第4話 白羽の矢

「スーちゃん、お嬢様だったの?」


 隣でテーブルにぐてー、と突っ伏しているスーちゃんは、お嬢様という言葉からはほど遠いように見えた。


「だったとはなんだいだったとは。今だって宛名にゃお嬢様フロイライン・リョーリフェルドと書かれているんだよ」


「こんなこと言う癖にお嬢様って言ったら怒るんですよ」


 グレーテさんは前から知ってたみたいだ。


「まあときどき見える世間知らずさとか浮世離れした感じがお嬢様っぽいと言えばお嬢様っぽくないですか?」


「んだとコラ、あんなやつらと一緒にするな」


「ほら怒る……ふふっ」


 お嬢様ってコラとか言わないんじゃないの……?


「なんだい、ラウラ。疑ってるのかい」


 そんなことを考えていると、スーちゃんは酔って赤くなった顔をこちらに向けた。


「ラウラちゃん、私も貴族のお嬢様をお迎えしたりお話したことはありますけど、こんなんじゃなくて大体想像通りでしたよ。スーちゃんがお嬢様の中でもいっとう変な子というだけです」


「こんなんとはなんだ。あいつら陰湿も陰湿な人間の──」


「それは別の話ですよ。スーちゃんは人の陰口を言うのが嫌いですもんね。いーこいーこ」


「なあ牛娘、お前私を舐めているだろ?」


 グレーテさんは力なく抵抗するスーちゃんの頬をつんつんと突いたり撫でたりして遊んでいる。


「あいつらも別に普通の人間さ。家じゃ私と変わらないくらいにだらだら気楽に過ごしてるに違いないぜ。子供の頃なんて特にさ」


「そりゃあ多少くだけて話すことはあるでしょうけど、物を壊したり誰かを殴ったりなんていうのはスーちゃんだけじゃないんですか。荒れすぎの部類では?」


「そんな無意味な破壊などしていない! 窓とかは……その、突入の関係上だよ。仕方のない犠牲だったんだ」


 スーちゃんはバン、テーブルを叩いたものの、すぐにしどろもどろになった。


 それから、また遠い目をして大きく息を吐いた。


「……まあ、うん。荒れていたことは認めるよ」



 全身脱力してもう何分経ったか、そろそろいい加減この両腕をがっしりと掴んでいる執事も油断したんじゃないかという目算が立った。


 意を決する。

 急に力を入れてあいつの方に飛び出す。


 が、ダメ。

 一瞬だけ抜けられそうになったものの大人の男の力には勝てず、敢えなくまた捕縛されてしまった。


「これ、ハイデマリー。隙を見て殴りかかろうとするのをやめなさい」


「……くそう」


 お父様は執務室の椅子にふんぞり返り、偉そうに喧嘩の仲裁でもするつもりのようだった。


 むかっ腹が立ちっぱなしだった。

 あのヴィムというやつは無害かと思えばとんでもない。

 あろうことか「片腹痛い」など、さぞかし昔から暴れる私をあざ笑っていたのだろう。


 ……そうか、見下されていたのか。


 言葉にしてみると余計に腹が立ってきた。

 今すぐにでもボコボコにしてやりたい。


「そんな目をするのはやめなさい。昔からの仲なんだから」


「知らないね、こんなやつ。話したのも今日が初めてだ」


「殴ると話すは違うぞ……」


 お父様は大きな息を吐いた。


 それからコリンナさんに連れられているヴィムと、執事に羽交い絞めにされている私を見比べて言った。


「コリンナも、そう怖い目をするな。私もヴィムくんをどうこうするつもりはない」



 ヴィムはうつむいていた。

 表情が読めない。私が殴った頬は腫れていたけど、笑っても泣いてもいなかった。


 さすがに、その腫れは少し目立って見えた。


「ですが旦那様、この子がお嬢様に失礼を。ほら、ヴィム、お嬢様に謝りなさい」


 コリンナさんに背を押されることもなく、彼はペコリと私の方に頭を下げた。


「……申し訳ございません。大変な失礼をはたらいてしまいました。以後このようなことがないようにいたしますので、どうかご容赦ください」


 ぶつぶつと言うわりにスラスラと、同い年の子とは思えない丁寧な謝罪が出てきた。

 かえって余計に腹が立つ。


「いいと言うただろうが……私にも少し考えがあってな。おい、ヴィムくん」


 お父様はコリンナさんから視線を外し、なかなか頭を上げようとしないヴィムに呼びかけた。


「君はしばらくハイデマリーのお付きに加わりなさい。この子の身の回りの世話を頼むよ」


 ……は?



 ギャーギャー大騒ぎしているお嬢様ハイデマリーは叔父の執事に捕まって執務室から運ばれていった。


 残ったのは俺とコリンナ叔母さんと、旦那様の三人だけだ。


「旦那様、その、ヴィムがお嬢様のお付きというのは」


「……うむ。まあ待て」


 旦那様のご命令は絶対だ。彼女の世話をしろと言われたらしなければならない。できない、とかはない。

 でも、意図がわからなかった。


「ヴィムくん、なぜ殴り返さなかったのかね」


 旦那様は俺の目を見て言った。


「いえ……その」


 なぜ? と聞かれても困った。

 お嬢様に殴り返すもなにもない。


 強いて理由を言え、と言われても、彼女は俺よりも頭一つ大きいし、勝てもしない。殴り返す意味もないし……


 そうだな、うん。意味がない。


「お嬢様に暴力だなんて、そんな……」


「あれだけ殴られてもか」


「あの、何かまずかったでしょうか……?」


「抵抗もしていなかったように見えたが」


「その、あの、手が当たってお怪我でもなさったら……あの、危ないかと」


「……そうか」


 何を言いたいのかさっぱりわからなかった。


「……コリンナ、案外拾い物だったのかもしれんぞ」


「すみません旦那様。その……と、言いますと?」


「九歳の男の子だぞ。多少はやり返す素振りを見せるものだろう」


「いえ、しかしヴィムが失礼なことを。本当に申し訳ございません」


「だからやめなさいと言ったろう。突っかかったのはあの子だよ。それよりお前のところの息子が九歳のときを思い出してみろ。もっと聞かん坊だったろう?」


 旦那様はそれからコリンナ叔母さんと一言二言話して、俺の方を見直した。



「早熟な子だ。それに我慢強く、賢い」



 ……褒められているのだろうか。


「旦那様、しかしやはり男の子と女の子というのは」


「さすがに子供だぞ。問題ないだろう。それともヴィムくん、何かするつもりはあるかね?」


 さっきまで俺にも優しかったはずの旦那様が、ちょっとだけピリッとした顔になった気がして、背中がびんと緊張した。


 喉にひっと息が入った。


 何か、ってなんだ。


 考えないと。


 そう思った途端に言葉が出なくなって、黙ってしまった。

 まずい。すぐに返さないと怒られる。


 胸をきゅっと閉めて詰まった息を無理やり吐いて、声を出した。


「……その、仕返しとかは、その、考えて、ないです」


 言えただろうか。聞こえただろうか。

 恐る恐る上を向く。


 旦那様は何故か笑顔だった。


 それを見たコリンナ叔母さんは、ようやく力を抜いて厳しい顔を緩めてくれた。


「というより、実際問題、エルマは大丈夫なのかね?」


「……実は、すっかりふさぎ込んでしまいまして」


 安心したのもつかの間、聞こえてきたのは物騒極まりない会話。


 やはり、まずは自分の身の心配をした方がいいらしい。

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