言葉足らずの彼女
「何で、こんなことに」
頭を抱えた。
静かな夜。閑静な住宅街に立つ邸宅。僕の目の前には、焦げてしまった焼き魚が転がっている。
ミステリー研究会の合宿で起きた事件は、部長の自殺と警察は判断した。僕たちの行為は褒められたものではなかったけれど、罪に問われるものではなかった。全員が無罪放免で解放され、その後警察から何も問い合わせはない。
ミステリー研究会は廃部になった。僕も大学四年生、執筆活動を言い訳にしておろそかにしてたけど、ある意味良い区切りだ。遅すぎる就職活動を始めた。
そんな折、住吉から連絡がきた。
「副部長サン。言葉に責任を持つ、と言いましたよね」
嫌な、予感がした。彼女と再会し、そこから、僕の人生は疾走し始めた。
「なんですか、この焦げ臭い香りは」
顔をしかめながら彼女が仕事部屋から現れた。どてらを羽織り、額には冷えピタを張った彼女の顔は、睡眠不足による疲労がありありと見て取れた。
「悪い。魚をちょっと焦がした」
彼女が僕の手元を覗き込む。そして、睨むように半眼を向けてきた。
「言葉は正確にお願いしますよ。これ、ちょっと、とは言い難いのでは?」
「うるさいな。僕の中ではこれはちょっとのカテゴリに入るんだよ」
「おやおや、現職の刑事さんが、そんなあいまいな証言をして良いんですか? 取り調べだったら突っ込まれるんじゃないですか?」
「なりたくてなったわけじゃない。というか、そもそもこんなことになったのは、全部君のせいってこと、忘れてない?」
「お言葉を返すようですが、全ての始まりはあなたですよ。『副部長サン』」
あの日、住吉からの連絡で呼び出された僕は、死ぬほど驚いた。
「呼び出してすみません。早速ですが賞をとりました」
「は?」
言葉足らずの彼女が、僕も応募したことのある有名なミステリー小説の雑誌を広げた。今年の受賞作を発表している。
「え、うそ。嘘でしょ? これ、え、大賞?」
「はい。賞金と書籍化確定です。今、次の作品を求められています」
彼女が言うには、僕が言ったことを真に受けて試しに小説を書いてみたらしい。自分が学んでいる理学部の知識や、彼女の家族のことを絡めたミステリーだった。原稿を読ませてもらったら、めちゃくちゃ面白かった。彼女らしい、無駄を削ぎ落した合理的とも思える文章は、逆に大事な部分を光らせていた。トリックも良い。専門知識が事件に絡み、しかも素人にもわかりやすくて飽きさせない。確かに才能あるとは言ったけど、ここまで? え、僕のこれまでの積み重ねをたった三か月で追い抜いていったの?
「合宿から三か月しか経ってないのによく長編なんか書けたな?!」
頭がパニックでそこじゃないところを突っ込んでしまった。
「問題はそこではないんです。このせいで、私は今家族から勘当を言い渡されそうになっています」
「どういうこと?」
勘当とは穏やかな話じゃない。浮ついていた腰を椅子に戻した。悔しいが、本来こんな賞を取ったら家族は手放しで喜びそうなものだが。
「実は、私の家庭は古い価値観を持っていまして。小説家とか、そういう地に足ついてないような、いつ無職になるかもわからないような職につくことを反対しているんです。親は私に、自分と同じ公務員についてもらいたいらしいんですが、私はそれが嫌で。いろいろと議論を重ねた結果、研究員なら許してもらえることになったんです」
「なるほどな」
なるほどなと言いつつ、首を捻る。公務員になって欲しくて、妥協案が研究員ってどういう理屈だ?
