しよう」
「へ!? いや……冗談だったんだけどぉ」
「え!? そ、そうだよな。お、俺もだ。俺も冗談だ!」
互いに苦笑いをしながらゲーセンに向かった。
久しぶりに見たゲームセンター。小学生以来だ。
「まずはコレだね」
ゾンビが大量に出てくるガンシューティングゲーム。
ゲームはSFCで止まっている俺には荷が重い。
「よくわからんのだが」
「カーソル合わせてトリガー引くだけだからすぐわかるって。あ、弾切れしたら画面外撃ってリロードね」
「不安しかないんだが」
左右に取りつけられた紐付きの銃をお互い手に取る。
俺がピンクで橘が青。位置からして俺が女キャラである。
「なあキャラ逆じゃないのか?」
「ほら委員長ちゃん、構えて? なに? おっぱいが邪魔だって?」
「俺には付いとらんわ!」
華麗にゾンビをさばいていく橘と、ほとんど当たらない俺。
女は男に甘えるとしよう、と性転換を都合よく利用して橘を当てにする俺。
「委員長っ! 弾切れてる!」
「ああ……っ!」
焦りながら画面外を撃とうとした時だった。
何故か銃が軽く弾む。
「ち、ちょっと!?!?」
勢いよく右に振った銃は、男であるはずの橘のおっぱいに接触した。
「す、すまん!」
「果物は減点!」
「い、今の橘は男だから問題ない」
「うまいこと言っちゃって」
全クリとはいかないまでもステージ3終盤までは進めた。
と言っても俺はほとんど仕事していなかったが。
「いやあ、まさか男キャラの胸板狙ってリロードしてくるとはねえ」
「ぐ……っ」
両腕でおっぱいを隠しながら橘が言った。
反論の余地などない、そんな零れそうな果物を実らせた男がいるわけないからな。
「今度はコレ」
まるでアイスホッケー場のミニチュアのような、それはエアホッケーだった。
「やったことないんだが」
「わたしもない。だから正々堂々勝負だ!……委員長が勝ったら、裏ステージにご招待」
「なに!?」
裏ステージ、実に卑猥なエリアだ。
風紀委員長のこの俺が、そんなエリアに喜んでいるなんて。
「ニヤケすぎ」
「……すまん」
試合が始まり、俺が得点を重ねていく。
運動神経どうこうよりも適当にななめに打ってたら得点になっているという。
先に十点取った方が勝ちだからあと半分だ。
「ヤバ……っ、予想外の強さ……っ」
「どうした橘? まだ零点だぞ?」
「まだまだぁああ!」
試合は進み、九対八。俺のマッチポイントだ。
「これで終わりだぁぁああああ!」
「そりゃ!!」
信じられない光景が目の前に広がっている。
橘側のゴールが完全に塞がっている。
零れ落ちた果物によって……。
「ズルいぞ! 前のめり禁止だ!」
「悔しかったら委員長もどーぞ?」
「できるかッ! こっちはスカスカだ!」
俺が全力で前のめりになっても決して塞げないゴール。
あの柔らかさ、羨ましい。
それからしばらく、俺は負けた。
「やった! 正義は勝つ!」
ガッツポーズをしてみせる橘。
「それじゃ俺が悪みたいじゃないか」
「裏ステージと聞いてよだれ垂らすヒーローいる?」
「垂らしてない!」
口に手を当てて笑う橘に俺はついていく。
少しして橘が立ち止まったのはUFOキャッチャーのとある台。
中には手乗りアニマルズと題された小さなぬいぐるみが入っていた。
橘の視線を追ってすぐに分かった、にゃんにゃんを見ていることが。
「取ってやろう」
「要らない要らない。さあ他の他の」
すぐにその場を離れていく橘。アホの妹とは大違いの遠慮深さだ。
またしばらく歩いて、
「これ撮りましょー!」
「ええぇっ!? これは……っ」
客層はカップルか女子のみ。
ハードルが高すぎる。
「この中が裏ステージだったり?」
「嘘……だろ? みんな、こんなところで……っ」
「嘘だよ! するわけないじゃん!」
まんまと騙された。
橘の頬が赤いのは気のせいか。
中に入ると、橘が小銭を投入する。
「おい、割り勘だろ?」
「いいじゃん! 奢らせてよ」
「しょうがないなぁ」
適当に背景を選択し、撮影モードに入る。
操作は全部橘が行っているが手際がいい。
「四パターン撮影あるからポーズ合わせてね」
「合わす!? どうやって?」
「ヒント言ったげるから。……ほら最初、E.T.」
三秒間のカウントダウン。
昔見た映画を思い出す。
右に立つ橘が差し出してきた右手の人差し指を見て納得して、俺は左手の人差し指を出す。
それを互いに接触させたタイミングでパシャリ。
「バッチリじゃん!」
「あの映画は見たことあったからな」
「じゃあ次……名探偵!」
「はあ!?」
また三秒ルール。
橘はこちらに背を向けて、左手の親指と人差し指で作ったブイ字を顎に当てる。
見よう見まねで背中を合わせ、俺は右手で同じことをする。
そのタイミングでパシャリ。
「なかなかですなー、ワトソン君」
「わかるか、こんなもん!」
「次、肩組み!」
これは簡単だったが、組んでみるとすぐ近くに橘の顔があった。
頬にキスしたくなった。
そのいたずら前にパシャリ。
「……ねえ、なんで横向いてんの?」
撮影後の結果を見て言われた。
「た、たまたまだ!」
「ふーん……。じゃあ最後、ハート!」
橘が右手で作ってきたハートの片方に、俺の左手のハートを合わせる。
いや、これってカップルの定番のヤツ!?
