第2話 初めて会った日
ヴィムのことは子供たち全員が一応は知っていたと思う。
そもそも使用人のシュトラウス一家と言えば、リョーリフェルドではそこそこ名が通っていたのだ。
あんまりいい意味じゃない。黒髪が悪目立ちするから、というだけのことだ。
一家の先祖を辿れば異国に行き着くらしく、移民から数世代経った今もよそ者扱いはどこかで残っていた。
代々使用人にしかなれないのもそういう差別が根本にあるみたいで、彼らはそもそも積極的に外に出て笑うだとかをしなかった。
リョーリフェルドからもっと王都に寄った街のほうでは黒髪はめずらしくないと母上は言っていたけど、そんなの田舎の幼い子供たちにはわかりっこない。
端的に、ヴィムは他の子から疎まれていた。
しかし、それがひとえに差別によるものなのか、と聞かれれば、それはそれで首をかしげる。
彼は不思議な子というか、変な子だった。
まず、そもそも見かけない。
居ることは誰もが知っていたけど、本人が人の目に触れるのを嫌がったのか、隠されているのか、存在感が酷く薄い。
なんとなくの印象としては隅っこでぶつぶつと呟いているか、何か──たぶん人形みたいなものだったと思う、を手に取って一人遊びをしている感じ。日曜日は教会の書庫に籠って本を読む、ということもいつの間にかやっていた。
人と積極的に交わるということもしていなかったと思う。ときどき、本当にときどき、輪に入ろうとしてきたことはあったらしいけど、それがうまく行く想像はまるでできなかった。
ヴィム自体はシュトラウス一家の中でも末端の方で、家庭環境も複雑だった。
出奔した娘がどこの馬の骨とも知れない男の子供を拵えてきたということらしく、戻ってきたその母親もいつの間にかまた蒸発し、一人残されたヴィムは叔母の養子になった。
あまりいい扱いは受けていなかったように思う。
賢者になってからヴィムの実の両親の行方については調べをつけているが、それは私のみぞ知るところだ。
ヴィム本人は気にしていない。いつか知りたいという時期が来たらそれとなく誘導する準備をしてるだけ。
閑話休題。
さて、翻って私とヴィムの話だ。
同じ建物の中に住んでいたので、私たちの物理的な距離は普通の子の友人関係とは比べ物にならないくらい近かった。
一応、保護者の認識では遊び相手ということになっていた時期もあったのかな。
でも私はもっぱら外で冒険ごっこに勤しんでいたし、噛み合うこともあまりなかった。
そういうわけで随分昔から彼の名前も顔も声も知ってはいたし、すれ違ったりということはあれど、深く話すことはなかった。
私もあまりヴィムを相手にしていなかった。視界の隅で何かやってるなー、くらいだった。
だから、本当の意味で私とヴィムの“初対面”とすべきは、十歳を過ぎくらいの頃だろうか。
その頃の私と言えば、個人的闘争の日々に身を置いていた。
◆
手足が思うように動かない。何かに邪魔されている。
きっとそれは生まれたときから。何故かはさっぱりわからない。誰に影響を受けたとかではない。そんな覚えはない。
胸の奥からむらむらと湧き上がる何かがあるのに発散できない。そんなもどかしさがずっとあった。
「ハイデマリー! 可愛いハイデマリー! ほうら降りておいで!」
「その口調でよくもまあ落とそうとできるもんだね!」
「私もこんなことはしたくないんだ! あぁ、しかしお前はお母さんに似て可愛らしいなぁ……ほら! 怪我をしてしまうよ! 早くゆっくりと降りてきなさい!」
「きっしょいんだよ!」
確かあの日は、追い詰められて木に登ったんだっけ。
結成した反乱軍も親の前には形無しだった。
あっという間に散り散りになって、生き残った私だけが数人の大人たちに囲まれていた。
最初は宥めようとしてくれていたけど、いつしかなりふり構わなくなって木が揺らされ始めた。
「屈しない! 屈しないぞ! 私は!」
──可愛いハイデマリー。
そう言われるのが嫌いだった。
周りは満たされていた。
ご飯に困ることはないどころか御馳走ばかりだったし、母上が沢山の服を用意するし、先生がいっぱい来て、私を一人前の淑女に育てようとした。
