たとえ地獄に落ちようとも
計画通り大学に入学した私は、彼を監視していた先任の潜入捜査員から調査を引き継いだ。
「ミステリ研究会、ですか?」
意外だった。あの躍動感と野性味あふれるアグレッシブの塊と思えた少年が、まさかのインドアサークルに入るとは。その後の捜査員の話を聞いてさらに驚いた。
「そうです。ターゲットはミステリ研究会の副部長をしています。ですが」
捜査員は渋い顔をした。
「ターゲットは、ミステリ研究会の部長からいじめのような、かなりひどい扱いを受けています」
「なぜです?」
「二年前、このサークルの部長がある新人賞を受賞しました。それまで良好だった関係が一変、実績を積んだ部長は途端に横柄になり、ターゲットはじめ、他の部員たちを召使いのように扱い始めました。急にちやほやされたから、いわゆる調子に乗っている状態だと思われます。ターゲットもすぐに落ち着くだろうと最初は思っていたようですが、一年たっても態度は変わらず、他の部員たちが次々と辞めていく始末で。今は二人しか在籍していません」
「ターゲットはまだ、在籍しているのですか」
「ええ。普通であれば、辞めてもおかしくはないと思うのですが。もしかしたらDVや引きこもり家族によくある、過去の楽しかった頃の記憶が、離れがたくしているのかもしれません。ほら、よくあるじゃないですか。今はこんな変わってしまったけど、昔は良い奴だった。恩もある。だからいつか、元に戻ってくれる、みたいな」
捜査員の話は、過去にそういうものがない私にはいまいちピンとこなかったが、心理学的にありそうなので、曖昧に頷いた。
「ですが、それも限界が近いかもしれません。部長はスランプに陥り、ターゲットに更に強く当たっています。いつターゲットが爆発するか」
捜査員が身震いする。彼が怯えるのも仕方ないことだ。ターゲットは人知を越える力を有している。その力がひとたび振るわれれば、大惨事になりかねない。爆発と彼が評したのは比喩表現じゃない。爆弾の爆発とほぼ同列に扱っているのだ。
「わかりました。後は私が引き継ぎます」
「危険すぎます! あなたに何かあったら、刑事局長になんとお詫びすればいいか」
「大丈夫です。私はこの日のために準備をしてきたのですから」
しかし、と食い下がる彼に言葉を続ける。
「何かあっても、あなたに責任はありません。全て私の意思で行ったことです。父も理解しています」
捜査員を安心させ、彼から仕掛けた盗聴器の使用法についてレクチャーを受けた。その日からターゲットの監視生活が始まった。冷静に考えて、これはストーカー行為なのでは、と思わなくもないが、大義のためなのでその思いを押し殺した。
部長の彼に対する態度は、なる程ひどいものだった。彼の本質を知る私の背中にすら冷や汗が流れるほどだ。何も知らない捜査員にとっては銃弾が撃ち込まれているような恐怖だっただろう。その捜査員、押上が部室からセーフハウスに戻ってきたとたん大きな息を吐いた。結局彼は継続して監視を続けている。彼曰く、特別手当が出るから、だそうだ。
「相変わらずひどいな。なんであんな横柄になれるものかな」
「お疲れ様です」
「お嬢様。お疲れ様です。今日の講義はもう終わったのですか?」
「午前だけでしたので」
「ていうかお嬢様。ちゃんと家に帰られてます?」
机の上に置いたままのカップ麺やコンビニ弁当の空き箱を見ながら押上は言った。
「……帰ってますよ」
「毎日?」
「……」
「二日に一度、とか?」
「……週一で」
「花の女子大生の生活とは思えませんね」
「こっちの方が近いから便利なんですよ」
「言い訳が研究職っぽいですね。でも、そこまで監視したいなら、サークルに行ったらどうですか? あの部長、たぶん女の耐性が皆無ですよ。女子の姿があったらちっとは大人しくなると思うんですが」
「はじめはそうしようと思ったんです。一度部室前まで行きましたし。ですが、いざ彼の前に立つことを想像したら、少し緊張してしまって」
風貌はあの頃と全く変わっていた。けれど、彼が持つ本質は全く変わっていなかった。迷子の子供がいれば親を探したり交番に連れて行ったり、電車の椅子は妊婦やけが人、高齢者に譲り、新人スーパーの店員がレジ打ちで焦っても優しく声をかけて待っている。私が惹かれたままの、変わらぬ彼がいた。