パニック状態でパシャリ。
「いやあ、上出来ですなぁ」
出来あがりにご満悦な橘だった。
手渡された写真を見て、宝物にしようと決めた。
プリクラから出たタイミングで尿意の限界を感じる。
さっきから我慢していたのがマズかったようだ。
「すまん、トイレに」
「え? 言ってよ。お漏らし厳禁だよ」
もう一度「すまん」と言ってトイレに走った。
意外と場所が遠かったので少し待たせてしまった。
その結果、事件は起きる。
橘の細身な腕を掴むヤンキー男がひとり。
「なあいいだろ? ちょっとだけ」
走って合流すると、俺に気づいても橘の顔は怖かった。
いつもこうだ。
他人が介入すると、たとえ俺がいても全く笑わなくなる。
「ちょっと放してください! なにをしているんですか!」
「なんだよアンタ。え!? まさかカップルとかじゃねえよな? こんなガリ勉太郎みてえなヤツが彼氏とかw」
「彼氏じゃない! 友人だ」
「んじゃ退けよ。これからホテル行くんだから」
一度放した橘の腕を再び握る男。
男の力が強く、セーターの袖にしわが寄る。
「止めるんだ! 放せ!」
「チッ、うっせえな……。ならこれで勝負しようぜ?」
男が指差したのはパンチングマシーンだった。
これは知っている。昔から有名だ。
「これでお前が勝ったら退いてやる。俺が勝ったらホテル直行な?」
「そんなことできるわけ――」
「やってみれば?」
「え!?」
急に橘がそう言った。
俺の目を見てそう言った。
その目からは「信じてる」という言葉が聞こえるようだった。
「おおっ、彼女乗り気じゃん! つーか、実はホテル狙いとか?」
「いいだろう、望むところだ」
日頃、ショタ王子にしごかれたこの右腕。
拷問にも思える委員会の雑務に従事してきたこの魂を見よ!
「んじゃお前からやれよ」
小銭を投入してグローブをはめ、計測開始となる。
ちらりと橘を見やるも表情に変化なし。負けたら襲われるというのに怖くないのだろうか。
やれーやれー、と野次を飛ばすヤンキー男に構わず、深呼吸して精神統一をする。
「くぅぅわぁぁぁああああああああッッ!!!」
全体重を乗せるほどの右ストレートを叩きこんだ。
ピコンピコンと機械から計測音が流れたあと、
「はあああああ!?!? なんじゃこりゃああああ!!」
隣で男が叫んでいる。
画面には【二百三十キロ!!】と出ていた。基準が全く分からない。
「次はそっちの番だぞ」
「ち、ちょっと待て! 確認させてくれ」
グローブを取っていると、突然男が俺の胸や腕を触ってきた。
「固っ!! バケモンかっ!!」
「何を言っているんだ! そっちの番だぞ」
その時、男がフッと息を吐いた。
「完敗だ。こんな男相手にしてんだったら、俺とじゃあ満足できねえわな。お幸せにー」
後ろ手を振りながら男は帰っていった。
「何なんだ! アイツは」
「こうなると思った」
「え?」
隣に立った橘にはもう恐怖の面持ちはなかった。
「だってほら、お仕置き中に胸やら腹筋見えてたもん。自覚ないみたいだけど、委員長の身体アスリート並みだよ?」
「そうなのか!?…………なら、ショタ王子に感謝しないとな」
「そんなに雑務頼まれてんの!?」
「ああ、まるでベビーシッターのようだ」
「ベビーシッター……うふふっふ」
ツボにはまった橘が腹を抱えて笑っていた。
そして帰り際に言われたんだ。
「助けてくれてありがとね。…………カッコよかったぞ」
天使が微笑みながらそう言ったんだ。
悪い子にはエッチなお仕置きを! 文嶌のと @kappuppu
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