第65話 魔報
ど田舎のリョーリフェルドに魔報の使者が届いたものだから、旦那様も奥様も、使用人のシュトラウス家までひっくり返った。
魔報とは、伝達魔術と狼煙の暗号を駆使した文書の配達方法で、現在主流の通信としてはもっとも高速なもののうちの一つである。料金は超が付くほど高額であり、大貴族の訃報か他国からの宣戦布告、反乱を起こした領土への降伏勧告くらいにしか使われない。
屋敷の修復作業はすぐに中断され、旦那様が一同を使者の前に集めた。
駆け付けた俺に、奥様が尋ねた。
「ああ! ヴィムくん! マリーが、その、何かしたのかしら!?」
「……い、いやぁ……どうで、しょう?」
「賢者様たちに失礼があったら、うちはどうなってしまうの!?」
ハイデマリーのことだから、暴走することはないだろうなんて口が裂けても言えない。彼女は生まれてこのかたあらゆる教育を跳ねのけてきたので、先代の賢者のご指導ご鞭撻を無下にするくらいは平気でやりかねない。
使者は俺たちの聞く準備が整うのを待っていた。それからじっと半円状に視線を回して、おもむろに口を開いた。
「フィールブロンの時計台から、第七十四代目賢者様より、魔報が届いております」
やはりハイデマリーだ。
旦那様も奥様も、俺たち使用人も、少し俯いた横目で不安を伝えあって、何を言われても大丈夫なよう、心の準備をした。
何か文化財でも壊したのか、毒ガスでもまき散らしたのか、王侯貴族に失礼を働いたか、その結果、もしかすると処刑か。
唾を呑んで、そのときに備えた。
「『八半刻後に到着する。ヴィムは荷物まとめといて』とのことです」
旦那様は使者に続きを言うように促したが、首が横に振られただけだった。
*
荷物をまとめておけ、と彼女は言った。
たぶんそういうことなんだと察した。八半刻となると時間がない。急いで石炭室の隣の倉庫に向かった。
荷物といっても大したものはない。少しの服と、
問題は本だ。
この半年間、俺は屋敷の修繕をしている傍ら、ずっと付与術の勉強と訓練をしていた。
付与術の習得というのは一筋縄ではいかないもので、まずそもそも本が少ない。たとえば教会の書庫にあったのはごくごく初歩的な一冊のみで、他に付与術を目的とした教本は皆無である。
教会の書庫の品揃えが特別悪いのかとも疑ったが、どうもそういうことではないらしい。少し遠方の書店まで足を延ばしてみたりもしたけれど、付与術の勉強の仕方というのは原則的に、他の魔術師、神官、戦士向けの教本の付録を読み込むことが想定されているようだった。
必然、何か少しでも知ろうと思えば全職業の本を読むことになるので、積む分が多くなる。
持ち運ぶには多すぎるし重すぎるけど、その苦労をするには得られる内容は薄い。
結局、持っていくのは一冊だけにした。ハイデマリーがフィールブロンから送ってくれた古書だ。魔術全体について記してあって、珍しく付与術についての章が長い一冊である。
そうと決まれば早かった。本だけは比較的綺麗な手ぬぐいで包んで、あとはぽんぽんと作業用の巾着袋に放り込み、肩にかければ準備は終わり。
倉庫を出る前にこの地下室を振り返った。
一応、軽く礼をしてみた。
*
屋敷の門まで歩いていくと、旦那様と奥様が立っていた。
俺の装いを見て、二人もそういうことらしいと察したようだった。
「ヴィムくん」
旦那様が言った。
「あの子は、騒がしいなぁ」
「……はい」
「まだ、何かやってやれる時間はあると思っていたのだがな。あっという間に親より偉くなってしまった」
「……その、誰も、予想はできない、と、あの」
「だな。賢者だなんて、そりゃあ、思い返してみれば尋常ではない聞かん坊だった。魔力など持たない我々に、御せるわけもあるまいて」
俺が反応に困っていると、旦那様は自分で、いや、と切り返した。
