48~51代 吉田茂(第二次~第五次)
名前 吉田茂
与党 第二次と第三次・・・民主自由党
第四次と第五次・・・自由党
在職 1948.10~49.2
1949.2~52.10
1952.10~53.5
1953.5~54.12
・2250日近くにもなる連続内閣安定した政権だったことがうかがえる。
・先の二つの内閣で野党に回ったのは共倒れしなかったという意味で正解だったかもしれない……。
・戦後日本の道筋の多くが吉田内閣によって決定された。
・またこの時期に日本は国際社会に復帰した。
・のちに大物となる政治家やその父祖が顔を出している。
・第二次内閣では内閣官房長官に佐藤栄作、官房次長に橋本龍伍(橋本龍太郎の父)法務政務次官に田中角栄がいる。
・第三次内閣では三回も改造を行っているが、その間、大蔵大臣に池田勇人、郵政大臣などに小澤佐重喜(小沢一郎の父)がいる。
・第四次内閣では法務大臣に犬養健(犬養毅の子)、自治政務次官に鈴木善幸がいる。
ちなみにこの内閣では、国会で吉田首相が質疑応答中に「バカヤロー」と発言したことがきっかけで衆議院が解散した。大声で言ったわけではなく、呟き程度らしい。また、質問者である社会党議員がこれに対し「取り消しなさい」と発言したところ、吉田も自らの言葉を「不穏当だったので取り消す」とし、相手も「取り消された上は、これを追求しません」と一応収集した。
揚げ足取りで与党を追及しないあたり、時代の違いを感じさせられる。
・良くも悪くも戦後日本のかじ取りを担った首相だった。
在任中の出来事
1948.11 極東国際軍事裁判判決 東條英機らに死刑判決
1949.3 ドッジ=ライン発表
.4 GHQ、単一為替レート設定 1ドル=360円というとんでもないレート
.6 下山事件 三鷹事件
.8 松川事件
1950.3 自由党結成
.4 公職選挙法公布
.5 生活保護法公布
.8 警察予備隊結成
.9 レッドパージ閣議決定
1951.4 マッカーサー罷免される
.7 財閥解体完了
.9 サンフランシスコ講和会議・・・講和条約調印
対日平和条約、日米安全保障条約調印
.10 社会党、左右に分裂
1952.2 改進党結成
.4 GHQ廃止
.7 破壊活動防止法公布
.10 総選挙 警察予備隊が保安隊に改組
1953.5 バカヤロー解散
.12 奄美群島返還
1954.3 ビキニ水爆実験 第五福竜丸被爆
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