第10話

 明かりの消されたリビングを眺めながら、換気扇に向かって煙を吐き出した。

 椿は今日もソファーの上で身体を丸めて、穏やかな寝息を立てている。


 再びメンソール味の煙を口に含みながら、今日の夕食のことを思い出した。


 市販のパスタソースを使っていたから可もなく不可もなしといった味付けだったけれど、食べたかったものを食べられたから、いつもの食事よりも満足した気がする。

 そういえば、今日夕食まで、椿が献立について要望を聞いてきたことはなかったっけか……。


 ひょっとしたら、今日の一件で、少し懐かれてしまったのかもしれない。

 自分で撒いた種とはいえ、厄介なことになったな……。


 煙を吐き出していると、自然とリビングの隅に置いた骨壺に目が向いた。

 その途端に、屈託のない笑顔や穏やかな笑顔を浮かべる彼女の姿が脳裏に浮かぶ。


 この笑顔を再び見る機会が増えるのならば、懐かれるのも悪くないかもしれない。


「……けほっ」


 リビングから聞こえた小さな咳に目を向けると、椿の肩が小さく震えていた。

 ……一服はこのくらいにしておこう。

 

 タバコを消して再び目を向けると、椿は深い呼吸をし、寝返りを打ってこちらに背を向けた。そして、また静かな寝息を立てはじめる。


 よかった、起こしてしまったわけじゃなさそうだ。


 今日は楽しそうにしているところに水を差してしまったから、穏やかな眠りまで邪魔をするのは気が引ける。




「裏切られたくせに、なに未練がましく庇ってるのよ!?」




 ヒステリックで甲高い声が、耳に蘇る。

 

 たしかに、三島の言った言葉どおりだ。

 それでも……。


 気がつくと、足はリビングへと向かい、骨壺の目の前に立っていた。

 手で触れると、冷房の風があたっていたせいか、仄かに冷たい。


「なんで君は……、骨壺をここに持ってこさせたの? 離れていったのは、君の方からだったのに」


 口からそんな言葉が漏れた。

 当然ながら骨壺からは何の反応もない。

 椿も、静かな寝息を立てて眠っているだけ。


 この部屋に、私の問いに答えてくれる人はいないみたいだ。

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