「はは、お嬢様も人の子だったんですねぇ」
「何を当たり前のことを」
これ以上突っ込まれたくないので、話を変える。
「そういえば、先ほど合宿の話が出ていましたが」
「ああ、はい。年に何回か開くらしいですよ。最初は純粋に創作のための合宿だったのが、今じゃ部長の自尊心を満たすためだけの行為ですね」
バカバカしい、と押上は吐き捨てた。
「では、今では誰も参加しないのですか?」
「そういうわけではなさそうです。一度ちやほやされたら、人間はずっとちやほやされたいもんですから。部長が頑張って声かけてるみたいですよ。自慢げに言ってました。学部でも有名な女子が参加するって。他にもよその学校の美人が俺の名前を聞いて参加するとかなんとか」
これはまずい。何がまずいのかよくわからないが、このまま放置してはいけないと私の中の何かが叫んでいる。これまで理論と検証の結果を重視してきた私に、この時ばかりは自分の中に芽生えた勘を信じろと強烈な感情が生まれた。
「その合宿、私も参加できますか?」
「えっ?! 出来ますけど、お嬢様、参加する気ですか?」
「うまくは言えませんが、何かが起きるような気がしてならないんです」
「なるほど、警察一族の勘、何か事件の匂いを嗅ぎつけたんですね? 確かにいつターゲットが爆発してもおかしくない状況だ。それを未然に防ごうってことですね」
押上が納得していた。そういう勘が働いたのかは分からないが、事実彼のその後の行動は不可解なものだった。合宿で使うとは思えないロープを購入したり、創作のためとは思えないような計画を時折ぶつぶつつぶやいている。あれだけ罵倒されれば、彼にも限界がきたのかもしれない。合宿で何かが起きそうな予感が、急に現実味を帯びてきた。
こうして、私は合宿に参加した。別荘に到着すると、部屋に荷物を運びますと皆から荷物を受け取り、各部屋に押上と協力して手早く盗聴器類を仕掛けていく。一年生だからと運搬する理由を考えるのも簡単だ。
二十二時過ぎ。部長の部屋から二人分の声が聞こえた。部長と、相手は神保だろうか。最初は仲睦まじいというか睦事一直線かと思わせるような会話だったのが、突然緊張感漂うものに変質した。
「お嬢様、こいつは」
一緒に会話を聞いていた押上の表情が険しいものになっている。
「著作権侵害が過去に行われていたようですね。あとは脅迫でしょうか」
「どうします? 止めますか?」
こちらに尋ねつつも、行く雰囲気ではない。なぜなら、彼もまた住吉の教えを叩き込まれた捜査員だからだ。
「いえ、私たちの対象はあくまで彼です。下手に正体をさらして、対象に気づかれたくありません」
「ですよね、了解です」
神保が最後通牒を突きつけ、部長の部屋を出ていく。
「部長、凹んでますねぇ」
押上がご愁傷様と低い声で笑っている。彼もまた任務とはいえ部長の理不尽を少なからず受けていたのだ。ざまあみろと心中で思っているに違いない。
「セックスできると思ったら、社会的抹殺宣言を突きつけられたわけですからね。精神的ダメージは相当なものでしょう」
しばらくして、部長が動き出した。部屋を出て、上の階に上がってくる。神保の部屋に行くのか、と思いきや、向かったのは永田の部屋だ。悲鳴が聞こえる。これは、明らかに暴力の現場だ。しかし、私たちが動くことはない。
「白河が永田の部屋に向かいました」
外の様子を見ていた押上が報告する。部屋の中で白河の怒声が混ざる。そして、鈍い音を最後に音が消える。
「暴力事件、でしょうか」
「の、ようです。女性二人の相談する声が聞こえますね。もみ合って殺したってとこでしょうか」
「死体を移動させるようですね。なる程、目撃されないために外から運ぶ、と」
女性二人が四苦八苦しながら部長を運搬し終えた。それからしばらくして。
「お嬢様。ターゲットが動き出しました」
耳に全神経を集中させる。
「部長の部屋に入りましたね。死体を発見したようですが、何をしているんでしょう」
音声だけでは不明点もあるが、これはもしや、偽装しようとしている?
