宮本武蔵、龍を斬る⑥

 アイシアたちが最初に聞いた任務内容は、辺境のシロン村付近の森でゴブリンが繁殖して近隣を荒らしているので、そのゴブリンたちを討伐、同時に巣も探し出して破壊すべしというものだった。

 シロン村に住むのは少数民族の猫族である。彼ら猫族はその名の通り、頭上に猫の耳を有する変わった部族で、獣人という人種なのだという。本来は遥か南洋の国家にいる人種らしいのだが、猫族の祖先たちは旅の末、この地に定住したのだという。彼らの暮しを護ることこそがこの任務最大の目的である、貴君らの命に代えても彼らを護るのだと軍団長アーダン・ヴェリクも言っていた。

 だが、アイシアたちの遠征部隊が拠点となるシロン村に到着した時、その状況は予想だにせぬ変貌を遂げていた。シロン村付近を荒らしていたゴブリンたちはいつの間にか姿を消し、代わりに森の中に何処からか飛来したドラゴンが住み着いたのだという。

 ドラゴンは村に飛来すると村人たちに魔法で呪いをかけ、村の周辺から離れられないようにした。そしてこう要求してきた。自分が訪れるたびに生贄として一人の命を貰う、反抗するつもりがあるならせいぜい楽しませろ、と。

 この状況を知った時、部隊の意見は大きく二つに分かれた。当初の標的であるゴブリンはもういないのだから自分たちは王都に引き上げ軍団長に報告して次の支持を仰ぐべきだとする意見と、自分たちは猫族を護るという目的のために来たのだからどんな怪物が相手でも戦うべきだし軍団長もそういう意向だったという意見。前者は主に貴族の子弟たちの主張で、後者がアイシアたち平民出身者たちの主張だ。

 意見は対立し、折衷案として一部の者が軍団長への報告に戻り救援を請い、残った者たちで援軍が来るまで持ち応える、ということに決まった。その日はそこまで決めたところで議論は終了したのだが、翌日、貴族の子弟たちは誰が報告に戻るかも決めていないのに全員で連れ立って王都に戻ってしまったのだ。しかも、貴重な物資まで持って。

 こうして平民出身者たちのみがシロン村に残され、ドラゴンとの絶望的な戦いに臨むことになったのである。

 兵士たちは飛来したドラゴンとも勇敢に戦ったが、その都度蹴散らされ、村人一人を生贄として殺される。負傷はどうにか治療の魔法で誤魔化してきたが、もう限界が近い。ドラゴンは明らかに加減して戦っているが、それでも戦死者が出るし、とうとう脱走者まで出始めた。物資も現地調達ではままならない。自分たちの戦いに意味はあるのか、どうせ戦っても戦わなくても村人一人は必ず生贄にされるのだから、自分たちが無理に戦う必要はないのではないかという異見も出ている始末だ。もっとストレートに言うなら、この村を見捨てればいいと。

 だが、アイシアたちには騎士団としての誇りがある。あの、やる気も実力もない貴族の子弟たちとは違う、自分たちこそが騎士団の人間として正しい道を歩んでいるのだという誇りが。その誇りに殉じて戦うのだと。

