第66話 あの日の約束


 私は私を確信している。もう手足は自由に動く。


 才能は確かだった。奇しくも私を縛っていた世界がそれを証明した。


 賢者という立場が降って湧いてきた。協会からは潤沢な資金を渡される。

 今乗っている馬車は、私の元来の志に比べれば大したものではないけれど、よくできた乗り物だ。量産化されれば大陸の交通網はもう一段便利になるだろう。新米賢者の半年の成果物としては上々である。


 漠然と感じていた不安はこの世の真を捉えていた。やはり私は間違っていなかった。


 ただ、それはあくまで私のこと。


 私が私を確信したとて、それは私の中だけの話だ。他人もその確信に巻き込めるかはまったくもって別の問題。


 気づいたのは、自信満々に魔報を打ち、そのよくできた馬車に揺られて轟々とリョーリフェルドに向かっている最中である。



 ──そういえば、ヴィム本人と、どこまで話したのだったか。



 一応言質は取ってあるのだ。忘れもしない、迷宮ラビリンスで二人仲良くとっ捕まって、私がもう一度フィールブロンに来ると宣言したあの日。ヴィムは確かに、俺も行きたい、と返してくれた。


 問題は、それが何年前の話かということである。


 きっと大丈夫なはずだ。私たちの仲で、いちいち確認はいらない。


 しかし状況は当時の予想とは大きく変わっている。私は賢者などという傍目からすれば大層なものになってしまったし、ヴィムはもともと希望していた魔術師ではなく、付与術師になった。私を救うために。


 これで志になんにも変わるところがないと、どうして言えよう。


 半年間何をしていたのかと聞かれれば返す言葉もない。


 ……い、一応、本は送ったのだ。


 手紙でも添えればよかったって? 多少の文通でもしていれば今更こんな不安に駆られることもなかったんじゃないかって?


 もちろん、返す言葉はない。


 私もまさか今日突然自分の不手際を思い出したわけではない。薄々抱えていた不安を先送りにしていたツケが、いよいよ襲ってきたという顛末である。



 馬車の前窓の硝子が屋敷を捉えた。



 門には両親と、それからヴィムが立っている。この半年でさらに背が伸びたようにも見える。


 私のよくできた馬車は見事に短時間で減速し、心の準備の時間を最高の効率で縮めきった。


 着いて、しまった。


 馬車の扉に手をかけた。


 私はそこで止まった。


 どうしよう。


 素っ頓狂な顔で、え? 行くって、どこに? とか言われたら。


 もしくは心底申し訳なさそうに、ごめん……と切り出されたら。


 いやいや、こんなことで重圧を感じる必要はないのである。開口一番やあやあヴィム! 迎えに来たぞ! と言ってしまえばあとは流れに任せてなんの問題もない。


 腕にぐっと力を入れて扉を押す。故郷の空気を久々に吸う。


「やあやあ久しぶり──」


 口は開いた。姿も見えた。あとは名前を呼ぶだけ。


 賢者に目覚める前の私とは一線を画している。私は私を確信している。手足はもう自由に動く。



「──ご両人!」



 自由に動くんだよ、うん。手足は。



   ◆



「……やあやあ、ヴィム。久しぶりじゃあ、ないか」


 やはり、ちょっと背が伸びているように見えた。


「ひ、久しぶり、ハイデマリー……へへへ」


 陰気臭い顔は変わらなかったけど、目鼻立ちが少し角ばったかも。たった半年とはいえ成長期の男の子なわけで、多少は雰囲気が変わるものなのかもしれない。


 ヴィムは鞄を背負っていた。魔報で伝えた通り、荷物をまとめたのだろうか。


 つまり、私に迎えに来られるつもりがあるということか。


 それにしては荷物が少なすぎるような気がしないでもなかった。


 私とあろうものが、何を察しようとしているのか。来る気があるのかないのか、さっさと確認すればいいだけではないのか。


 普通に聞けばいいだけである。聞こう。はい、一、二、三。


「お、送った本は、ちゃんと読んだかい?」


「……うん。暇だったし。その……付与術の本は少ない、からさ。載ってても各論が散りばめられた感じで。送ってくれたやつが一番、根本的だったというか。うん、とにかく、助かった」


「そりゃあよかった。しっかし、ちゃんと訓練してたんだね。感心感心」


 ダメだった。


 訓練をしていたということで、一つ安堵した。それはきっと、私と共に迷宮潜ラビリンス・ダイブに挑むための訓練である。


 そのはずである。


 だけどそれを確かめるための言葉が出なくて、私は黙り込んでしまった。


「……どうかした?」


「ん? ああ、いや? 別に? はは! 私の方も、訓練してたからさぁ!」


「……ハイデマリーは……その、何してたの、むこうで」


「そ、それがねぇ! けっこう意外なもんで、魔術に関しちゃ課題はもらうんだけど、疑問があったら聞くくらいの独学でね。認知訓練が主なんだ」


「認知訓練?」


「考え方について、考える。通り一遍のことと、人類と、それから先代が踏んだ轍を一通り知る。本もたくさん読むんだ。哲学書が多いかな。物語も一通り読んだよ」


「……賢者って、そんな感じなんだ」


「そう。私たちはね、答えを探さなきゃいけなんだよ」


「答え?」


「うん。考え続けることと、努力し続けることと、進み続けること以外でね。共同体や何気ない日常への回帰も禁止さ。そして、自分にとって一番大事で、魂の根源であることを自覚する」


「……なるほど?」


 話しているうちに、落ち着いてきた。


 背後に視線を感じる。先にさよならを伝えた両親が、私の一挙手一投足を見ている。

 青い日光が肌を焼いた痕を、風が拭って冷やしてくれる。新たな旅立ちの日にお誂え向きだ。


 こんな日にうじうじしているなんて、私らしくもない。


 一度、大きく息を吸った。


「まあ、そんな、役に立たない議論ばかりをしているわけじゃなくてだね」


 振り返って、後ろの馬車を指した。


「私の発明品だよ。魔道具と、魔術と、馬力の付与を組み合わせてる。列なり馬車よりずっとずっと速いよ」


「お、おおー……すごい」


「実は空を飛びたかったんだけどね。どうも物理的に厳しくてさ。あと、馬力の付与は難しいったらありゃしない。使えないこともないけど、本職には今一つ及ばない」


「へ、へぇ……」


「──ときに、ヴィム」


 積もる話がたくさんある。そして、それをする時間は、これから作る。



「迎えに来たぞ。まさか、心変わりしてはいないだろうね?」


「え、なんで?」



 ああ、腹が立つ。こっちの気も知らずに素っ頓狂な顔で返しやがって。



「よしきた。行くぞ、フィールブロンへ!」



 ヴィムの手を取ってぐいっと引っ張った。心なしか掴んだ腕も震えていたように思えて、反対側を向いて苦笑した。


 ──なんだ、お互い様じゃないか。

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