第39話 誤算

「順調じゃないですか。一風変わっているだけで」


 グレーテさんは言った。手樽ジョッキ片手に。


 泊まり枝の夜は大分深まってきて、表の通りの人も一番多い時間を過ぎて減ってきたくらいだ。


 スーちゃんは酔ってるんだか酔ってないんだか、私たちとは目を合わせずにぶつぶつと、ぽつりぽつりと話し続けていた。


「……そうかい? 楽しくはあったけど」


「っかー! いいですねぇ愛された女の子は可愛らしくてねぇ! よしよし可愛いスーちゃん、なでなでしてあげましょう」


「やめろやめろ! というかてめえ酔ってるフリだろうが!」


「ちっ、バレたか」


 前から思っていたけど、やっぱりスーちゃんとグレーテさんは仲が良い。グレーテさんが撫でようとしてわちゃわちゃして、私がそれを見て笑うという感じ。



「まあ、そうだよね。全然違うよね、今の私たちとはさ」



 そしてスーちゃんは、また遠い目をした。


「ヴィムは魔術師にはならなかったし、あれだけ暴れ散らかして迷宮ラビリンスにやってきた私の生活は、冒険一辺倒とは言い難い塩梅に落ち着いてる。あのときの私が今の私を見れば怒り狂うことだろうさ」


「そりゃあ未来の自分が変態ストーカー女に成り下がっていて喜ぶのは考えづらいですよ」


「ぐふっ……」


 ……ちょっとここは笑いどころなのかわからないけど。


「だから、何か、あったわけですよね?」


 グレーテさんは表情と声色を変えて言った。今度はちょっと真剣に。すると場の空気もそれに合わせて真剣になった。


「ラウラはともかくさあ、牛娘、君が想像つかないのは問題あるだろ。フィールブロンで冒険者を相手にして何年だい」


「あれ、何かヒントありましたっけ」


「……君たちは忘れているかもしれないけどねぇ、私は賢者なんだ」


「……あっ」


「者どもひれ伏せ、こちとら七十四代目の賢者様だぜ。すべての職業魔術を使用し、魔術の基礎単位を創造する最強の職業。ただ、それは賢者になるまでの話」


 私は全然だったけど、グレーテさんは何かわかったみたいだった。



「──ときどき考えるんだぜ。もしも私が賢者じゃなかったら、って」



 それはきっと、酔っていないと言えないような、弱音みたいなものだった。


「でも、それは違うんだよ。私が賢者じゃなくて戦士か魔術師で、それでヴィムも魔術師になれていたらって、そんな都合の良い話は違うんだ。そんな世界の私は迷宮ラビリンスを目指すこともなかったろうさ。あいつが私に興味を示すことだってなかったに違いないよ」


 その懇々と言い聞かせるような口調には、私みたいな他人が口を挟める隙間なんてどこにもないように思ってしまった。


「すべては最初から決まってたんだ。全部、全部繋がって、一本の筋が通ってる。だから余計に、言い訳のしようがないんだよ」





「一応聞いておくけど、ヴィムはもう志望職に変更なし?」


「……うん」


 のどかな昼下がりの丘の上で、地べたに座って語らっていた。


 職業取得の儀式を控えた俺たちは、体力を蓄えるべく数日はたっぷり休まねばならないのである。


「あの山刀マチェット裁きからして戦士の適性出そうだけど。適性があったら取ったりしないの」


 そして儀式が始まるまでにやっておかねばならないことがもう一つ。


 志望職決めだ。


 単に一通り考えるだけじゃない。職業の適性は儀式が始まるまでわからないから、あらゆる適性が出る場合に応じてそれぞれどうするか、ということを事前に検討しておかねばならない。


「……しない。魔術師一本でいく」


「ずっと思ってたけど、ヴィムって頑固だよねぇ」


「そう……かも」


「……そういうハイデマリーはどうなの」


「あ、いやぁ……」


「……変えたの?」


「いや、実は、まだ決めかねていてね」


 彼女にしては珍しくまごついていたので意外だった。


「……戦士になって剣を振るんじゃないの」


「身長伸びなかったからさぁ……」


 彼女は身長のことになると口が重くなる。本人も想定と違ったから相当コンプレックスに思っているらしい。


「いやね? そりゃまあ魔力次第ではあるんだけど、素の膂力というか、物理的に体格の差ってあるからさぁ。別にこう、自分の体がうまく動く爽快感が欲しかっただけで、そこまでこだわるほどの希望があったかというと、うーん」


「なるほど」


「だからまあ、魔術師が無難なんだけどね」


「じゃあ、魔術師?」


「いやほら、魔術師と魔術師ってちょっとバランスが悪そうじゃないか」


 ん?


「どういうこと?」


「……え、て、てめえ、私と組む気がないのかい?」


「……え?」


「……忘れろ。というかね、実は、どれもピンときてないんだ」


「ピンときてない? 迷ってるとかじゃなくて?」


「わからない。心惹かれるものがない。戦士か魔術師のどっちかで、適性のあった方にするつもりだけど……」


 迷っているなら、何か俺が助言でもできた余地があったかもしれない。


「なんでか選ぶこと自体が的外れなような、そんな気がしているんだ」


 だけど決断を先送りにしている割には彼女の目はどこか据わったような雰囲気があって、俺は何も言えなくなってしまった。


「なんにせよ明日だぜ。“繭”の辛さに音を上げるんじゃねえぞ」


「いや、たぶん、相当短いから……へへへ」


「じゃあせめて、私がもがき苦しんでるのを笑っておくれ。そのくらいの楽しみはあっていいだろう、はっはっは」


 彼女はいつもみたいに快活に笑った。



 ──思えば、ここまでは順調だったんだ。



 あのとき狂った歯車で、俺の人生は大きく変わってしまった。そう言うのが多分一番簡単でわかりやすい。


 でも俺本人の感触としては少し違う。語るべきは歯車の大きさで、俺という部品があまりに小さすぎたことが原因と言えば原因だった。


 逆に言うならばそれは、俺の近くにいた一人の女の子が、人々の想像を遥かに超えた巨大な歯車であったという話なのだ。

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