第64話 人間不十分

 鋭敏になりすぎた感覚は柄を伝い、山刀マチェットの刃先の様子まで伝えてくる。


 空気の震えを感じる。肌が鼓膜になったみたい。


 角猿はこちらを見ている。

 眼球の挙動さえも鮮明に見える。

 ぐりんという動きが聞こえさえする。今かと今かと待ってくれている。


 ごめん、お待たせ。


 口に出さなくても互いにわかった。


 接近するときには互いの大げさな予備動作を認め合った。

 別に許さなくてもよかったんだけど、大事な初撃だ。

 せっかくだから最大の力をガッチガチに固めて打ちたい。


 まずは一刀、両手で柄を緩く握って、全身の筋肉を極度まで緩める。

 地面を蹴る一瞬にだけ指数関数的に弾性を増す。

 イメージは鞭と鉄を行き来させるように。リズムに合わせて加速。


 わずかな時間。

 そして互いの歩調の公倍数になる一点がわかる。そこでぶつかるという合意を得る。


 爪と刃が触れ合う瞬間に、柄を握りつぶす勢いで全身の力を集約させる。

 俺は上から袈裟に、角猿は脚の反動と腰の回転を全部使って右から。



 剛と剛の激突。動機は趣。

 互いに受け流そうなんて思ってない。

 果たして両者の激突は、互いに大きく弾かれることとなった。



 飛ばされて前後不覚に陥る。


 時計回りに地面を転がる。

 右手で思いっきり地面を叩いて、無理やりその回転を立ち上がる力に変える。


 前を向く。

 互いにほとんど同時に立ち上がっている。

 すぐに二撃目が来る気配はない。



 じゃあ、次はあれだよな。



 横に跳ぶ。

 ステージは森の中。

 前後左右と上下に足場がたくさん。

 加えて角猿の箱庭で相手をすることになるから、戦略上は不利も不利。


 だけど有利不利と楽しさはそんなに関係しない。

 むしろ単純なぶつかり合いよりもこっちの方が頭を使えて楽しいことがある。

 脳の強化バフなんて触れ込みの面目躍如だ。


 複雑に張り巡らされた木々の枝葉、根、幹をすべて記憶。

 当然角猿の軌道も予想する。


 自然に一筋の線が見える。

 俺が辿るべき正解の挙動。すぐに沿う。


 飛び移って飛び移って、どんどん加速する。


 さあ激突だ。ここから先は趣なんてもっての外。

 弾かれて起き上がれなければ即バラバラにされる。


 すれ違いざま、アイデアを持っていたのは角猿の方だった。

 防御を捨て、長い両腕を二方向から繰り出してくる。

 俺の方は防戦一方。いなすしかない。


 そして、いなすということは力を逃がすということ。


 空中で一瞬、静止した。


 状況は対等イーブン

 両腕を半ば勘で振り続けないと引き裂かれる。


 角猿の連撃に合わせる。

 防ぐな。避けろ。刃の裏に身を隠せ。

 斬撃の隙間を通り抜けろ。



「ハハッ!」



 死ぬって。やばいって。



 超楽しい。



 大振りの一撃に合わせきって、後方への推進力に変えてその場を離脱。

 手ごろな幹の上に立つ。


 後手に回っている。

 まだ足りない。もっと上げろ。


 頭を加速させる。

 瓦解しそうになるのを意識で抑え込む。

 どんどんどんどん追い詰められていく。


 でも何も心配しなくていい。怖いのはこの戦いが終わることだけ。


「アッ……ハァ!」


 まだ行ける。


 また跳ぶ。そしてすれ違って斬撃を交換する。

 すぐに幹を蹴って切り返し、もう一度肉薄。


 脳が回る。

 液体が飛び散っている気がする。

 走馬灯のように記憶が押し寄せて、流れ去っていく。



 ──楽しかったんだ、確かに。



 本当だよ。でも。



「鬱陶しいったら、ありゃしない」



 ダメだよ。楽しかったのに。

 それだけで留めておきたかったのに。


 また一撃を交換し合う。



「自虐続けて何が悪い」



 重い一撃が手に来る。

 加速するたびにぶつかる間隔が狭まっていく。



「癖なんだよ! なんとなくそう言ってると楽なんだ!」



 堰を切ったら溢れて止まらない。



「すみませんねえ強いのに卑屈で! みなさんの誇りも鑑みてその弱さの分まできっちり背負って戦ってやりますよぉ!」



 ああ、楽しい。

 死に追い詰めてられるほど、燃える。

 俺にはそっちの方が向いている。

 むしろ危険じゃないと力が出ない。こうでないと面白くない。


 俺は捉え違いをしていた。

 俺の付与術の真髄は一筋の奇跡じゃない。

 むしろその逆。奇跡以外の危険リスクの方。



「ほっとけ!」



 全部わかる。

 無理だと思った限界も次の瞬間には突破して、その次の瞬間には限界に値しないもろい壁だったと知る。



「いや特に強制はされてないんだけどね!? でもそんな感じだろ! ちゃんとしなきゃって思うだろ! 気持ち悪い笑い方もしゃべり方もほっといて俺を受け入れろって態度取るほど偉くねえよ!?」



 角猿は完全に俺についてきている。

 それどころか追い越そうとしている。



「人種が違う!」



 俺も上げないと。アイデアが足りない。

 もっと脳が回ってほしい。


 だから上げる。また思い出す。


 お酒美味しかったよ。

 俺って馬鹿舌で一種類のメニューしか頼まないような奴だったけど、いろんな味も平気になってきたんだ。



「人の輪って憧れてたけどそんなにいいもんじゃなかった! なにあれ! 話聞いてるのつらい! 全然面白い話にならないし!」



 違うんだよ。

 馬鹿にしたいわけじゃないんだよ。


 嬉しかったんだ。

 だから、ちょっと活躍して、勘違いしてしまった。


 俺はみんなと一緒にやれると、みんなと同じようにできると。


 凄くよくしてくれたんだ。

 みんなに何も非はない。


 俺に勇気と根気があるだけでよかった。

 それは普通の人にはできることに違いない。だから。



「恵まれた連中が、素直な心を持っている人たちが、羨ましかった。それから」



 でも、思っちゃったんだ。



「気持ち悪かった」



 そうだった。ずっとそうだった。



「ごめんみんな。俺、みんなと違うみたいだ」



 最低だ。


 気持ちが淀んでいく。背筋が曲がる。


 でも、こっちの方が性に合ってる。


 この速度にも慣れた。

 ようやく意識が俺の支配下に戻る。


 慌ただしい感覚をすべて乗り切って、全能感にすら昇華される。

 まだまだいける。俺は角猿を上回れる。


 そのためにはもっと追い詰めろ。死ね。死ね。もっと死ね。


 いつの間にか着地していた。距離がある。そしてすぐに、また激突する。



「……ヒヒッ」



 もうこの引き笑いを止めるものは、なくなった。


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