第65話 前提

 認めてしまえばすっきりする。


 だけどちょっと寂しい。


 集中力は一つ次元を上げた。

 木々を潜り抜け加速する感覚は走っているときとなんら変わらないほどに慣れた。

 上達している。


 角猿はいつの間にか形態変化を起こしていた。

 角が伸びてよりいっそう禍々しくなり、体毛が抜け、黒い毛ではなく白い肌が露出している。

 この段階にくるともはや体表を覆った何かによる防御なんて意味を為さない。

 俺も応じて、邪魔な脛当てやらなんやらを投げ捨てる。


 衝突する。

 むこうの出力が上がっている。

 魔力で何か身体強化をしているんだろうから、原理的には付与術に近かったりするのかな。


 刹那であってもやり取りは数回に収まらなかった。


 前進する勢いはすべて斬撃に使う。

 俺が袈裟に斬れば角猿はそれを真正面から受け止めると同時に下方向から蹴りを繰り出してくる。


 間合いの差からして逃げ場はない。


 俺は受け止められた地点を支点にして、腕を力ませて大きく体を跳ね上げ回避しつつ側面に回る。

 離脱に繋げる前提で敵の体表を傷つけて出血させるべく、軽い連撃を繰り返す。


 速い。速くなっている。速くなっていける。


 腕が千切れそう。きっともういろいろな筋が切れている。



 最高だ。世界一楽しい。

 第九十八階層のときとはまったく違う。意図と戦略が織りなす高速戦闘。



 どこまで保つかわからない。


 意識は完全に支配下アンダー・コントロールだけど、向かう先が破滅なんだから結局操れてないかも。


 脳から汁が飛び出ると一緒に記憶が巻き戻る。

 本格的に走馬灯みたい。



 あーあ。



 来世でもあったなら今度はもっと心根の素直な少年に生まれよう。


 お父さんとお母さんに感謝して、友達と笑いながらこの世の果てまで大冒険するのを夢見て、そして最期は町の隅の病院でそこそこ大勢の人に囲まれながら迎えるんだ。


 だからさ、今は、いいじゃないか。

 誰も死なないんだし。


 ここまで戦って戦って、きっと何も残らない。

 いいんだ、今さえ楽しければ。

 本当に大事にしたいものとか特になかったんだ。


 何か積み重ねたことはあったっけ。

 やりたいことでもあったっけ。



 ── つまんねーやつ。



 これはハイデマリーか。言われたっけこんなこと。


 否定しないよ。むしろ全肯定する。俺はこんなやつだよ。



 ── じゃあ、なりたいものだ。



 なかったよそんなもの。本気じゃあなかった。暇つぶしだった。



 ──本当にそう思ってるやつが、物語なんて読み耽るかね?



 核心を突くな核心を。無理だったってだけなんだよ。


 でも、こんなに楽しいよ。


 ここは最高だ。


 ここで終わるなら本望だよ。

 全部置いてきたって構わない。

 もしかすると、これがやりたいことだったのかもしれないって思える。



 激突の間隔は狭まるに狭まって、ほとんどずっと斬りあっているみたい。

 もはや単に追いかけっこの水準にとどまらない。

 一挙手一投足が詰めチェックメイトまでの一手のような様相を呈している。


 外界が遮断される。

 研ぎ澄まされた感覚は時間の概念を置き去りにする。


 どんどん昇っていく。何もかも置いて行く。


 俺は行ける。お前はどうだ? ついて来れるか?


 ついて来れないなら死ぬ覚悟はできてるか? 俺はできてる。


 むしろそれが活力になる。危険リスクを許容すればするほど細く鋭く速くなっていく。


 さあ、正真正──



「え?」



 雑音ノイズが走る。


 具体的に言えば息の音。

 戦闘のために集めていた情報が異物を拾った。

 角猿の取り巻きじゃない。


 人だ。人、それもかなり無力なのがいる。



 おいおいおいおい話が違う。前提が崩れる。



「ごめん、ちょっと待って!」



 くそっ! 台無しだ。


 そんなのがいて戦えるか馬鹿!



 俺は誰も死なないからやれてるんだよ!