子供心に恵まれていたのもわかっていたのである。代われるものなら代わってほしい人はいっぱいいたとも知っている。
でも、えらく不快だった。
可愛い娘であることが嫌だった。嫁に出すための子供だなんて思われるのが最悪だし、嫁に出したくない我が子と思われることも腹立たしかった。
周囲のすべては、味方のふりをした敵だったのだ。
よく脱走したし、近所の子供を集めて反抗を仕掛けたこともあった。
まあ子供の力なので、すぐに地面に落とされて捕縛されたけど。
落とされた地面には藁草が敷いてあった。最大限安全に気を使われていたのがまた腹立たしかった。
「コリンナ! ちょっとだけ抑えてもらって……あぁ! 怪我だけは、怪我だけはせんようにな」
「はい、旦那様。大丈夫ですよ」
私は呆気なく父上の脇に抱えられた。
「くそう、やはり自由は権力に屈してしまうのか……卑怯な大人たちめ」
「稽古に戻りなさい。先生がお待ちだよ」
「……わかったよ。下ろしてください、父上」
「わかりましたわ、だよハイデマリー。そんなガサツな口調はやめなさい。女の子なんだから」
「はいはいおーほっほっほっほ! わかりましたわ大好きなお父様先生様神様よう! いい気なもんだぜこんな片田舎で女子供相手に威張り散らして!」
「マリーは元気だなぁ、はっはっは。でももうちょっと大人しくしないと嫁の貰い手がなくなってしまうよ? ずっとうちにいるつもりかい? お父さんはそれでもいいけどね」
一通りジタバタしてぐったりしてみせると、ようやく父上は私を下ろした。
首根っこは掴まれたままだったけど。
また、負けてしまったのである。
認めざるを得ないところまで来れば、やり場のないむらむらが溜まるに溜まる。
次はどこで暴れ散らかしてやろうかと復讐心を先に送っておくことにした。今度こそシャンデリアを落として窓ガラスを叩き割ってやる算段を立て始める。
そうするとちょっとだけ溜飲が下がらないこともない。情けないけど。
「コリンナ、先生にもうすぐ行きますと伝えておいてくれ」
「承知しました旦那様。ただいま……おい! ヴィム! 仕事だよ! 来なさい!」
父上の指示がコリンナさんを通り、ヴィムの名前が呼ばれた。
「……はい」
ちょっとだけ、お、と思った。
彼を見かけるようになったのは最近である。仕事に参加し始めただとか、配置が変わっただとかそういうことだと思うけど。
「ヴィムくんは落ち着いているなぁ」
お父様はコリンナさんに言った。
「いえ、ボーっとしてるだけでして」
「そうかね。マリーは体は大きいけれどねぇ、見習わせたいねぇ」
「……うるさいやい」
私は身長が伸びるのが早かったので、このときは同世代の子に比べて大分背が高かった。
逆に言えばヴィムは背が低くて痩せこけていた。
コリンナさんがヴィムに何か言っていた。
話通りなら伝言を頼まれたはずで、彼はコクコクと頷いて話を聞きながら、ちらりと私の方を見た。
不意に、である。
目が合った。
初めて彼とちゃんと目が合ったのだ。
不思議な気分だった。昔から見知っていた子ではあったけど、意思の疎通というものをしたことがなかったからだ。
驚いた、と思う。
その瞳の色が思っていたよりずっとずっと深かったから。
子供らしからぬ濁った目。人間に興味がなさそうだと思っていた視線が、このときは私の方に向いていた。
すぐに直感でわかった。
こいつは私が何を感じているかを測っていた。分析をしていた。
そしてその上で。彼自身が何を感じているのか。
黒い瞳に反射して、情けなく土にまみれ、父親に首根っこを掴まれて身動きが取れない私の姿が映った。
見透かされているようで、危機を感じた。
私の考えがこいつの考えの中に収まっているような気がしたのだ。
何より一通り私を眺めて視線を外した瞬間。
いや、視線は外れてない。
色が消えていた。
私が観察の対象じゃなくなった。
それは何を意味する? 観察の対象じゃなくなったってことは、終わったってことで、見終わったということで。
じんわりと遅れてわかったことを呑み込んで、解釈した瞬間──
「……馬鹿にしただろ、今」
──むかっ腹が立った。
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