第5話 個人的闘争
朝。
常に臨戦態勢である私の寝起きは非常に良い。
個人的闘争の日々における睡眠のコツは短く深く、だ。
自室の扉に見えるは、化粧台やら天蓋やら不要な家具を切ったり折ったりして組み合わせて作ったバリケード。
この自室は親から与えられたものではない。
最初こそ親から与えられたものだったが、私が自分の意思によって占拠した。
個人的闘争において、敵からの施しは禁物。
もう何年もここに人を入れていない。使用人はもちろん両親も。
カーテンを開けると、窓に打ち付けた木の板の隙間から朝日が差し込んできた。
日光を軽く浴びるといよいよちゃんと目が覚める。
お腹の底から活力が湧いてくる。
……足りないものは足りないので、鳴ってしまうけども。
ベッドの下に隠していた缶を取り出して、開ける。
中身を確認する。
──もう大分、貯まってきた。
目標額まであとちょっと。
実のところを言えば余裕を持たせた額だから、もう実行自体はできる。
だけど我慢。
私はまだほんの子供。大人の力には敵わない。
なら、頼みの綱くらいは万全でないと。
缶をしまいなおす。
よし、では私の一日を始めようじゃあないか。
部屋の窓側に設置した、ラッパの口のような金属の管の前まで行く。
雨樋を改造した伝声管だ。
下の受話器まで伝わるよう、中指の第二関節を強めにコンコンと当てて合図をする。
少し待つ。
するとむこうからもコンコンという合図が返ってくる。
よし、ちゃんといるな。
『こちらハイデマリー。起床した。どうぞ』
『……あっ』
ん?
むこうから聞こえてくる声が、いつものエルマさんの声じゃない。
子供、多分男の子の声だ。
ガキでも忍び込んだか?
『誰だお前は。エルマさんはどこだ』
『あのっ……その、今日から、あの……』
『……あ? 誰だって聞いてんだけど』
『ひぃっ……すみません、お嬢様。あの、きょぅから、ですね、その』
そこらのガキが屋敷の中に侵入したと思ったが、様子からするに違うらしい。
窓に打ち付けた板の間から庭の方を覗く。
見えたのは小柄で背筋が曲がった、黒髪の少年だった。
思い出した。
『お前、あいつか。ヴィムか。ヴィム=シュトラウスか』
『……はい! はい、そうです』
声のトーンが上がっていきなり大きくなった。
『うるさい』
『……すみません』
『そうか、そうだったか』
『……はい』
朝だから昨日のことをすっかり忘れていた。
そうだ、あの忌々しいお父上が、何をトチ狂ったかこいつをお付きにしてきたのだ。
朝からむかっ腹が立ってきた。
『……今日の要求を言え。どうぞ』
『……はい。ょうの』
受話器を強めに耳に当てる。
いまいち、何を言っているか聞き取れない。
『もうちょっと大きな声で言ってくれ。どうぞ』
『……から、……まで、で』
『はっきり言え愚図! 聞こえないだろ!』
『ひぃっ!』
私が叫ぶと、無音になった。
いくら受話器に耳を当てても何も聞こえない。
『おい! 応答しろ! こら! こちらハイデマリー!』
叫べど反応が返ってくることはなかった。
また窓から庭を覗く。
ヴィム=シュトラウスは受話器から一歩離れて、おろおろしていた。
助けを求めるようにあちらこちらをキョロキョロして、そこから一向に行動を決める様子がない。
為す術がない。
行き場を失ったむかっ腹が、外に出ることなく私の中でぐるぐる回り、増幅されて湧き上がる。
「おい! 応答しろってば!」
ついには伝声管じゃなくて直接下に向かって大声を出した。
その声はおろおろしている彼に届いたみたいで、一瞬、こちらを向いた。
意思疎通の気配がして、怒りをぶつけられると思った。心の中で助走をつけて、説教でもかましてやる気が満々になる。
と思ったら、彼は顔を伏せて縮こまった。