 アイシアたちに何か希望があるとすれば、それは援軍が来るという一縷の望みだけ。それだけを頼みに、今のアイシアたちは戦っている。



 アイシアたちがドラゴンによって散々に蹴散らされてからきっちり四日後、ドラゴンは宣言通りシロン村に再来した。


「はっはっは、今日は矢による出迎えはなしか!」


 ドラゴンが鷹揚に声を上げるが、兵士たちは各々武器を手に沈黙している。今日は突撃もしない。ただ、注意深くドラゴンを取り囲むだけだ。

 いつもとは様子の違う兵士たちに、ドラゴンは「ふむ?」と鼻を鳴らす。


「どうした? まさかもう俺に抗うことを諦めたのか? それではつまらんぞ! もっとがむしゃらに足掻け! 根性を見せてみろ!」


 ドラゴンにとってこれは遊び。遊び相手にやる気がないのでは面白くない。

 兵士たちを煽るドラゴンの前に、代表してアイシアがずい、と一歩前に出た。


「それじゃあ勝てないことは分かってるわ……」


 具体的な作戦のない、ただ諦めないというだけの精神論で勝てるのなら先日の戦いですでに勝利していることだろう。

 アイシアの言葉を受け、ドラゴンは眉間にしわを寄せる。


「なら何とする? 命乞いでもするか? それとも獣人どもを見捨てて逃げるか? 貴様らも騎士団の人間ならば気概を見せろ! 騎士道はどうした!」

「これが同条件の互角の勝負なら、最後は根性だとか気概だとかがものを言うのかもしれないけど、そうじゃない。相手は格上。だから今度は知恵を絞ることにしたの」


 言いながら、アイシアは相手の視線を誘導するよう、半円を描きながらゆっくりとドラゴンの周りを回る。


「何?」


 アイシアたちが何かを企んでいることはドラゴンも気付いているが、圧倒的強者としての自負からそれを気にすることはない。策があるのなら、あえてそれに乗ってやる、せいぜい楽しませてみろという考えだ。


「………………」


 ドラゴンの視線が村の方から外れたことを確認してから、無言のままアイシアがスッ、と右手を上げる。それを合図に、一人の兵士が、


「今だ! 撃てぇーーーーーッ!」


 と声を上げた。

 その瞬間である、投擲の速度ではない、まるで矢のような速度で撃ち出された槍がドラゴンの顔面にぶち当たった。


「ぬがぁッ!」


 槍はそのまま砕け、顔面を貫くようなことはなかったが、しかしドラゴンが苦悶の声を上げる。このブラックドラゴンとは幾度も戦ってきたが、ここでようやくダメージらしいダメージを与えることに成功したのだ。

 先日の戦いで大穴が空いた空き家を利用し、そこに隠す形で槍を撃ち出す急造のバリスタを設置しておいたのである。職人系のギフトを持つ工兵が突貫で造ってくれたのだ。アイシアがドラゴンの視線を誘導したのも、バリスタが設置された方向をドラゴンに意識させないための作戦である。


