第5話 「わたしの祖母」
私の祖母の記憶を綴ります。
数年前に99歳で亡くなった。かなりわがままかつ自由人だった。
大往生だ。泣かない事はないが特にすごく悲しくもなかった。苦しまずに老衰だったし母も介護から開放された。
うちのおばあちゃんの記憶はまず面白い記憶が多い。私が小学生のときにおばあちゃんは、麻雀荘を道楽で経営していた。呑気以外の何ものでもない。
見た目がどぎつい。当時は70代だったのだろうが高齢者とはほど遠い風貌をしていた。服の色は黒が多かったがなんとなくギラギラした服をきていたし厚化粧に派手なサングラスをしていた。
一回だけ、おばあちゃんがわたしの小学生の時の陸上記録会に応援に来た時があった。遠くからギラギラしたひとが近づいてくる。周りがざわつく。
おばあちゃんは全く気にしない。かなり恥ずかしかったが特におばあちゃんに何も言わなかった。
おばあちゃんは、やたら金持ちですぐに小遣いをくれる。母からお金をもらった記憶がなく3人兄弟の中で僕は遠慮というものを知らずもらえるなら拒まないし、みずからお金ちょーだいと悪びれずに頂いていた。悪いガキだった。
うちは代々、教員1家の両親でかなり真面目な家柄。
麻雀荘には、全く異なるチャランポランな人達が集まっていた。タバコの煙が充満し、子供に配慮なく話しかけてくるおっさんおばさんもいるし、ただ派手だけど優しい人達もいた。僕は人の多様性に幼少期に自然に触れることが出来た。
母におばあちゃんの昔の話をいつだったか聞いた話だ。おばあちゃんは実は生まれが華族とか言われるような金持ちの家柄で家にお手伝いさんが何人もいる家で育ったらしい。
しかしどこでどうなったかわからないが、数学教諭のわたしのおじいちゃんと結婚した。
戦時中を経験した逸話。私の母とおばあちゃんが住んでいた家に、夜にどろぼうが入った。
当時その我が家も戦時中であまり金持ちではなくなっていた。しかしおばあちゃんは母にいった。
私達はまだまだなんとか食べていける、でもあの人たちはどろぼうしないと生きていけないくらいに困っているんだよ、黙って盗ませてあげようね。
おばあちゃんのヒューマニズムだった。僕はその時にぼんやりおもったが人間の持つ1番大切な本質はみかけだけではわからないし、人間理解は難しいし、わがままなおばあちゃんにそんな側面があった事に率直に驚いた。
おばあちゃんは、政治家の悪口をしょっちゅう言っていた中◎根はバカだとか。
またわがままな逸話は数知れず。うちのやはり地域の生活相談をするようなクソ真面目な父親を運転手や、手下のように使うし、罵倒するし、どうしようもない側面ばかりあった。
しかし、僕にも毒も吐きながらも優しくして可愛がってくれた。
大人になっても、「れいはいつもいつも金くれ金くればっかり、何個おもちゃ買ったかわからないくらい買ったわよ、あんたは、わがままな子だったよ。
(どっちがだよ。私も思う)
おばあちゃんは、自分は、わがままなのは、棚にあげて、しかし、政治批判が鋭く辛辣だったこと、人づきあいでも、やはり、曲がった間違いを言う客なども徹底的に罵倒していたような気がする。
そんなところからわかるように、筋のとおらない事が大嫌いだった。
たくさんの愛情と学びを私にくれた大切なおばあちゃんでした。ありがとう、おばあちゃん。俺がんばる🥺
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