幕間:冒険少年ではなく

 ヴィムが魔力から目覚めてしばらくが経った、ある日のことである。


 いつも通り起床して、伝声管をスプーンでカンカンと叩いた。すると向こうからもカンカンと返ってくる。


『こちらハイデマリー、起床した。どうぞ』


『こちらヴィム。いつもの伝令です。どうぞ』


『要求は? どうぞ』


『はい。まず最初にですが、奥様から、先日の社交界でぶん殴った伯爵のご子息の分はちゃーんとお作法の授業を受けなさい、とのことでして、どうぞ』


『お断りだね。それよりも調達した服の具合はどうなっているんだい、どうぞ』


 極めていつも通りのやり取りだが、今日は一つだけ違うところがある。


 本日は新調した衣服を受け取る日なのだ。


 去年から私の身長の伸びは止まっ……小休止に入っていた。それに伴ってか、まるでこれからより一層の土台を作るべく骨が太くなっていく気配があったのだ。腰回りと肩の周りが少しキツくなってきていた。


 これから二段階目の成長が待ち構えているのである。はっはっは。


『はい。ええと、新しい服もあります。ズボンとシャツが五着ずつ、それから八着の下着、上下あります。どうぞ』


『よしよし。どう……』


 ……ん?


 ほんっとうに、いつも通りのやり取りなのである。



 なのに、なぜか引っかかりを覚えた。



 なんだなんだ、私は何に引っかかっている?


『……どうかした? どうぞ』


『すまないヴィム、聞き逃したからもう一回言ってみてくれ、仔細に。どうぞ』


『あっ、はい。仔細……ですか。ええと、ズボンとシャツが五着ずつ、普段と変わらないやつ……が一サイズ大きくなっていると思います。それから八着の下着、上下。こちらも注文通り一サイズ大きくなってますが……作りも種類も違いますね。あと、えっと、生地が変わってます。……こんな感じです。どうぞ』


 おう?


 手に持った表と見比べる。問題ない。


『あの……ハイデマリー、どうかした? 間違いがあるなら別に、取り換えてくるけど。どうぞ』


『あっ、えっ、なんでもない、けど? はっはっは……どうぞ』


『あ、はい。では、えっと、荷物を』


 そこからはいつもの通りである。私が荷台を降ろしてそこにヴィムが物資を載せて、引き上げて。


 ベッドに座る。深呼吸をする。


 なんの問題もない。


 なのに動悸が激しい。


 心当たりがないのとあるのと、どっちも相反して一緒にある。


 感じたことがない気分だった。いや、振り返ってみれば薄々は思っていたような。気付かないふりをしてフタをしていたものが、今開いたような。


 え? え?


 なんだこれは。



 私は一体、何を恥ずかしがっている?





 このリョーリフェルドの地に単身嫁いで来た身としましては、できるだけ早く子を為し夫の後継ぎを立てねばならないと思っておりました。


 周りからもそう諭され、急かされていた記憶があります。


 しかし私たち夫婦の間には長らく子供ができませんでした。


 そんな中でも夫はしかと私を愛してくれましたし、離縁を迫ることもありませんでした。辛抱強く待ってくれながらも、子供なんてできなくていい、後継ぎは甥や弟に任せたっていいんだとも言ってくれました。


 授かりものですから私も焦らないことにしました。何かを懸けて無理やりというよりも、心の余裕を持って、そのときが来れば全力で我が子を愛してやれる準備をしようと、そういう心持ちで過ごすことにしました。



 そうしてようやく生まれた一人娘が、ハイデマリーです。



 男の子ではありませんでしたが、そんなことはどうでもよくなるくらい、玉のように可愛らしい子でした。


 遅い子でしたから不安もありました。この子はちゃんと大きくなれるのだろうか、健康な体に産んであげられたのだろうかと毎夜毎夜考えておりました。


 しかしそんな不安は杞憂なんだと言わんばかりに、ハイデマリーはすくすくと元気に育っていきました。



 ……元気溌剌すぎて、別の方面で不安になってくるくらいには。



 まず物心ついたころから反抗期と言わんばかりの激しさで、眠いときかお腹が空いたときくらいしか甘えることもありませんでした。


 自室を占拠したと言い張ったときは驚きましたが、放っておいたら化粧台や箪笥たんすを割って木端を釘で扉に打ち付け始めたころには、やはり私が何か悪かったのではないか、と後悔の念すら芽生えました。


 もちろん叱りもしました。


 だけど逆にこちらが思い知らされたことがあると言いますか、自分の経験に照らし合わせて想像するような親への反抗というものは、所詮親への本能的な愛情、構ってほしいという合図の一種であって、ある種の手加減が含まれていたのだと知りました。