「効いているぞ! かかれーーーッ!」


 その号令で、兵士たちが一気にドラゴンに殺到した。ただ、槍は持たず剣も鞘に収めたままでドラゴンの身体に密着し、力いっぱいに押し始める。


「な、何を……?」


 バリスタの一撃で脳が揺れたのだろう、ドラゴンは意識を覚醒させるように頭をブンブンと振っているのだが、まだアイシアたちのターンは続く。


「スモークボルト!」


 攻撃魔法が使える兵士が魔法の矢をドラゴンに放つ。ただし殺傷能力のある炎の矢ではなく非殺傷タイプの白煙の矢だ。

 白煙の矢がドラゴンの顔面に当たり、その巨大な頭部がモクモクと煙に包まれる。


「ぐふッ! ゴホ……ッ」


 視界を失い、咳き込むドラゴン。

 その間にも兵士たちは必死でドラゴンの巨体を押し続ける。ズズ、ズズズ、と、僅かずつではあるがドラゴンの身体が押し出されてゆく。


「押せ、押せ!」

「ううううううぉッ!」

「ぬッ、な、何を……」


 先ほどよりも更に激しく首を振って煙を振り払うドラゴン。兵士たちの謎の行動に対して思わず困惑の声が洩れる。

 あと少し。もう少し。

 兵士たちは残った力の全てを振り絞り、これで最後とばかりにドラゴンを押した。


「うおおおおおあぁーーーーーーッ!」


 ドラゴンの巨体がズズズズ、と押し出されたその瞬間である。ドラゴンの足元、その地面が突如崩落し始めた。

 あらかじめ兵士たちが掘っていた落とし穴だ。


「ぬわあぁッ!」


 ドラゴンが声を上げて落とし穴に落ちてゆく。


「落ちたぞ! 今だ!」


 穴から這い上がる暇など与えない。


「ウォーターフォール!」


 水魔法が使える兵士が落とし穴に大量の水を流し込んで水没させる。

 更に他の兵士たちが用意しておいた岩や土嚢を次々と穴に放り込んでゆく。かろうじて少量だけ精製に成功した痺れ薬の瓶も一緒に放り込む。

 どんな攻撃をしても死なないのなら、水に沈めるなり土に埋めるなりして窒息死させてしまおうという、何とも大胆な作戦であった。


「………………どうだ、やったか?」


 水やら土砂やらで埋まった落とし穴を覗きながら、兵士の一人が口を開く。

 今のところドラゴンの唸り声が聞こえたり、暴れるような震動を感じることもない。作戦が成功したのなら、今頃ドラゴンは地面の中で死んでいる筈だ。


「やった……のか?」

「……やったんじゃないか?」


 呆然と、兵士たちが顔を見合わせて確認し合う。そして互いに頷き合い、自然と口元に笑みが浮かぶ。その笑顔が周囲の兵士たちにも伝播し、その場が歓喜に包まれる。


「………………やった」

「やった!」

「やったあああぁーーーーーッ!」


 ついにあの強敵を、ドラゴンを倒した。長い戦いだった。幾度も絶望しながら、それでも挫けず立ち上がり勝利を掴み取ったのだ。

 歓喜を溢れさせて抱き合い、膝を突いて泣き、両手を上げて高らかに笑う。皆がそれぞれの形で喜んでいると、唐突に、

 ドンッ!

 と、地面が揺れた。まるで、下から何者かに地盤を突かれているような衝撃だ。


「……え?」

「ま、まさか……」


 それまでの歓喜が嘘のように場が静寂に包まれ、皆の視線が、ドラゴンが埋まっている落とし穴の方に注がれる。

 ドンッ! ドンッ! ドンッ!

 音が響き、地面が揺れるたび、皆の顔から血の気が引いていく。そして五度目の、

 ドンッ!

 という音と共に埋め立てた場所が突き破られると、死んだものと思われていたドラゴンが勢い良く飛び出してきた。


「グルオオオオオオォーーーーーーーーッ!」


 咆哮を上げ、勢いのまま天高く昇るドラゴン。


「な、な……ッ!」

「あ、ああ…………」


 先ほどまでの歓喜が、すぐさま絶望へと変じてゆく。

 あれだけやって、まだ駄目なのか。あれだけやって、まだ届かないのだ。あれだけやって、まだ終わらないのか。どうすれば終わるというのか。

 空中で翼を開いて制止したドラゴンが愉快そうに笑い声を上げる。


「ぶわーっはっはっはっは! 落とし穴に水攻めとは考えたな! だがまだ甘い! 本気で俺を殺したいのならもっと深く穴を掘るべきであった! 流し込むのも水などではなく酸かマグマにでもすればよかったのだ! 甘い甘い!」


 あれだけの攻めを受けたというのに、ドラゴンは無傷で喜んでいた。今日は存外に良い攻めだったと、その程度にしか思っていないのかもしれない。


「そんな、これでも勝てないなんて………………ッ」


 呆然と立ち尽くしたまま、アイシアは上空のドラゴンを見上げて強く拳を握った。同期の中では一番と言われた剣聖のギフトによる剣術も、数々の魔法も、バリスタのような兵器も、決死の作戦ですらも倒せない怪物。こんな怪物をユトナ・フォリンはどうやって倒したというのか。

 もうすっかりと戦意を失った兵士たちの前に、ドラゴンは緩慢な動作で舞い降りる。


「今日はこれで終わりか? ならば今日も一人、命をいただくぞ! そうだな……」


 兵士たちの心が折れてしまったことはドラゴンも分かっているのだろう、今日はこれでシメだとばかりに生贄を選定し始めた。

 また今回も護るべき村人が犠牲になる。自分たちの力が及ばないせいで。

 兵士たちが無力感に苛まれていると、ドラゴンが「決めた!」と声を上げる。


「ここは趣向を変えるか。女、今日は貴様にしよう!」


 そう言ってドラゴンが顎で差したのは、何と村人ではなくアイシアだった。


「ッ!」


 兵士たちは驚愕に目を見開き、当のアイシアがゴクリと息を呑む。確かにこれまでの戦いでも仲間が戦死することはあったが、しかし兵士たちは遊び相手であるからと、生贄は決まって村人たちの誰かだった。その法則がここに来て変わってしまうとは。ドラゴンとはどこまで自分勝手な存在なのか。


