第48話「ベリルの回想~あの町で」

 じいちゃんが死んで、僕らは仕事も失った。


 じいちゃんと兄ちゃんが問題なくやっていた仕事なのに、僕が加わってすぐに追い出されたんだ。最初は、もしかしたら僕のせいじゃないかって、そう思っていた。


 けど、原因は僕じゃなくて僕らの名前だった。


 じいちゃんが死んだ後、僕らはふたりで生きてきた。ラ・ブランシュの町で。生まれ育った場所がここだから、ここ以外に行くところなんてない。

 でも、故郷ヘリオドールのことは、じいちゃんから小さな頃、よく聞かされていた。じいちゃんは、ヘリオドール王国の歴史だけじゃなくて、ヘリオドールに伝わるいろいろな神話や伝説、おとぎ話も聞かせてくれた。僕はそれを聞くのが大好きだったんだ。そして、いつかヘリオドールへ行ってみたいなって思っていた。

 森と宝石の国……。きっと素敵な場所なんだろうな。お父さんとお母さんも、その国で生まれ育ったんだ。




 クローチコールの屋敷を追い出されてから、日に日に僕らの暮らしは厳しくなった。兄ちゃんは船着き場で積み荷運搬の仕事を、僕は靴磨きの仕事をはじめた。けど、一日働いても、得られるのはパン一個にも満たないお金だった。


 あの頃は、いっつもお腹を空かせていたっけな。


 僕が風邪で寝込んでしまったある日、兄ちゃんが、帰りに真っ赤なリンゴを買ってきた。

 夢中になって、美味しいリンゴにかじりついたけど、あとから疑問に思ったんだ。そんなお金あったのかなって……。

 

 それからも兄ちゃんは、帰りに食べ物を買ってくるようになった。リンゴやハムやチーズ。バターたっぷりの甘いクロワッサンを買ってきたこともある。


 お金のことを僕が訊くと、兄ちゃんは、給料がいいんだって言っていた。だから時々、ごちそうだって買うことができるんだって。


 嘘だ。あの食べ物は……。


 食べ物を持って帰るとき、兄ちゃんは怪我をしていることがあった。仕事で怪我したって言っていたけど、きっとそうじゃないんだと思う。


 盗んだんだ……。


 僕は、そのことに、ずっと前から気づいていた。けど言えなかった。いけないと思う前に手が出て、食べ物をつかんでいた。




 ある日のこと、いつも待ち合わせる高台の公園に、兄ちゃんは姿を見せなかった。


 兄ちゃんが家に帰って来たのは、外が暗くなってからだった。


「どうしたの? 遅かったじゃない」

「ああ、仕事が片付かなくて」

「そう。ポトフを作っといたよ。ジャガイモしか入ってないけどね」

「チーズとパンがあるから、これも食おう」

「……うん、ありがとう」


 今日もまた、盗んできたんだ……。


 一瞬、そう思ったけど僕は考えるのをやめた。しゃべることや丁寧にチーズとパンを切り分ける作業に集中する。


「それからさ、ベリル」

「なに?」


 椅子に座ると、兄ちゃんがバッグに手を伸ばす。


「これ」


 そう言って、バッグから出したのは一冊の本だった。表紙に『世界博物誌』と書かれていた。


「こ、これ、どうしたの?」

「買った」

「嘘つくなよ。本なんて、いくらすると思ってるの? 僕らがとても買える値段じゃないはずだよ?」


 思わず責めるような口調でそう言った。


「普通ならな。けどそりゃ見切り品だ。見てみろ、ボロボロだろ?」

「……」

「露店で叩き売りされてたんだ。そんな顔すんなよ? せっかくお前のために買ってきたのに」




 兄ちゃんが寝静まってから、僕は本の表紙を開いた。そこには、300年前の騎士が各国を回って知り得たさまざまなことが書き記されていた。

 気がつけば僕は、夢中になってその本を読んでいた。どんなに苦しくても、本を読んでいる時だけは日常を忘れられたんだ。

 けれど、常に心のどこかに何かが引っかかっていた。




 ある日、靴磨きをしているときに客の話を耳にした。ルミエール号という大型の商船が、近々ラ・ブランシュの港から出向するらしい。一年がかりで東の国々を回る商船で、船乗りを新しく募集しているんだとか。


 船に乗りたい。


 瞬間的にそう思っていた。特に深い考えがあったわけじゃない。と思う。


 船に乗ったからって何かが変わるわけでもないかもしれない。けれど、この場所から、どこでもいいから別の場所へ行きたかったのかもしれない。

 本と同じような諸国を巡る旅というのも、想像すると少しワクワクしたって言うのもある。


 港の張り紙に詳しい募集内容が書かれていた。靴磨きとは比べ物にならない給料だった。それに食事がついているのが何よりも魅力的だった。食べ物の心配をしないですむだけ、どれだけうれしいことか。


 そこで僕はあらためて決意した。


 船に乗ろう。


 僕は、その日のうちに兄ちゃんに商船に乗ろうと言った。いつも待ち合わせする高台の公園で。


 兄ちゃん、驚いていたっけ……。けど僕は本気だった。


 何かを変えられるような、そんな淡い期待を胸に、僕はルミエール号に乗ったんだ。

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