第82話 炎上
まだ建物全体が燃え上がっているわけじゃない。
一部が燃えていて、そこに大量の野次馬が集まってきている。
憲兵団や冒険者ギルドみたいな公の組織が建物に火を放つわけがない。
この炎はきっと群衆の手によるもの。
前列ではパーティーハウスに向かって石が投げられ続けていた。
こんなの異常だ。
【
このような行いをあのフィールブロンの人たちがするなんて信じたくなかった。
祭りの熱気が異常な作用を起こしていた。
人々のタガが外れて、特別な空気というものに最悪の捉え違いが生まれていた。
かがり火の代わりに火事を、歌の代わりに罵声を、そして踊る代わりに石を投げる。
だけどここではそれが許されていた。
人を押しのけて前に進む。
俺はヴィム=シュトラウスだぞと言って空けさせる。
出た、最前列。
憲兵が手で押し込めてパーティーハウスに近寄れないようにしている。
奥の方を見れば複数の部隊と誰かが相対していた。
あれは、メーリスだ。
彼女が構えた杖を部隊が警戒している、そういう状況に見えた。
「お、おお! あんた! ヴィム=シュトラウスか!?」
隣にいた中年の男性が乾いた声で俺に話しかけてきた。
まだ目が血走ってない。
純粋な好奇心でここにいるのか?
なら話は聞けるか?
「どうなってますか!?」
叫びながら聞く。
「何人かは投降したけど、リーダーのクロノスが立てこもってる! あそこの嬢ちゃんが一発デカいのを打ってから、憲兵どもが警戒してやがる!」
やはりそうか。
しかしメーリスは魔力の調整がほとんどできないし、魔力が残っているのなら撃ちまくるぞ。
あれはもしかしてまだ撃てるぞって演技か?
「突入はまだなんですか!?」
「まだだ! 多分野次馬に気ぃ使ってんじゃねえか?」
見ればその通り。
パーティーハウスの周りに群衆が群がっており、何かが暴発したら誰かが死ぬ。
正義を執行する憲兵には不利な状況。
皮肉も皮肉だ。
【
「なあ、ヴィム=シュトラウスさんよ」
男性は期待を抑えきれない表情をして、言った。
「やっぱりあんたも一枚噛んでんのか?」
は?
何を言われたのか、遅れて理解した。
完全に真意がわかったわけじゃない。
でも、あまりにも不快に感じてしまった。
俺がこの騒ぎに駆け付けたということに何かの意図を見出されたのは確かだった。
当たり前だ。
俺は思いっきり関係者だし、仔細を承知しない人間が見ても疑わしいものは疑わしい。
表情を気取られないようにする。
最低限動揺だけは見せてはならない、という理性が働いた。
自問する。
わかっていたはずだ。こうなる恐れは頭にあった。
自分が本来ここにいる義理はないということも。
じゃあ、なぜ俺はここに来た?
本当に【
そのことをわかっているのであれば、なぜ。
憲兵団がメーリスはもう攻撃できないと悟り、一気に距離を詰めて捕縛した。
叫び声の隙間からわずかに俺にも声が届いた。
いや、とかそのような音な気がする。
ずいぶん久しぶりに聞く声がこれだなんて。
燃えるパーティーハウスが残る。
男性の話が本当ならあそこの中にクロノスが立てこもっている。
「クロノス殿! 出頭願います! 火も回り始めました! もういくらも持たないでしょう!」
交渉役らしき憲兵が声を張り上げる。
群衆が呼応し、投降しろ、そのまま死ねなどという罵声が飛び交う。
クロノスの側に選択肢はない。
もう冒険者ではいられない以上抵抗しても無駄。
だけど、憲兵のこの煽り方はあまりにも不味い。
気付いているのか?
さっきから闇夜を照らす光に、炎以外の青色が混じっている。
あれはニクラの治癒魔術の光だ。使用できる最上位のものを使っている。
あのクロノスの誇りからしてメーリスを一人で立たせるわけがないし、きっとクロノスは治療中だ。
まだ戦う意志が消えてない。
もう一戦闘あるはず。
そして、治癒の光が消えた。
最初に炎の形が揺らいだ。
風が吹き込んでいた。
パーティーハウスの壁が吹き飛ばされ、巨大な風圧が憲兵たちを襲った。
出所がまったく見えない分構える時間がなく、全員まとめて飛ばされた。
風の余波で酸素が供給され炎がまた広がる。
この技を知っていた。
『
クロノスが持つ最強の技。
風を纏った剣で巨大な斬撃を上、下と繰り出し、風の刃と同時にぶつける。
出力の調整次第で相手を吹き飛ばす遠距離攻撃にもなる万能の大技だ。
砂埃が巻き上げられて視界が悪くなる中、頭上に人影があった。
クロノスが風で一瞬浮き上がっていた。
そして、石畳に足音を響かせて降り立った。
言い表しがたい奇妙な気分になった。
こうして目でクロノスを認識するのは【
あのときの顔は鮮明に覚えている。
怖い顔だった。
見知った顔が、いつもは自信に溢れている綺麗な顔が本気で敵意を向けてくると、あんなにも追い詰められるのだと知った。
だが今のクロノスにその面影はなかった。
鎧はよりいっそう豪勢なものを身に着けているものの、綺麗な顔が格好つかなくなるくらいまで全身が煤けている。
肩で息をする様に余裕はなく、状況も相まって生き汚さがまるで隠せていなかった。
何より血走って爛々と光る眼が、別人のようだった。
女性に向けていた柔和な笑みとは真逆。
追い詰められた獣のようなギラつきで、すべてをかみ砕いてやると言わんばかりに周りを睨みつける。
その眼がこちらを見た。
俺の姿を捉えた。
目と目が合っていた。
俺がまじまじとクロノスの姿を見つめているのと同様に、クロノスにも俺の存在がはっきりとわかるようで、逡巡する時間すらあったくらいの密度の高い瞬間だった。
殺してやる。
そう呟いたのがわかった。
クロノスはそのまま、石畳に向かって風を放った。
反動で後ろに跳び、そのあとタン、と響く軽い音が一回。
一気にフィールブロンの闇の奥の方へ消え去った。
追え! 待て! と何もしない群衆が騒ぎ立てる。
逃げやがったと連呼する。
炎が燃え上がる。
フィールブロンの建物は基本的に木製、パーティーハウスも例外じゃない。
大きな音を立てて、
悲鳴交じりの歓声が上がる。
中に残った人間を救助すべく憲兵が殺到する。
危険すら顧みず、炎に煽られるように場の熱も上がっていく。
祭りの喧噪は終わらない。
この出来事すら肴にして、
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