「しかし、副部長サンに背中を押され、やってみたら文章を作るというのはどうも私の性にあっていたらしく、今ではこれ以外の働き方を考えられなくなっています。そこで家族を説得するためにこの実績を持って家に行こうと思うのですが、なにぶん私は言葉足らずです。そこで、副部長サンにフォローをお願いしたいのです」
「ご家族の説得かぁ。でも、僕で良いのか? もっと他に弁の立つ人間はいるだろうに?」
「副部長サンにしか頼めないのです」
美人に請われて、断れる男はいない。
「わかったよ。協力する。僕が勧めたわけだしね」
「ありがとうございます」
微笑む彼女に恰好をつける。
「良いよ、自分の言葉の責任を取るだけさ」
「本当に責任取らされるとは思わなかったけどね!」
思い出しただけでも頭を抱え、あの時の迂闊な自分をぶん殴ってやりたい。
「公務員って何だよ。警察官じゃん! しかも一族代々警察官って何! どこの娘さんだよ?!」
「警察庁刑事局長の娘です。嘘は言っていませんよ。警察官も立派な公務員です」
しれっとした表情で彼女は僕の作った味噌汁をすすり「美味しい」とほっこりしていた。どおりで合宿での事情聴取の時、警察官たちが緊張していたはずだよ。自分たちの上司の上司、お偉いさんの娘さんなんだから。
彼女の実家は、都内に何平米あるんだってくらいの豪邸だった。そこの座敷に連行され、やくざより強面で屈強な連中が畳にずらっと並んで座っている真ん中に放り出された。親だけじゃなく、親戚一同警察官、他にも官僚や自衛官、検事に裁判官だというのだから、この国は住吉家に牛耳……げふんげふん。守られていると言っても過言ではないと思う。そして、そんな彼らの真ん中に座るのは、住吉家の現当主、住吉塔子。彼女の曾祖母に当たり、政界財界、時の総理ともつながりのある人物が僕の前に立った。
「瑞樹をそそのかした責任を、取ってくれるんですよね?」
住吉に似た面影のある当主は、迫力のある笑みを浮かべて僕に語った。
住吉家は代々国家安寧のために戦ってきた一族云々、本家の血筋である住吉も警察官になることを望まれている云々。ようやく合点がいった。警察官になるのは嫌だけど、家の願いもある。そこで折衷案として科捜研とか捜査関係機関ならオーケーが出たわけだ。でも、本人が小説家になりたいとか言い出したからあら大変。警察官にならないなら本家の人間としてふさわしくない、勘当だ、でも可愛い娘の願いも叶えてやりたい、兼業ならどうだ、と親戚一同で喧々諤々ひと騒動あった後、彼女をそそのかした僕の話が飛び出た。じゃあ、彼女の代わりにそそのかした男に警察官になってもらえばいいじゃない。いいじゃないって、何?
そこから早かった。脅されるままに頷くと、あれよあれよという間に彼女との婚約が結ばれ、僕は大学卒業と同時に警察学校に入れられ、三年後の彼女の大学卒業と同時に結婚し、執筆をする時間も取れずに色んな事件を追って今に至る。この国は事件が起き過ぎなんだよ。
「あなたこそ、私に隠し事をしていたじゃないですか。お互い様です」
「その隠し事を僕に会う前から知っていたんだから、公平性はないと思うけど?」
そもそも彼女が合宿に参加した理由。言葉足らずの彼女の言葉を借りれば『僕に興味があった』からだけど。本当に言葉が足りない。真実はこうだ。
「知る人ぞ知る古武術を修めた人間の監視。それが、私があの大学に入るため、家から出された条件でしたので。でも、そんな事言う訳にはいかないじゃないですか」
「監視なんかされなくたって、悪さをする気なんか全くないし。公安の人も気にし過ぎなんだよ。ただの人間一人に、一体何ができるってんだよ」
「そのただの人間がたった一人で銃や爆弾で武装したテロリストを壊滅させたんですから、監視もしますよ。いつその牙が国民に向くかもわからないんですから」