「貴様ら兵士どもにはあえて呪いは施しておらん! まずはその身を焼き尽くしてから魂をいただこうか!」


 言うや、ドラゴンは大きく口を開けた。

 アイシアの眼前で、その喉元に己が身を焼き尽くさんとする炎が収束してゆく。

 騎士団に入ると決めた時からアイシアは死を覚悟している。戦いの中で死ぬ覚悟を。だが、誰が相手であろうとただで殺されてやろうとは思っていない。


「く……ッ!」


 奥歯を強く噛み締め、アイシアは震える手で武蔵から贈られた剣を抜いた。

 恐らく、アイシアは無残に焼かれて灰となるのだろう。だが、それでも足掻かない訳にはいかない。最後まで抵抗するのだ。


「スタンツ、逃げろ!」


 仲間が悲痛な声を上げるが、逃げ場などないことは明白。瞬間移動でも出来ない限り、このドラゴンの炎から逃れる術はない。

 せめて仲間に被害が及ばないようにと、アイシアは誰もいない方向に走り出した。

 ドラゴンはその長い首を器用に動かしてアイシアを狙い続けている。まるで、無駄な足掻きだとでも言わんばかりだ。


「さらばだ、女!」


 喉元どころか口外まで溢れるほどの炎が一点に収束している。これまでとは比較にならないほどの猛火。その猛火がアイシアに放たれようとしたその時である。

 突如凄まじいスピードで現れた人影が、勢いのまま地を蹴ってドラゴンの眼前に飛び出したのだ。

 仲間ではない。一体誰なのか。いきなりのことに皆が唖然としている。

 だがアイシアは、アイシアだけはその人物の姿を見た途端、幻を見たというように目を見開いた。死の間際、最も会いたいと思っていた者の幻を見たと。


「真・二天一流、山ノ太刀、十文字!」


 そして皆の眼前で信じられぬことが起こる。いきなり飛び出して来た人影が目にも留まらぬ速さで二刀流の剣を交差させて十字の斬撃を放ち、避ける暇すら与えずドラゴンの下顎を強かに打ち据えたのだ。

 その凄まじい威力により吐き出そうとしていた炎がドラゴンの口内で爆発、更に斬撃の衝撃でドラゴンの巨体が上空に打ちあがった。


「ごがぁは……ッ!」


 口から煙と血を吐きながら、吹っ飛ばされたドラゴンの巨体が地面に叩き付けられる。兵士の剣などいくら受けても意に介していなかったあのドラゴンが、ただの一撃で。

 ドラゴンの巨体が倒れたことで、辺りがもうもうとした土煙に包まれる。

 皆が目を瞑って咳き込む中、アイシアだけは目を見開いたまま、土煙舞う中に佇むその人影を見つめていた。


「チッ、硬い。まさか刃が通らんとは。流石は龍といったところか」


 人影が土煙の中で鋭く舌打ちをする。その声を聞いた途端、アイシアの目から滂沱のような涙が溢れ出した。間違いない、アイシアが十六年間も一緒に過ごした彼の声だ。


「れ……レオン?」


 恐る恐る、アイシアはその背に声をかける。幻ではないように、と祈りながら。

 人影が振り返り、アイシアに歩み寄って来る。その顔をはっきりと目にしたアイシアは堪らずに駆け出し、その男の胸に飛び込んだ。


「レオン!」


 レオン・ムサシ・アルトゥルの逞しい腕が、実に一年数ヶ月ぶりにアイシアの身体を強く抱き締めた。

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