第50話 翼破⑦

「メーリス! ニクラ! いるか!」


「うん」


「大丈夫!」


「ソフィーア! 何人いる!?」


「九人です!あとは……わかりません」


「くそっ!」


 集めた人数は半分未満に減っていた。

 今ここにいない人がどうなっているかはわからない。

 死角がないよう輪になって、武器を固く握って構えるしかできることがなかった。


 煙の間に目を凝らす。

 耳は四方から猿の鳴き声らしきものを拾っている。


 もう囲まれている。もはや問題はどこから攻撃が来るか、そして生き残れるか。


 緊張の糸が切れそうなほど張り詰める。


 今か今かと待つ。


 来ない一瞬一瞬にホッとしながらも、次の一瞬には死んでいるかもしれない恐怖に耐える。



 そうして感覚を研ぎ澄ませていると、空気が変わるのがわかった。



 前方。クロノスさんの正面。

 そこだけが

 私たちを囲っているであろう猿たちが、


 煙の間から角が生えた大きな人型が見えた。

 他の猿よりも二回りほど大きい。

 しかし鈍重な感じはせず、人を何人でも抱えられそうな長い腕が俊敏に動く姿が想像できた。


 あまりに異質な空気。初めてでもわかる。



 これが、階層主ボスだ。



 誰も動けなかった。

 死が間近に迫っているのがわかった。



「かかってこいよ! 俺の本当の力、見せてやる!」



 クロノスさんを除いては。



「ちょうど良かった! いずれお前は俺が倒すことになってたんだ! ほら、来いよ! ビビってんのか!? ほら!」



 握られた魔剣が風を纏う。

 その魔剣を中心に小さな竜巻が発生し、階層主ボスに斬りかからんと力を溜めていた。


 こんな状況でもクロノスさんの威勢は変わらなかった。


 私はそれで我に返れた。


「逃げ──」


 叫ぼうとした。


 しかし次の一瞬。


 階層主ボスはたった一歩で、ほとんど瞬間移動したんじゃないかというくらいの速さで、いつの間にか目の前に立っていた。



「……ギ?」



 首を傾げていた。

 不思議そうだった。私たちをじっくり観察しているようでもあった。


 心なしかゆっくりに、鮮明に顔が見えた。

 剥き出しで不揃いの歯。長い腕の先にはナイフみたいな爪。

 その目は獰猛に輝いていて、全身に血がぐるぐる回っているのがここからでもわかるくらい赤い。


 本能が理解した。


 


 そもそも戦うとかそういう次元じゃない。

 羽虫が人間を殺せないように、私たちは階層主ボスに勝てない。

 今まで倒されてきたということ自体が信じられなかった。



「うわああああああああ!」



 クロノスさんは叫びながら剣を振りかぶった。


 だけど、階層主ボスの方が圧倒的に早かった。


 粗雑に、道の小石を蹴るように、クロノスさんは袈裟に薙ぎ払われて、焼けた森を転がって行った。






 目が覚めた。


 体を起こしてまず目に入ったのは見知らぬ男だった。

 俺が動いたのに気付くと、ゆっくりとこちらを向いた。縁起の悪そうな顔をしていた。


「おはようございます。クロノス殿」


 誰だ?


「急かすようで申し訳ございませんが、ご自身の状況は把握していらっしゃるでしょうか」


 ……?


 それはわかる。

 俺はさっきまで階層主ボスと対峙していた。


「ここは病院、なのか?」


「はい。我々がお運びしました。しかしながらさすがクロノス殿。あれほどの重傷でありながら回復なさるとは。冒険者としての素質の大きさがわかります」


 そうだ。俺は手痛い一撃を食らった。


「残念ながら左耳と、首から腹にかけての傷はどうしようもございません。五体満足でいられただけでも幸運なのです」


 そして負けたのだ。不意打ちだった。


 顔の左側を触る。

 包帯の感触しかしないから何もわからない。

 それどころか全身が疼く。自覚するほど鈍い痛みが沸き上がってくる。


 一気に現実に引き戻された。



「みんなはどうなった!?」



 あのあとどうなったんだ? みんなが逃げる時間くらいは稼げたと信じたいが……


「最前線に辿り着いた二十五名ということであれば、重傷者がクロノス殿を含め八名です」


「ちょっと待て、残りは?」


「五名が行方不明です。誓って打てる手は尽くしましたが……七名は、この病院にて死亡を確認しております」


「嘘だっ!」


 そんな馬鹿な。


 何がどうなっているかわからない。そんなはずはない。


「そうだ、ニクラとメーリス、ソフィーアは? 三人はどうなっている!?」


「ご安心を。お三方は軽傷はあれど健在でいらっしゃいます。ソフィーア殿の聡明さに救われましたな。古典的とはいえ、あの状況で死んだフリができるのもなかなかの胆力でありましょう」


「そう、か」


 あいつらは生きてる、か。それは不幸中の幸いか。


 だが、しかし。



 負けた。



 その言葉が重くのしかかる。


 男は縁起の悪い顔をピクリとも動かさずにこちらを見つめていて、それがまた腹立たしい。


 まるで俺に事実を受け入れろと促しているようだった。


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