第89話「悪魔の名前」
「ろ……、じ? る、ど……?」
呪文をつぶやくような声が、ブツブツと聞こえる。革袋を抱えたままクリードは、どこか遠くを見つめていた。
「オールド・ロジャーって、読むんだよ」
クリードを見て、ベリルがそう言った。
「なに……っ?」
悪魔の顔が引きつる。
クリードは、その手にクリスタルの瓶を大切に握りしめていた。革袋の中から、瓶がのぞいている。その栓は、開けられたままだった。
「オールド・ロジャー」
琥珀色の瞳と目線を結び、クリードはそう言った。ベリルの視線の先を追って、悪魔オールド・ロジャーも首をめぐらせた。
「オールド・ロジャー……、これがあなたの名前ね」
丸石を踏む足音とともに、列柱の影から少女が現れた。赤い髪と深い紅の瞳の少女、スピネルだった。
スピネルは、ちょうどクリスタルを握るクリードに対面するように、両手に布を広げていた。
その布には、紋様が写し取られていた。血のような赤黒い色は異様に思えるが、その紋様は美しかった。魔法の力を宿すとされるトネリコの幹や葉、つる草。それにまぎれるように文字が刻まれている。
──O・L・D・R・O・G・E・R
真実の名は、常にクリスタルと共にあった。
風が巻き起こる。その風は、クリスタルの中へと吸い込まれていく。悪魔の身体が、風に引き寄せられた。
「海兵隊長……。そういうことか」
悪魔はそう言って、短くうなずいた。紙が黒くなって焼け散るように、ビロードのコートが燃え散り、瓶に吸い込まれていく。黒角や足に生えた獣の毛も、同様に燃え散りはじめた。
「おらっ!」
ジェイドをつかんでいた手の力も弱まる。その隙に、悪魔の手を振りほどき、ジェイドが身体を振り子のように振ってジャンプした。
「うおっ!? や、やばっ!」
地獄の門のふちに、ギリギリつま先が引っかかる。だが少しずつ、重心が後ろに傾いていく。
「え? ま、待って……!?」
「ジェイド!」
ベリルがジェイドの手をつかんで、思いきり引っ張った。ふたりして地面に転ぶ。
「あ、ありがとよ。助かったぜ」
「ったく、バカな死に方されちゃ、かなわないよ」
「へっ、お前の方こそ、肩、大丈夫かよ? その傷で死んでも俺のせいにするなよな?」
「だったら、早いこと終わらせて止血してほしいね」
「惜しいな。ほしいな。お前たちが」
ジェイドとベリルのやり取りをじっと見つめて、本当に名残惜しそうに悪魔はそう口にした。下半身はすでになくなり、胸像のようになった悪魔が地面に崩れ落ちる。
「ねえ、最後に訊かせてよ? お前は、なんでヘリオドール王国の子どもばかりを狙うの? ここにいる子たちは、みんな
「…………」
ベリルに問われると、悪魔オールド・ロジャーは一瞬、迷うように口を動かした。そして、ゆっくりと語った。
「……因縁、とでも言うものかな」
「因縁?」
「我々悪魔は、古くは、この世界の支配者だった。大地と山河、地底に海を
「ヘリオドールが悪魔を?」
「ああ。ヘリオドールでしか産出されない魔法石。その魔法の力を宿した鉱石の一部には、我々を封印する強大な力を秘めたものがあったのだ。その魔法石を使って悪魔を封じる道具を作ったのも、その道具により我々を封印していった、のモ、ミナ、忌々シいヘリオドールの、タミタチ、ダ……」
「なるほどね。どんな理由かと思ったら、ただの安い復讐心だったわけだ」
呆れたようにジェイドは言った。
「ハ、ハ、ハ、ハ……。ソウ、オモウテ、オレバイイ、ワレワレノ」
言葉の途中で、悪魔の顔は崩れた。最後の瞬間、悪魔オールド・ロジャーの琥珀色の瞳は、わずかに笑ったように見えた。悪魔の身体は、煤のように焼け散って、そのすべては瓶の中に封じられた。
「おやすみ」
見ていたスピネルが、小さくそう言った。
「栓を」
ベリルが、クリードのそばに走り寄る。ベリルに手伝われながら、クリードは、紫の栓を瓶に差し、銀の留め金を引き下ろした。
その場を包んでいた渦巻く風が消えて、静けさが戻る。
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