「御そうとしたのがいかんかったのだな。何か掌の上に収めようとしたり、逆に切り離して落ち着こうとしたのが伝わったのだろう。あの子はきっと、そういうものが嫌だったに違いない。──これは、合っているかね?」
「……おそらく」
「そうか」
旦那様は息を吐いて、街道の向こうを見つめ、言った。
「あの子の友達でいてくれて、ありがとう。そうでなければ、あの子は文も寄越さなかったに違いない」
馬鈴薯畑のむこう側で土煙が見えた。遅れてどどう、どどう、と音がした。
馬車は異様な速度で門に向かってきていた。
あんまり速いので遠近感が狂ったかのような錯覚を覚える。そしてどうやらこの門の手前で止まるべく急に減速したらしいとも気づき、そこまでわかるころには馬車はもう目の前まで来ていた。
四頭の馬に引かれた、奇怪な車だった。
材料からして木ではなく、機械めかしい鉄骨が張られている。停止してなお残る勢いを殺すように前後にぐらぐら揺れ、そのたびに車軸と車体の間に挟まれている機構がプシュッ、プシュッと空気を吹いていた。
馬車の扉が思っていたより上の方で開いた。
「やあやあ! 久しぶり! ご両人!」
ハイデマリーがいつもの調子でぴょこっと顔を出し、俺たちの方に向かって掌を見せた。
彼女は車内から重そうな袋をドカッと落として、その隣にとんと降り立つ。
服装が変わっていた。動きやすそうな白い一枚布のつなぎ服を着て、同じく眩しいくらい白い帽子を被っている。
この特異な服装の感じには覚えがあった。
冒険者の服装だ。防御だとか魔力だとかの都合で、派手に、目につくようになっていくあの感じ。
奥様が真っ先にハイデマリーの方に駆け寄っていった。
「もう、来るならもっと前から言ってくれていたらよかったのに」
「ん? いきなり押しかけるのも良くないだろうから、わざわざ魔報なんてものを使ったんだぜ?」
「それはそうかもしれないけど」
ハイデマリーは奥様に一瞥をくれて、今度は落とした袋をひょいと担いで歩いてきて、旦那様の前に置いた。
「はいお父様。これ、金塊ね。屋敷の修繕費に充てて。証文も入ってるから、足りなかったら換えて。あと復興計画案とかも入れてあるから参考にして。各所には話が通しておいたけど、調整が要るときは連絡ちょうだい」
「あ、ああ……有難い、が、マリー?」
「なんだい、お父様?」
「ずいぶんその、性急だな。まずはその……お帰りなさい」
「え、別に帰ってきたわけじゃないんだけど。すぐ行くぜ?」
「……そうかぁ」
ハイデマリーの後ろから、置き去りにされた奥様が追いついてきた。
「こら! マリー! ただいまくらい言いなさいな!」
「えー、はいはいただいまただいま」
「もう、なんの便りも寄越さないんだから」
「怒らないでくれよ。訓練が忙しかったんだって。今日だって訓練の合間を縫って、故郷の修繕のために来たんだよ」
「だからって──」
嵐のようにやってきて、自分の都合で周りを引っ掻き回す彼女は、半年の空白があって、風貌が変わっても、いつも通りだった。
それだけにちょっと妙だった。
さっきから、ハイデマリーと一度も目が合っていない。
出発の準備をしろと言われたと思ったのだ。
なのに、こう、最初に発されたのが「ご両人」だけだったのもちょっと気になってしまった。単に両親と会話しているだけなのに。
つまるところ、疎外感を覚えたとか、勝手に期待をして肩透かしをくらってしまったとか、そういうわけで。
軽いはずの荷の重さを、少し感じてしまった。
「──それじゃあね、ご両人。たぶんもう帰らないから、達者でね」
不意に彼女はそう言って、両親との会話を切った。そしてくるっと回ってこちらを向いた。
紛れもなく、俺の方を。
「……やあやあ、ヴィム。久しぶりじゃあ、ないか」
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