55代 石橋湛山

名前 石橋湛山 いしばし たんざん

生没年 1884~1973

出身 静岡

在職 1956.12~1957.2

与党 自由民主党


・日蓮宗のお寺の出。陸軍軍人としても活動した。けれど、大体の人はジャーナリスト(記者)としてのイメージが先行すると思う。

・東洋経済新報の記者で、のちに社長にもなった。「四季報」で今も有名ですよね。


・戦前は朝鮮や満州などといった植民地を放棄し、平和的に経済発展していこうじゃないか、という小日本主義を提唱した。また、大正デモクラシーの中では国民主権を強く主張した。


・戦後、60代にして政界へ出た。一時公職追放を受けたが、後に復活し、自由民主党に参加した。

・鳩山一郎前首相の引退に伴った総裁選に出馬、一回目の投票では親アメリカをかかげる岸信介が一位となったが、二回目の投票で石井光次郎と石橋が二位三位連合を組み、石橋が総裁となった。最近どこかで見たような光景だ……。

・という経緯もあって、岸派とは微妙な関係だった。また、親中国派の石橋首相の誕生にアメリカのアイゼンハワー大統領は動揺した。

・党内対立をおこさないためにも岸を副総理とすべきという声の高まりを受けて、石井の副総理は白紙となり、岸が副総理となった。

・大蔵大臣に池田勇人を抜擢して積極財政を志し、石橋自身も各地を渡りを歩いたが、1957年1月に脳梗塞で倒れた。軽いものだったが、これを理由に石橋は退任した。その背景には、かつて浜口雄幸が襲撃されて登壇できなくなった際に、「議会運営に支障をきたしている。潔く退陣すべき」とする社説を書いたことがあり、今自らが退陣しないとなると、自説に背く事になるという信念があった。


・在任期間は65日で、歴代4番目の短命政権。また、国会で一度も答弁しなかった唯一の首相となった。



在任中の出来事

・・・・・・

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る