第24話 寧衣の後輩
時間も時間だということで、キャビーと別れた後に俺たちは一旦配信を停止して睡眠をとることにしていた。
SFO内の時間は現実世界での日本時間とリンクしており、SFOの世界ではどこにいても同じ時間帯となっている。というのもSFOの舞台は一つの大陸が舞台となっており、その大陸以外には行くことができないようになっているそうだ。そのうち大陸が追加されたりするんじゃないかとも噂されているが、憶測の域を出ることはない。
俺が現実世界に帰ってきた時にはすでに二十四時を過ぎており、ダイブから戻ってきた時の疲労感は舌し難いほどのものだった。
(……これ、ブラック企業ってレベルじゃないな)
朝の十時にログインしてから、小休憩を挟んで軽く十時間以上ダイブしていたわけだ。実際にはゲームをしているだけとはいえ、なかなかにハードである。
精神的にはかなり疲労するが、肉体は一ミリも動いていない。衰え防止のためにも定期的に運動もする必要があるなと考えていると、扉がノックされる音がした。
「どうした?」
「あの……開けてもよろしいでしょうか」
「……」
扉の奥から聞こえてきたのは寧衣の声ではなく、聴き心地の良いよく通る声だった。というかよく考えたら、あの寧衣がノックするなんて思えない。となると別人だろう。
俺が必至になって聞き覚えのないその声に該当する記憶を掘り起こしていると、ふと今日の配信の中の一つのやり取りを思い出した。それはリスナーからのタレコミで、ネイカが後輩に身の回りの世話をやらせているとか言われていた件だ。
(あれ、マジだったのか……)
いや、そんなことよりも、俺とネイカは同時にVRワールドから戻ってきたはずだ。こちらに戻ってきてから誰かが家に入ってくるような物音はしなかったし、VRワールドにダイブする前にも、小休憩を挟んだ時にも誰かがいたような形跡はなかった。
つまり、俺の記憶が正しければこの子は合鍵を持っているということになる。それではもうただの通い妻ではないだろうか。
そんなことを考えていると、しびれを切らしたように再び扉越しに声を掛けられた。
「あの、大丈夫ですか?何か具合が悪いとか……」
「い、いや、大丈夫……です。それより何のご用で……?」
「あ、えっと、ご飯を用意したので、もしよろしければいかがでしょうか?」
「あー、いただきます」
どんな距離感で接していいのかわからなかった俺は、少しばかり挙動不審な言動でその子と接するしかなかった。
ほら、初対面なのに上からというのはおかしな話だし、かといって妹の後輩をそこまで敬うのもまたおかしな話だが、妹はその後輩に世話になりっぱなしっぽいし……誰か正解を教えてくれ。
なんて思いながら部屋を出ると、そこには扉の前で俺のことを待っていた妹の後輩がおり、俺を見て深くお辞儀をした。
「初めまして。私は寧衣さんの後輩の雨野雫です。寧衣さんには大変可愛がっていただいていて……よろしくお願いしますね、お兄さん」
「これはどうも。俺は寧衣の兄の───」
俺が雨野さんに合わせるように自己紹介を返そうとした時、奥の方から寧衣の声が響いてきた。
「雫ちゃーん!まだー!?」
「今行きます!……お兄さんも行きましょう」
「あ、ああ……」
寧衣の声に憚られて自己紹介をしそびれた俺は、改めてという雰囲気にもなれず、結局名乗ることはできなかった。
……まあ、ただの寧衣の兄だし別にいいか。
「……うま」
それから食卓に着いて料理を一口食べた俺は、無意識にそんな声を漏らしていた。
そんな俺の声を聞いた寧衣と雨野さんが、嬉しそうな顔をする。
「でしょ!?雫ちゃんの料理は世界一なんだから!」
「大袈裟です」
「……なんで寧衣の方が嬉しそうなんだよ」
自分のことのようにはしゃぐ寧衣を横目で見ながら、俺はひたすらと料理を口の中に放り込んだ。
実はまともな飯を食べるのも朝食以来で、小休憩の時は寧衣が持ってきた謎のサプリを飲んだだけだったのだ。空腹は最高のスパイスというが、それを抜きにしても美味いと確信できるほどの雨野さんの料理に空腹が加われば、まさに至福と言わざるを得なかった。
しかし、そんな至福のひとときにも不安がよぎることはある。
「……もしかして、こんな生活を続けるのか?」
「こんなって?」
「今日みたいな生活ってことだよ」
「……?」
……いや、何か問題が?みたいな顔するなよ。
キョトンとする寧衣にそう思った俺が呆れた顔をすると、雨野さんもこちらに加勢した。
「そうなんですよ。寧衣さん、いつもこんな生活をしているんです」
「雫ちゃん!?」
「私が面倒を見始めてからはまだマシになったくらいで、前なんて……」
「ちょちょちょちょっとストップ!」
雨野さんの暴露を無理矢理遮る寧衣。
しかし、もはやそこまで言われてしまえばこちらも状況を理解せざるを得なかった。
「寧衣……お前運動とかしてないだろ」
「い、いや……そんなことは」
「そうなんです。私もいつもしてくださいって言ってるんですけど……」
「それで毎日夜遅くまで配信か」
「別に毎日ってわけじゃ……」
「大体この時間にご用意するようにしていますね」
寧衣の言い訳も無用とばかりに雨野さんからのタレコミが流れてくる。
いったいいつからうちの妹はこんなぐうたらに……いや、昔からそうだったか。
「寧衣、まあ遅くまで配信するのは仕事ってことで目を瞑るが、これからは俺と一緒に運動するからな」
「えー!やだ!お兄ちゃん家に帰すよ!?」
「そしたら私が家に入れてあげますね、お兄さん」
「な!?雫ちゃん!?」
「だそうだ。ていうか、母さんにバレたらもっと大変なことになるぞ?本当に返していいのか?」
「うぐ……お兄ちゃんは味方だと思ったのに!」
「寧衣が心配だから言ってんだよ。俺だって運動は別に好きじゃないし」
「うぐぐ……お風呂入ってくる!」
そう言って逃げるように浴室へと駆けていく寧衣の後ろ姿を、雨野さんと一緒に見届ける。
寧衣が座っていた席の前には、雨野さんの作った料理が半分ほど残されていた。
「ありがとうございます、お兄さん」
俺がそんな料理にもったいないなあ……なんて思いを馳せていると、不意に雨野さんがぽつりとそう言った。
「寧衣さんの体調とか、いつも不安だったので」
「いやいや……家族ですので。むしろこっちが感謝しないといけない立場なくらいで……」
俺が変にペコペコしながらそう言っていると、雨野さんが笑みをこぼした。
「ふふっ……あ、ごめんなさい。お兄さんの変わりようがちょっとおかしくて……寧衣さんと同じように接していただいて構いませんよ?」
「そ、そうか……そうするよ」
そのやり取りをきっかけに、俺と雨野さんの心の壁が一枚崩れたような気がした。
寧衣がいなくなって二人きりになった食卓は、会話は少なくとも、居心地は悪くないものだった。
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