 あの子は構ってほしいとかそういうわけでもなかったのです。



 小さいとはいえ立派に手足の動く一人の人間が全身全霊で反抗してくることの恐ろしさ、可能性というものを考慮していませんでした。


 挙句の果てには、そうです、子供の身でフィールブロンに渡るなんてことまでしでかしました。


 あのときの心労を思い返すだけで、私たち夫婦は卒倒してしまいます。



「……このままではさすがに婿を貰えんな」



 夫は執務室の机に肘をついて大きなため息をつきました。


「そのうち落ち着くものと構えていたが、あの子ももう十四だ」


「ですねぇ」


「……女の子は早熟、と聞いていたけども」


「早熟な女の子、というのは男遊びを覚えたとかそういうお話ですからあまり気にしなくても……いえ、その方面でも遅いような気がしますねぇ」


「……二、三年前は健全で良いと思ったものだが。あの暴れ具合と比べればさすがに男遊びでもしてくれた方がまだ安心できたのではないか、とも考え始めてなぁ」


「そんなこと言って、いざ男の子を連れてきたら大慌てでしょうに」


「それはまあ、父親だからな? ……にしても、そろそろ婿探しを考えねばならんし、いい加減落ち着いてもらわなければ」


 本当に、そうなのです。もはや喫緊の課題とも言うべき有様でした。


 親の強権はとっくに使っていました。

 フィールブロンから連れ戻した直後に、私たちはあの子を遠方の花嫁学校フィニッシング・スクール、特に矯正施設の意味合いが強いところにもやったのです。心を鬼にして、もう身包み剥いで簀巻きにして連行しました。


 結果は、学校の寮が原因不明の爆散を遂げるというものでした。


 もはや私たちにもどうすれば良いのかわかりません。あの子が改心するか、それとも国家があの子に手を下すかの二択に思えてなりません。


「そうですねぇ、やはり好きな男の子でもできたら、落ち着きますかねぇ」


「……それは、どうなんだ? 聞く話ではあるが」


「人によります」


「だよなぁ。そもそもあの子にそういう気がある気がしない」


 二人で大きくため息をついていると、コンコン、と執務室の扉が叩かれました。



「あー……お父様」



 コリンナかと思えば、驚いたことに現れたのはハイデマリーでした。


 何年ぶりでしょうか、こうしてまともに顔を合わせているのは。

 夫と横目で意思を通じ合わせました。


「その、頼みがあって」


 頼み! 頼みです! あのハイデマリーが、私たちに頼みという形で会いに来たのです!


「ありまして」


 しかも自分から敬語に言い換えました! これは本気です!


 身を乗り出しそうになりましたが、隣の夫を見て、鏡を見るように我に返りました。


 ……どうどう、待ちましょう、夫よ。そんなに喜色を前面に出してはなりません。


「物資の配給なんだけど、その、あれだ」


 この子にしては珍しく、本当に珍しく、もじもじしていました。

 頬を赤くして言うか言うまいかして、そして参ったと言わんばかりに弱弱しく言いました。


「……お母様の管轄だと思うから、お母様だけに言おうと思うんだが、どうですか」


「なんだいマリー、親子だろう。遠慮はなしに──」


 夫が寄り添おうと意図して優しい声で応えようとする中、ぴん、と来ました。


 すぐに夫の言葉を遮りました。強めに。


「あなた、ちょっと私が話を聞くわ」


「お、おう……」


 そそくさと庇うようにして二人で廊下に出ました。


 これは母の勘でした。


 ハイデマリーは力ない感じで、でも緊張して立っていました。


 なんということでしょう、我が娘に言うべきことではありませんが、完全に男の子のそれとしか思えなかったあの子の挙動が、きちんと十四歳の女の子然としているように見えたのです。がに股でしたが。


「で、なんなの。ほら、言ってごらんなさい」


「……その、あれだ」


「敬語」


「……あれ、です」


「なあに?」


「その」


「はぁい?」


 複雑な顔をして、ちょっと額に汗をかいていました。

 こういうとき、親は不安定な態度でいてはいけません。どっしりと構えて待ちます。


 ハイデマリーは決意して、頭をくいっと上げるのを助走にして言いました。



「服はっ、その、自分で全部取りに行くから。それだけは物資の配給から外してもらって構わない……です」



 それの意味するところを掴むのに幾分かかかりました。


 あら、そんなこと? 大げさね、それならわざわざ言いに来なくとも、いつもの通りヴィム君に言伝を頼みそうなものなのに──


 そこまで考えて、ようやく気付きました。


 まさに、まさにそうやって言伝を頼めないことが勘所。


 そしてこのように大げさに振る舞ってしまうことが、単に同い年の異性の目が気になるということ以上の真剣さの証拠でした。



 わかりさえすれば、思わず抱きしめてあげたくなってしまいました。もちろん、グッとこらえました。



「わかったわ」



 できるだけ優しく言いました。理解ある感じと意味はよくわかっていない感じを装うのと半分ずつになるように。


 その瞬間、ハイデマリーはありがと! と言って反対側に走り出してしまいました。





「……結局、なんだったんだ?」


 執務室に戻れば、呆けた顔の夫が待っていました。


「母と娘の秘密です」


「……気になるな」


 私はちょっと得意になりました。


 夫に言ったら変に不安にさせてしまうかもしれませんので内緒です。思えば私も、さすがに十四よりは前でしたが、父には知られたくない類の気持ちを抱えていたような、そんな時期があった気がします。


「……もうちょっと、見守ってあげてもいいかもしれないですね」


「これ以上……? 本当に大丈夫なのか……?」


「あの子もあの子なりの歩幅で成長しているみたいですよ?」


「だといいんだがなぁ」

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