「その話はやめてくれ。本当に仕方なくやったことだから。あれがなければ僕はいまも田舎の駐在所で穏やかに過ごしていたんだから」
警察官になってすぐに彼女の叔父様のいる本庁の捜査一課に配属されそうになるのを、荒事は本当に無理なんでマジ勘弁してくださいと何とか説得して得た僕の居場所だったのに。
「空気も水も美味しい、良いところでしたよね。執筆もはかどりました。でも、テロリストに上流にある巨大ダムを占拠されてしまった。ダムが爆破され決壊すれば、下流全域が水の底に沈む。下流域に住む全員の命を人質に取られて、あなたは見捨てる事なんかできなかった。その優しさと正義感は、私より余程警察官に向いてますよ。ただまあ、テロリストには、ちょっと同情しますが」
「僕の穏やかなスローライフを滅茶苦茶にして、多くの人の人生を滅茶苦茶にしようとしたんだから、顎と腰と両手足の関節くらい外れるよ。命があっただけましだと思ってほしい」
その功績が称えられてしまい、昇進した僕は所轄の強行犯係に配属になった。それからも僕の周りで多くの事件が発生し、彼女の協力も得ながら事件解決に尽力している。風の噂では、SATの義兄さんが手ぐすね引いているらしい。人事権を持つ住吉家の人間に一度阻止の相談をしようと思う。
そんな僕をしり目に、彼女は小説家としてさらに成功を収めていく。二作目も大ヒット。三作目は大きな賞も取って映像化までされた。いまや彼女は出せば売れるベストセラー作家の仲間入りだ。羨ましい。本当はそこには僕がいたはずなのに、という妬む気すら起きない。
「そういえば、茜さんの作品、書店大賞にノミネートされましたよ」
「神保さんの妹の茜さん? すごいじゃないか」
神保の妹、茜はあれから姉と和解し、退院後また小説を書き始めた。神保に約束した通り僕たちも作品を作るために協力を惜しまなかった。そうして出来上がった作品は、部長よりも大きな賞を勝ち取った。ざまあみろ、と天に向かって泣きながら叫んだ姉妹の姿が印象に残っている。
住吉瑞樹と神保茜は、ミステリー界注目の若手であり人気を二分するライバルであり、プライベートでは良い友達だ。
「今更だけどさ。瑞樹さん」
同じ苗字なので、下の名前で呼び合っている。僕? うん。入り婿のマスオさん状態だけど何か?
「改まってどうしました?」
「僕でよかったの?」
「結婚相手が、ですか?」
「うん、そう。……って、そんな馬鹿を見る目で僕を見ないでくれよ」
「いや、本当に今更だなと思いまして。なんでまたそんなことを?」
「僕にとっては今更じゃなくて、ずっと考えてたことだよ。僕は、君を愛している。色々大変だったけど、君と一緒にいられて本当に幸福だ。でも君はどうだろうか、ってふと思う。だって、あの時の僕はテンプレート的な陰キャだったし、女性に好かれる要素はなかったんじゃないかな、と。逆に、君はとても綺麗で、家柄も良い。男なんか選びたい放題だったはずなのに」
そう言うと、彼女ははあ、と呆れたようにため息を吐いた。
「好かれる理由はありましたよ。合宿の時、皆が疑心暗鬼になった時。大丈夫だって、皆を安心させてくれました。自分が一番不安なのに、他の人の事を思いやれる人を、すごいと思わない人はいないと思います。それからもあなたを監視していると、良いところがたくさん出てきました。正直に聴取に応じると言ったバカ真面目な誠実さもそうです。事件の後も頻繁に参加した皆と連絡を密にとってメンタルケアをしていた優しさもそうです。私が選び放題かどうかはわかりませんが、私はあなたに惹かれ、あなたを選んだ。あなたが良かったから。まだ言葉が足りないと思うなら、そうですね」
彼女が立ち上がって、優しく愛おしそうにお腹を押さえた。
「私のお腹に聞きます? パパ」
にぃっと笑う彼女に、僕はありがとうと泣きながら抱きついた。
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