 角猿に背を向けて、跳んで、跳ぶ。

 互いに逃亡を考慮していなかったから、とりあえずの戦闘の中止と離脱は容易だった。


 比較的近く、木の影にその少女はいた。

 隠れている。怪我をしている。


 ここは開拓された地図マップの範囲外だ。

 だけど目星はつく。


「おい!」


 声を荒げてしまった。


 子供だ。ほんの子供じゃないか。

 なぜこんなところにいる? ここは迷宮ラビリンス


 危険も危険な最前線だぞ。一人で来れるところじゃない。


 よく見れば獣の耳が生えている。


 亜人族アウスレンダーだ。


 なら身体能力は高い? だから来た? わかるかそんなの。


「大丈夫ですか!?」


「え……?」


「歩ける? 逃げれる?」


 少女は状況は掴めていないながらも、首を横に振る。


 脚から出血している。


 けど意識がないとか腰が抜けてるとかじゃないっぽい。


 欠損していないのなら強化バフをかければいけるか?


 どうだ? 守りながら角猿と戦えるか?


 無理だそんなの。

 でも放っておけるわけがない。


「いい? 今から君に強化バフをかける。痛みはあるだろうけど速く走れるから、それで逃げるんだ。俺がモンスターの相手をする」


 こくこくと首を縦に振る。

 よし、疑似的だが承認宣言とみなせる。


付与済みエンチャンテッド!」


 事前にあったコードを使用した。

 俺と角猿の戦いのお陰かとりあえずは強敵は見当たらない。

 走れさえすれば追ってきているハイデマリーと合流できる。


「立てる?」


 腕を支えにしてもらう。

 立てたみたいだ。


 少女は不思議な顔をしていた。

 感激でもしている? とにかく、状況は呑み込み始めているらしい。


 俺は密林ジャングルの隙間、地図マップが判明している方へ指差した。


「よし。じゃあ、あっちにむかって真っすぐ走って。速いから注意するんだよ。そこに君よりちょっと背の高いお姉ちゃんがいるから守ってもらって。大丈夫、口以外は何も怖くない、優しい人だから」


 少女はすぐに走り出した。


 走れていた。

 子供には不釣り合いなくらいの飛ぶような歩幅ストライドと速度。

 強化バフはちゃんと成功したみたいだ。


 もう安心、か?


 安堵する反対の感情、つまり昂ぶりはすっかり収まっていた。



 背後には角猿がいた。



 再び相対する。


 でも、わかった。


 それは凄く残念なことだったけど、都合は悪くないことだった。



「……ごめん。また、次だ」



 興が削がれた。


 角猿はキッと喉を鳴らして、密林ジャングルの闇に消えていった。





「なんだいなんだいいったい、人が心配して追いかけてきてやれば、いきなりこんな娘を」


「……ははは」


 果たしてハイデマリーと少女は合流していた。


「治療は済んだから、もう大丈夫だと思うよ」


「ありがとう! ほんっとうに、ありがとう……」


「いやいや! ヴィムだってすぐにわかったからね! はっはっは!」


 少女は無事みたいだった。


 思わず助けたけど、どうしよう。

 とにかくここを出て、それから話を聞いて、親御さんのところに帰ってもらう?

 その前に保護も兼ねてカミラさんに報告か。

 状況が状況だけに何かに巻き込まれている可能性が高い。目線の位置を合わせて、両手を広げて、できるだけにこやかに話しかけてみる。


「えっと、その、無事みたいで本当に……へへへ」


「あのっ……!」


 少女は何やら感激した様子で、子供特有の距離の近さでグッと詰めてきた。

 そして俺の手を握って、言った。



「魔法使いさまでしょうか!?」



「「は?」」



「わ、わたくし、ラウラともうします! ありがとうございます! このご恩は必ず!」



 いや、いきなりなんだこの子は。魔法使い? 童話か?


 ラウラという少女は俺の両の眼に合わせて口を一生懸命に動かしていた。

 何言ってんだこの子。


 というかそのイメージに近いのは魔術師っていうか賢者のハイデマリーの方では。


「おいヴィム、魔法使いだってよ」


 ハイデマリーはニヤニヤしながら、俺を肘で小突いてきた。


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