第71話「海兵隊長の過去~石膏の中の真実」

「手術室で、僕らは手記を拾ったんだ」


 ベリルはバッグから、あの手記を引っ張り出した。血で汚れた黒ずんだ革の手帳だ。


「破られていたページが、石膏像の中にあった。これは、あなたの手記なんだよね?」


 ベリルは、石膏の中にあった四枚のメモを読みはじめた。


『あのクリスタルの瓶を開けてから、船長の様子がおかしい。クリスタルは、中身が空になって、向こう側が透けて見える。やはり中になにかが入っていたのだろうか?栓を開けた時にそばにいたものに訊いても、だれも話したがらない』


『船の様子がおかしい。みな気づいているのに、そのことを口にはしない。異様な雰囲気だ』


『みな、名前を失った。嫉妬深いもの。怒りっぽいもの。悪ふざけが過ぎるもの。いろんな人間がいたが、それだけではなかった。人は複雑な生き物だ。時には矛盾する気持ちを持ったりする。一言では言い表せない。だが今はどうだ? みな、なにかが欠落したようだ。それで、残った部分だけがその人間を動かしている。それは果たして、以前までのその人なのだろうか? わたしは、どうだ? 昨日までの自分か? 海兵隊長エリック・コルベール。今のお前は本物のお前なのか?』


『あれから、みな少しずつ狂いはじめた。逃げ出せたものもいたが、多くは殺された。いや死にはしない。あいつに、身体も魂も縛りつけられる。我々は何者なのだ? 気づかぬうちに人ではなくなっていく。すべては、あのクリスタルの封印を解いてしまってから。それが間違いだったのだ。あの瓶は、海の底に沈めておくべきだったのだ。あの中にいたのは、悪魔だった』


 海兵隊長の脳裏にパチパチとひらめいて消えるのは、どこか暗い湿った部屋の隅にうずくまる自分だった。




 悪魔の誘惑に、最後の最後まで抗ってきた。もうどれだけの時間が過ぎたのかもわからなくなっていた。


「名前を捨て、この船に乗らないか?」


 今も耳元でその言葉が聞こえている。


「ワ、ワタシハ……」


 自分自身の意識が消えかける寸前に、そばの布きれに、震える指でなにかを書きつけた。剥がれ落ちていくわずかな意思は、そこで途切れた。




「このままじゃいけないって、あなたも本当は分かっているんじゃない?」


 ベリルの問いかけに、海兵隊長がゆっくりと顔を上げる。


「まあ、気持ちは分かるよ。海兵隊長殿」


 ジェイドはそう言った。でもその眼光は鋭かった。


「死ぬのは怖いよな? 俺も怖いよ。あんな死に方、だれもしたくはないよな……。でもさ、はじめてじゃあ、ないんだろ?」

「なに?」


 震える声で、海兵隊長はジェイドを見る。その瞳は、恐れを抱いているように瞬いた。


「子どもたちをさらったことだよ。今回がはじめてじゃないんだろ? あんた、今何歳なんだ? 儀式とやらで他人の命を奪って、それで何人分の人生を生きた?」

「…………!」

「終わりにするべきだ。血が通ってたころの、エリック海兵隊長がそうしようとしていたように」


 ジェイドは、静かに言葉をおえると、海兵隊長をまっすぐに見た。


「……わ、わたしは」


 海兵隊長は、苦痛に顔をゆがめるようにして、うつむくと首を振った。


「クリスタルの瓶はどこなの? まだこの船にあるんだよね? 教えてよ」


 ベリルの問いかけに、海兵隊長は、逡巡したのちに重い口を開いた。


「クリスタルは、守られている。あれは、それ自身に強力な力を宿しているのだ。あの方でも、破壊はできない。だから他人の手に渡るのをおそれ、あの方は、それをそばに置くことにした」

「守っているのは、タコの怪物とやら、かな?」


 ジェイドが訊くと、海兵隊長は、ふたりの背後にある昇降梯子をちらと見やり、小さく「ああ」とうなずくのだった。


「そのクリスタルの瓶を使って、どうすれば悪魔を封印できるの?」


 ベリルが、続けざまに問いを投げかけた。そして……、核心に迫る問いをする。


「名前が、必要なんじゃない?」

「名前などないっ!!」


 すると海兵隊長は、急に語気を荒げた。


「この船では、名前など必要ない。あの方に、名前はない。知らないのではないぞ。ないのだ」


 同じようなことを、大工長も口にしていた。そこでベリルはつづけて問いかけてみた。


「クリスタルの瓶を開けた時、船長以外にだれがそこにいたか知ってる?」

「大工長と甲板長。そして、今は灰となり壺の中で蘇る日を待つ中尉」


 海兵隊長は、落ち着きを取りもどしそう返した。


「そう。ありがとう」


 ベリルは、ちらりと兄と顔を見交わした。


 クリスタルの瓶の中に悪魔が封印されていた。もう一度悪魔を封印するには、悪魔の名前が必要。そのことが確証に変わった瞬間だった。

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