第51話 翼破⑧

「……クソがっ!」


「ああ、お手の骨も折れているのです。ご自愛を」


 このままで終われるか。

 俺は今すぐ成果を出さなきゃいけない。


 この街全体に俺という存在を知らしめないといけない。


 認められない。認めたら、俺は。


 の顔が、頭に浮かびかけた。



「違う!」



 そんなこと考えるな。認めるか。


 そうじゃないと、俺は。


「邪魔だ。俺はパーティーハウスに戻る。次の迷宮潜ラビリンス・ダイブの準備をする」


「お言葉ですがクロノス殿。それはなかなか難しゅうございますぞ」


「ああ?」


 そういえば、いったいなんなんだこの男は。


 医者か? そんな風貌でもないが。


「此度の迷宮潜ラビリンス・ダイブのお話は市井にも広がってございます。準備にも芳しい状況ではないでしょう。加えて申し上げますと、【竜の翼ドラハンフルーグ】というパーティー自体にもそこまでの余力はございますまい」


 顔が熱くなった。


 こいつ、俺と仲間を馬鹿にしやがった。


「何者だお前!」


「失敬失敬。私、ゲレオンと申します。以後お見知りおきを」


「そんなことは聞いてない! お前はいったいなんなんだ!?」


「ああ! そんなにお熱くなられますな。言葉が足りなかったことをお詫びします。何もクロノス殿に落ち度があったり不足があったという意味ではございませぬ。此度は本当に不運が重なりました。その不運により被害が出たというだけのことです」


「馬鹿にしてるのか!?」


「事実ですとも。あなたはお強い。不運は真っ先に最前線に降り立った者の宿命でございます。被害は出たもののあなたは十二分に成果を挙げられた。第九十九階層の開拓を進めたということを否定できるものはおりますまい」


 男の芝居がかった口調に毒気を抜かれた。

 こちらが怒り散らす馬鹿らしさが頭を過って、声を荒げるのだけはやめようと思った。


「……で、何の用だ?」


「クロノス殿がその勇気ゆえに窮地に立たされていらっしゃるのは見ていて忍びない、というお話でございます。ご協力差し上げたく」


「……何が狙いだ」


「そう疑われますな。竜の翼ドラハンフルーグ】を、引いてはクロノス殿を高く評価させていただいております。何よりその才気は階層主ボスと初遭遇したお人にも関わらず生還なされたことから自明でありましょう」


 ゲレオンと名乗った男は、朗々とそう説明した。


「当然だ。まるで俺が自分の力を疑っているかのようなことを言わないでくれ」


「しかし才に溢れたお方であっても、環境や情報の差によってはその力をうまく活かせないときもございます。今回はその典型でありました。……あるいはその逆、才にも器にも欠けているのに、偶然その力を発揮してしまう場合も、覚えはありませんかな?」


 男は俺の目をまっすぐに射抜いて言った。


 全部知っているぞ、と暗に言われた気分だった。

 俺が感じている不満とそこに至るまでの道のりを、事前に共有されているような。


「……続けろ」


「はい。我々は、そのような不公平を埋め合わせる手段を──」






 最悪だった。


 【竜の翼ドラハンフルーグ】が人数を集めて最前線に挑み、そして死者すら出す大失態を犯したことはすでにフィールブロン中に広がっていた。


 クロノスさんが退院してパーティーハウスまで帰るときですら、気が付いた街の人たちに石を投げられた。


 何もかもが不味かった。

 ヴィムさんの活躍の裏で膨れ上がる第九十七階層の階層主ボス撃破の黒い噂。それに半ば証拠となる事件が起きた。


 加えて今回の迷宮潜ラビリンス・ダイブでリタイアした人は何もついて来られなかった人だけじゃなくて、【竜の翼ドラハンフルーグ】の杜撰さに嫌気がさした人も多かったのだ。


 その人たちが街で口々に言いたいことを話せば、噂にはいくらでも尾ひれがつく。


 比較的軽傷だった私たちの生活にも支障が出ていた。

 夜中以外はほとんどパーティーハウスから出ることもできない。

 まだフィールブロンの中でも治安の良い立地だったから良かったものの、もしも場所が違えば火をつけられていたかもしれない。


 そう考えるとゾッとした。


 それくらい、フィールブロンの人々にとって迷宮潜ラビリンス・ダイブは重要なものだった。


 人々は冒険者の進退を憂い、楽しみ、称賛し、躊躇することなくお金を出す。

 ましてや階層主ボスの討伐が絡むとなれば、熱を上げる人が増えるのも当たり前だった。



 帰ってきたクロノスさんにどんな声をかけていいかわからなかった。

 みんなで出迎えたけど、誰も何も言えなかった。



 何にも汚れていなかった綺麗な顔には大きな傷跡があった。

 顔の左側にはまだ包帯が巻かれていた。

 自信に溢れていた眼は濁っていて、見たこともないような鬼気迫る表情をしていた。


「なあ、みんな」


 玄関の扉を閉じるなり、彼は私たちを見回して言った。



「もう一度、俺に任せてくれ。今度は絶対に成功する」



 私は一瞬前に考えたことを取り消した。


 クロノスさんの目の光は濁りはすれど消えてはいなかった。


 妖しく、もう何も怖くないとばかりに爛々と輝いていた。


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