第36話 評論「コロナ禍から見える社会」

 コロナを見て何ヶ月前かに書いたワタシの文章である。  



 コロナが続く日本、1年半あまりずっと思い続けていたのは閉塞した社会が今もなお続いていること。さらには人が余りに極端から極端に何事も動いている現実だ。




 コロナ自粛結構である。


 しかし、コロナの何でも自粛ムードも考えものだと思う。


 人との対面での付き合いが全く日常的に無くなってしまった。それも1年半も続けば社会はもはやヒステリックな状態だ。


 人が人に会う行為は社会の営みの動かしがたい基本原則だ。人が人と会ってコミニケーションをとらない社会生活は異常だし、またストレスがたまらないわけがない。


 気を遣う人の中には、異常にまで神経質になる人がいる。厄介なのは、そういう人は必然的に、ストレスがたまりにたまっていて、他者にぶつけてくる事があるところである。


 ある公的な広い施設で、食事したタイミング前後で少しだけマスクを外して、友人と会話をしたら近くの50歳くらいの男性が「マスクとって話してんじゃねえ」と怒鳴ってきた。殺意さえ感じた。しかしなあ。「あなたはもはや外界にでないでくれ。」そう思ったが「申し訳ありませんでした」しっかり謝罪した。


 企業の話をすると、最近、ある会社で働く友人の職場では、自分が外食した情報が誰かから漏れてリークされ翌朝の職場会議ですぐ指摘される対象になるとか。なんだか殺伐とした人間関係だし、変な会社だ。極端なのは、なんにおいても変だ。




 逆のパターンを話そう。逆に全くてんで気を遣わない人たちが沢山いるのだ。いま外食に行くと店を選べば、だいたいはガラガラである。例えば、ファミレスなどに行くと、熱を測り、消毒をして、座席には、敷居のクリア板がされて、対策もされているし、コロナになるはずもなさげだ。


 ただ一方で、なぜか全く対策のされていない店もある。20㎡くらいのスペースの焼き鳥屋みたいな居酒屋に30〜40人が密接してごった返しているような場所もよく見る。もちろんアルコールが入ってのワイワイ大賑わいだ。


 オイオイ勘弁してくれよ。という話だ。なぜ気を遣わない??また店も席と席の間にスペース空ける配慮とかないのか?こんな店には税金投入して、給付金は出したくないよ。緊急事態宣言出てるのに謎でしかない。


 このような対極な場面に遭遇するたびに、日本人は極端から極端へ走る傾向があるのかな?、コロナでは如実にそれを反映しているのだろうか?と感じる。


 中間がいないのだ。ほどほどに注意しよう。だいたいコロナ対策に1番大事なのは免疫力を低下させないこと、それには規則正しい生活や睡眠だ。これが1番に有効なのは医学界隈でも異論の余地のない事実だろう。


 話を戻すが、これも一種のバランス感覚である。僕は、公言はしないが、混み合わない店や時間を選び、相手と相談した上で、この1年、会食を何回かはした。何かと遣っていて1対1でした。


 繰り返すが、極端から極端に走るような変な日本人の文化や風土が社会にはあるなとコロナではつくづく感じる。


 息が詰まるような変な社会はやめよう。僕は日々感じている。

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