「……は?」
拒否。
単なる対話の拒否。
それも積極的に拒んできたのではなく、消極的に逃げ込むような、なんの覚悟も見えない拒否。
「……こら」
プツン、と私の中で何かが切れた。
「こらあ! おら! ごらぁ! 早く答えろ! おい! おいいいいいいいい!」
叫ぶ。ひたすら叫ぶ。あいつが反応を返すまで、怒鳴りつけるにはちょっと遠い距離で叫び続ける。
「きけよこのグズが! おいいいい! 聞こえてんだろ! おい! おい!」
しかし彼が反応を返してくれる様子はない。
喉が痛くなってきて、ぐるぐる回っていた怒りが空に発散されるみたいになった。
というか疲れた。私はすぐにイラつくけどそれが長続きする方じゃないんだ。
……ない、張り合いが。
こうもすぐに引かれると、イラつきをぶつけられない。
一時的に膨らんだ怒りが頂点を過ぎて、行き場を失ってぼやけてしまう。
毒気が抜かれてしまった。
『お、おい!』
受話器から多少離れていても聞こえるように、それでいて怒りを混ぜないように、大きめに声を出した。
『要求を言ってくれ。怒らないから。どうぞ』
そう言いつつ庭の方に目を配る。
彼はそろーりそろーりと受話器に口を近づけていた。
『……午前にお勉強と、午後にお稽古です。その、お勉強の先生はもういらしてます』
彼なりにはきはきと喋ってくれたのか、今度は聞き取れた。
『お勉強は論外。そのお稽古とやらの内容は? どうぞ』
『……ダンスと、お作法です』
やはりか。
『お作法も論外だな。ダンスの方だけ受けよう。もちろん日没後。指示書にもそう想定されているはずだ。報酬は? どうぞ』
『……食料二日分と、本三冊の注文です。いただいた表の通りに手配する、と』
……ふむ。
思案する。十分ではあるが。
『六冊だな。どうぞ』
『えっ……』
ふっかけてやった。
『あの……その、旦那様は』
『おいおい、娘のところに出向けもしねえクソ親父の言伝なんて、こっちは無視したって構わないんだぜ? 君が頑張る意味もないだろう。あいわかったと伝えれば済むんだ。 どうぞ?』
これからの交渉相手がこいつになるのなら、相場を低く勘違いさせるようなことはあってはならない。
『……わかりました』
大きな抵抗もなく、こちらの要求は通った。
思ったより話がわかるやつみたいだな。
『取引成立だ。本日の物資を寄越したまえ』
物資搬入用に残している窓を開ける。
滑車付きの棒を外に出して、縄を引っかける。その縄に犬が乗れるくらいの木の板を括りつけて、ゆっくり庭まで降ろしていく。
握っている縄が軽くなる。板が地面についたようだ。
また庭を確認。
ヴィムは持ってきた物資を、のそのそと板に載せていく。
載せ終わると、再び伝声管の受話器に口を当てた。
『置きました』
『……了解。やりとりがしにくいから、言うこと言ったら「どうぞ」って言ってくれ。どうぞ』
『……承知しました、その……どうぞ』
『よし』
物資を引き上げ、落とさないように部屋へ運び込む。
積載物と手元の表と見比べる。
よし、今日の
二日と言わずにしばらく保つな。
あと、着替えだ。
三日分の下着と……よしよし、変なドレスは混じっていない。しっかりと丈夫めなズボンだ。
お母様が抵抗してやや可愛いフリフリを残しているのが気になるが、まあ切ってしまえば問題ない。
『確認した。帰っていいよ。どうぞ』
『……その、あの……』
『何、まだ何かあるの。どうぞ』
『その……奥様から、伝言です』
一応、聞いておくことにする。
『何? どうぞ』
『危ないことだけは許しませんからね、と。どうぞ』
きまりが悪くなって、伝声管に蓋をした。
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