「ターゲット、部長の部屋を出ました」
何をしていたのか気になる。時間を空けて確認しに行くべきだろう。時間も十二時を超え、深夜帯だ。集中力を切らさないために押上と交代しながら盗聴する。
「お嬢様、動きありました」
少し緊張した面持ちで押上が報告する。
「彼ですか?」
「いえ、部長です」
「部長が?」
イヤホンを耳に当てながら尋ねる。死んだと思われていた部長の声が確かに聞こえてくる。
『くそ、くそ、あいつら。俺を誰だと思っていやがる。俺は在学中に賞を取ったんだぞ。もっと俺を称えるべきなんだ。それを神保め、くだらねえ昔のことでやいやい言いやがって。永田だって、どうせヤリたいから参加したんだろうがあんなエロい躰見せびらかしがって。くそ、白河に邪魔されなけりゃ今頃、くそ、くそ!』
「俺が言うのもなんだけど、ほんとクソみたいな人間だな」
押上が冷たい顔で言い放った。部長の呪詛は続く。そして、ついに行き着いた。私たちと同じカテゴリ、悪に片足を突っ込んでしまった。
『あいつら、目にもの見せてやる。お、俺を馬鹿にしたこと、後悔させてやる。何が訴えるだ。何が警察呼ぶだ。その前に、殺しちまえばいいんだ』
私たち二人の目が鋭くなっていく。そんなことを知る由もない部長は、あろうことか私の逆鱗に触れた。
『そうだ、今回の食材買ってきたの、副部長、あいつだったよな。あいつに罪被ってもらおう。そして、俺はあいつの盟友としてメディアに出る。メディアは俺の作品を並行して取り上げるだろう。そしたら、出版社が神保のくだらない訴えよりも、俺の話題性を取るだろう。それだけじゃない。この事件を元にして作品を一本書いてほしいと、俺に乞うかもしれない。いや、絶対乞う。切り捨てようとした人間が金の卵だと擦り寄ってくるだろうな。はは、良いこと尽くめじゃないか。副部長も、俺の踏み台になるなら本望だろう』
頭が凍っていくような感覚。代わりに腹の奥底に昏い炎が灯り、熱く滾る。優しい彼を、美しい魂の持ち主を、私のヒーローを。こいつは汚そうとしている。
許せない。
生まれて初めて、心の底から私は怒りと殺意を抱いた。こんな奴に彼を傷つけさせるわけにはいかない。いつかの恩を返す。私が、彼の魂を守る。たとえ地獄に落ちたとしても。
「押上さん」
「はい」
「トリアージ案件として申請します。このまま放置すれば、大量殺人が発生します」
「すぐ申請します」
押上が警察庁警備局警備局長に連絡する。私の大叔父にあたる人物だ。数分後、すぐに返答が来た。
「大量殺人の可能性、また、冤罪をかけられた彼がどう反応するかは未知数、場合によっては大規模テロと同レベルの危機が考えられるため、トリアージを許可する、絶対に阻止せよとのことです」
頷き、私たちは準備してから部長の部屋にノックもせずに侵入する。
「なんだお」
全部を言い切る前に、押上が当身で気を失わせた。相手に傷跡を残さない絶妙な力加減だ。さて、自殺に見せるために細工は流々仕上げを御覧じろ、といきますか。
机を梁に近づけ、宝石よりも硬いと評判のアイスバーを四つ置く。その上に椅子の足を乗せる。永田たちが使った方法と同じ方法で部長を吊り上げ、椅子に座らせる。部長の首に彼が忘れていったロープをひっかけ、はい、完成。あとは机に置いてあるワインを倒しておく。ビンから赤いワインがこぼれて机を濡らす。ワインに浸ったアイスは徐々に溶けていくわけだ。
きっと、彼のようなミステリーファンはそんな不確定要素ばかりのトリックがうまくいくわけないと思うだろう。
アイスが溶ける前に部長が気づいたら破綻する、とか。うまく椅子が倒れるはずがない、とか。
