第28話 傀儡師

「行くんだね」


 ヴィムの目はさっきまでとすっかり変わっていた。


 迷いは消えている、と思う。

 でもちょっと狼狽えている。

 まるで巣立ったばかりの雛みたいに、行くべき場所を手探りで探している。


「うん」


「そっか」


 ヴィムもずいぶん大胆になったものだ。

 いや、昔から、私のヴィムはこうだった。

 ぐちぐち迷ってる割にいざというときに突飛なことをするというか、まあ、もともとそういう人だ。


「お別れだ、ハイデマリー。多分……へへへ」


「そんなことはないさ。ヴィム、君なら勝てるよ」


「買い被りすぎだって。前回みたいにうまくはいかない。時間稼ぎだよ。ほら、前よりずっと強いし、その、あれだ、……ひひっ、あれっ」


 気味の悪い笑いが復活していて、なんだか嬉しい。

 【夜蜻蛉ナキリベラ】は自由なパーティーだけど、それでもまあ集団であの笑い方は変だから、少なくともみんなの前では抑えていたんだろう。


「ちょっと変かも。テンション上がってる。膝も笑ってる。ビビってんのかな。参ったな、死にたいって言ってたのに」


 ヴィム、それはきっと、恐怖じゃないよ。


「そんじゃあ、行く。時間ないし。へへ」


「うん。行ってらっしゃい」


 私が手を振るのに対して、彼は軽く手を挙げて応えた。


 そして、行ってしまった。


 ヴィム。私のヴィム。


 君はきっと、まだまだ自分を知らない。私の方が君を知っているくらいだから。


 君はとても奇妙で、歪んでいて、そうだな、大切な人にする表現じゃないけど、もう白々しいくらいだ。


 でも、いつかきっと、君が君のことを世界で一番知っている日が来る。


 そうしたらいろいろ教えて欲しい、君のことを。

 君のことならなんでも知っているって言ったけど、実は知らないこともあるんだ。

 だって君も含めて、この世の誰も知らないことなんだから。ほら、今だって。



 ──ねえヴィム、なぜ君は、こんなときに笑っているんだい?





 馬鹿みたいな雨は止む気配がない。

 水はさらに溜まって、膝まで浸かってしまっている。まともに動けやしない。


 階層主ボスは相も変わらず煽るみたいにくねくねしているし、取り巻きの丸っこいやつらも同じような感じ。

 それどころじゃない、あいつら、少し泳いで移動している。

 水に浮くような組成なのか、水浸しになればなるほど速くなるらしい。


 これは、逃げても追いつかれるな。


 よく観察してみて確信する。

 階層主ボスの背中からときどき吹き出すあの黒い煙が雨を降らせている。

だからあいつを倒さないと雨は止まない。


 しかし、いきなりこんな豪雨が降るものかな。

 魔術の一種ではあるんだろうけど、さすがに質量が釣り合わない。


 そういえば、この階層主ボスが上から降ってきたことを思い出した。


 そうか、壁の、うんと高いところに貼り付いていたわけか。


 そこで暗い“空”にせっせと煙を見えないように撒き散らして雲を溜めていたりしたのかな。

 いや、あの煙は空気中の溜まった水蒸気を結露させるものだとかそんな感じかもしれない。


 こんなことを考えている暇があるとは、我ながら呑気なものだ。

 それは敵さんも一緒か。もしかすると戸惑っているのかもしれないな。


 階層主ボスの知能は高い傾向にある。

 カミラさんみたいに強者然とした人の代わりに俺が来たから、あまりに不自然で何かしらの警戒をしているのかもしれない。



「じゃあ、頑張ります」



 笑う膝を抑えて、呼吸を整える。

 体は冷え切っているが大丈夫。これから耐えられないほど熱くなる。



 付与術が強化できるものは多岐に渡るが、特に人体においては強化する部位、要素ごとに明確な難易度の差がある。



 一番簡単なのは骨と、その次に筋肉だ。

 大抵の強化はこの二つで完結する。


 が、それより上を求めるなら酸素を供給するために血流を操らねばならず、そうなると当然必要となるのが心臓の強化だ。

 不可視の領域かつ人体の中心部に関わる強化であり、ここで難易度はグンと跳ね上がる。

 今のところ血流を調節できる付与術師は限られている。


 しかし、人体の要たるその心臓を差し置いて、そもそも強化すること自体が禁忌タブーとされる部位がある。


 脳だ。


 意識を司る部位。

 ここの処理速度を上げれば戦闘力が大幅に向上することが見込まれるが、その危険性と難易度ゆえに、まだ誰も脳の強化を実現した付与術師はいない。


 問題点は多々ある。


 まず、意識という領域の強固さ。

 生まれた頃より思考と応答を単体で繰り広げてきた完全独立スタンド・アローンの器官であるがゆえに、外部からの侵入を基本的に許さない。

 他人の脳の強化はまず不可能で、できたとしても戦闘力が低い付与術師本人の強化のみだから、成功させる旨味も少ない。


 そして、その付与術師本人の脳を強化したとして、次の瞬間には過剰負荷オーバーフローを起こして意識を失ってしまう。


 脳を強化するということはすなわち脳の中でやり取りを高速化するということだが、そもそも脳の処理速度は自覚すらできないほど高速だ。

 その速度をさらに上げると、高速化した脳によってさらに脳が高速化され、より高速化した脳がさらに高速化する、という循環が一瞬にして起こる。


 だから誰も脳を強化なんてしようとしない。付与術師は少ないから、試された事例ですら稀。


 でも、俺は試した。

 一人で戦うためには、強さを手に入れるためにはそれしかないと思った。


 コツ、と言えるかどうかも微妙だけど、やったことは単純。

 ひたすら己の意識を自覚した。自問自答を繰り返した。感覚を磨いた。

 そして、過剰負荷オーバーフローを起こさない極々微小の、わずかな倍率の強化において、ギリギリ意識を失わない調整に辿り着いた。


 その倍率は、一.〇〇〇〇一倍。


 この倍率でも瞬時に何乗にもなって一気に脳に負荷がかかる。

 俺の素材ではここが今のところの限界だった。副作用も多分、何かしらの脳のダメージとなって現れるだろう。


 だけど、可能は可能だ。

 高速化した脳による、机上の空論をすべて実現させる自己操縦。それが──



「──移行:『傀儡師ぺプンシュピーラー』」


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