考えるべきは、逆なのだ。なぜミステリーの時だけ一部の隙も許されないと思い込んでいるのか。ここに仕掛けたのは、どれか一つでも成功すればいい仕掛けなのだ。アイスが解ける前に部長が気づいたとしても、驚いて立ち上がれば簡単に踏み外すようになっている。目を覚まして自分の理解が及ばなければ、体が反射的に動いてしまう。椅子が倒れなくてもアイスが溶けた分だけ高さが下がれば首は締まる。閉まれば反射的に体が動き、バランスを崩す可能性の方が高い。
極論を言ってしまえば、この仕掛けは失敗してもいい。全ての仕掛けが失敗して、部長が私たちに怒鳴り込んできたとしよう。殺そうとしたと。だが、その時私たちの周りには部長に敵対する神保、永田、白河がいる。私たちがしらを切れば、高確率で彼女たちは味方する。そして昨日遭ったことを証言する。私たちが名誉棄損で訴えれば、これまでの二つの罪、著作権侵害と暴行未遂が合わさって確実に逮捕、実刑判決まで下る可能性もある。誰も傷つけられない場所まで部長を放逐できる。生きていようがいまいが、どちらでもいい仕掛けなのだ。
細工を仕掛け終えた私たちは、鍵をかけて部屋を出た。
結果として細工が作動し、うまく首を吊った。ここからもう一仕事だ。全員が正直にこれから来る警察に対して証言するような精神状態に持っていかなければならない。今は全員後ろめたい状態だが、それでは誰かが疑われてしまう。誰も疑われないように、警察が来る前に『誰もが意図的せず口裏を合わせたような状態』にしておきたい。まあ、最終的に私たちで全てもみ消せるのだが、できればかける圧力、秘密を抱える人数は最小限にしたい。
朝まで考えて、いい方法が思いつかず、中身がなくなったパックジュースのストローを気づけば嚙んでいた。考え事をするときの私の悪い癖だ。やめようとは思うのだが、一向に治らない。
「そういえば、聞きたかったんだけど」
何気ない風を装った、緊張をはらんだ声。彼だ。
「皆は、どうしてこの合宿に?」
そして彼は、みんなから話を聞きだしていく。もしかして、と押上と一瞬目配せした。
私たちの想像通り、彼は犯人を捜し始めた。この状況を利用し、私たちの思惑のレールに乗せる。彼と共に行動し、うまく誘導する。その過程でもわかる。彼は人の弱さを理解し寄り添う事ができる。けれど、人の醜さまでは理解できないのだ。彼の中で部長は弱いだけの人間だった。それでいい。醜い部分は、全て私が引き受ける。
全てが私たちの思惑通りに運んでから少し時間が経って、ふと思う。実は彼は、私たちの犯行を見抜いていたのかもしれない、と。
いくら部長の背が低くても、机と椅子を両方使う必要はない。
彼の推理が終わり、ご飯を食べようといった時、私は口を滑らせた。毒を入れる人間はいないことが分かっている、と。どこから毒という単語が出てきたのかと考えたかもしれない。一つ疑えば後に続くすべてが疑わしくなってくるものだ。
それに、彼はこうも言っていた。推理が合っていようが間違っていようが構わない、と。それは、自分の推理が間違っていると理解しているが故の言葉だったのではないか。
いつか、彼は真相に気付くかもしれない。彼は私を軽蔑するだろう。きっと離れていく。だが、その時までは、どうか一緒にいさせてほしい。愛していると、一緒に居られて幸福だと言ってくれた人と。
「そういえば、あなた」
「何?」
「昔、島津豊久にあこがれて薩摩弁真似たりしたことあります?」
「誰から聞いたの僕の黒歴史?!」
「秘密。夫婦の間にも、秘密はあった方が良いって、誰かが言ってましたから」
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