第22話「六時限目」

 食堂にいる時も、午後の講義の時にも、ゼラは姿を現さなかった。アルータの隣で講義を受けている時——居心地が悪かった。彼女はいつも通りに振る舞っていて、それが余計にいくつにはいたたまれなかった。


 口は悪いが、ゼラはいつもアルータのそばにいて、支えになっていたのだ。改めてそうと感じる。


「あのさ……アルータ、六時限目はどうするの?」


 五時限目が終わった時、多少気負いつつも幾はそう尋ねてみた。「宿舎に帰るわ」と教科書を片づけながら、彼女が答える。


「ゼラと少しでも早く、話をしておきたいの」

「……そうだよな」

「イクツ、あなたは?」

「俺は、修練場で体を鍛えてくる」


 これは最初から考えていたことだった。点数稼ぎのためではなく、魔闘まとう大会に向けてのものだ。キスティやゼラと戦って改めて感じたことだが、目が良いだけでは到底勝ち残れないと痛感している。大会まで間もないとなれば、少しでも力をつける外ない。


 それに——宿舎にいると、ゼラと顔を合わせてしまうかもしれないから。


「無理をしないで、イクツ」

「わかってる。ほどほどにやるよ。宿舎での仕事もあるし」

「夕方までには帰ってくるのよ」

「……わかった」


 まるで妹に言われたような感覚だった。


 その後で幾は簡易な戦闘服に着替え、修練場に赴いた。こちらを見てきた生徒たちが遠巻きに噂をしている。近づいてくる気配もない。ゼラとやり合ったことで、すっかり敬遠されてしまっている。


 小さくため息をついたところで——「イクツさん!」


「……アーデル?」


 そのアーデルは両手を胸の前でぐっと握りしめて——なぜか、幾とまったく同じ衣装だった。ケープも鎧も何もまとってないので、幾の目から見ると、普通に体育の授業に臨む生徒のように見えた。


「六時限目は修練なんですね! 奇遇ですね!」

「……そうなんだろうね」

「さぁ、何をしますか! 剣技ですか!? 体術ですか!? 魔法ならばささやかながら、僕がアドバイスしますよ!」

「いや、普通に体力づくりのつもり」


 へ? とアーデルが間の抜けた声を出した。だろうなぁと思いつつも、幾は修練場の隅を指さす。そこには古びた鎧を着せたカカシのようなものがあった。ついでに、鉄の柱からぶら下がっている鉄球、そして壁の上部から縄を垂らしたものもある。


「ここで戦ってみて色々わかったんだ。俺は体力が落ちてる。それを取り戻さないと、とても生き残れない」

「い、いやでも……あの棍棒さばき、誰にも真似できるものではないですよ!」

「昔の経験を活かしているだけだよ。正直、腕が落ちてるって思ってる」

「腕が落ちてる……? あれ、で……?」


 幾が和太鼓をやっていたのは二年前——中学三年生の時までだ。退部してからはまともに体力づくりなんかしていない。そのおかげで少し腹も出ているし、腕の振りも勘も鈍っている。〈ガルン〉、ヴァルガ、キスティ、ゼラとやり合って大怪我しなかったのは、ほとんど奇跡に等しい——幾はそう思っている。


 幾はひとまずアーデルと一緒に、カカシの方に向かってみた。兜と鎧を着けられたカカシは燃え焦げていたり、首が折れていたりと悲惨なものだった。しかし、今の見た目とは裏腹に相当頑丈にできているらしい。それを証拠に、根本にはほとんどダメージが見受けられないのだ。あえてそこを狙う生徒がいなかった可能性も考えられるが。


 幾はまず、二本の棍棒を軽く揺すってみた。やはり、重い。重いぶん威力はあるだろうが、これではキスティ相手にはかすりもしないだろう。


 アーデルが遠慮気味に尋ねてくる。


「どうするんですか?」

「とりあえず、叩いてみる」


 幾はカカシの前で半身になって腰を落とし、左膝をまっすぐに、右膝を深く曲げた。右腕を後方に伸ばし、そして右肩に左の棍棒を添えるように構える。


 現実の世界でも実際にある、基本中の基本の〈構え〉といってもいい。そして幾はこの〈構え〉に、勝手に名前をつけていた。


曲目きょくもく一番……〈火の構え〉」


 右膝に溜めた力を左膝に移動させると同時、両の棍棒をカカシの胸目がけて同時に叩きつけた。爆発でも起こったかと思うほどの衝撃——ものの見事にカカシの鎧は砕け、破片がそこら中に散乱した。


「曲目一番、〈火炎太鼓かえんだいこ〉……」


 つぶやき、〈構え〉を解いてカカシの全身を観察する。鎧が剥がれた胸部には二点の深い痕跡が残っており、全体が大きく傾いている。


 しかし、幾は「ダメだな」と首を振った。


「え、これでダメなんですか?」

「俺はカカシの根元もへし折るつもりでやったんだ。だけど棍棒が重くて、全力を乗せ切ることができなかった」


 幾の言う通り、カカシの根元は健在だ。小さく亀裂が走っているようだが、それでも幾には不満だった。「これじゃ、やりづらい……」と幾がつぶやく傍ら、アーデルは何か考え込んでいる。


「あの、イクツさん」

「うん?」

「もっと軽くて頑丈な棍棒ならありますよ。ここにはないですけど」

「あるのか? 武器屋みたいなアレか?」

「っていうか、僕の家なんです」

「うぉっ、すげぇ」


 反射的に答えると、「いやぁ……」とアーデルは後頭部をさすり、顔を染めた。しかしすぐにうつむいて、力なくつぶやく。


「まぁ、大手の商店に客を奪われたしがない店ですけどね……」

「……ま、まぁ、そんな卑下ひげしなくてもいいと思うぞ。ほら、なんか、掘り出し物があるかもしれないしさ」

「掘り出し物……そうですよね……うちにはそのぐらいしか見るものないですもんね……」


 どうやら家のことにはあまり触れてはいけないらしい。武器屋の息子なのに体術や剣技に優れているわけでもないことから、色々と察せられる部分はある。


 幾は太陽の角度を確認し、「夕方までにはまだ間があるか……」


「えーっと、アーデル。その武器屋に連れていってもらえるか?」

「え? しがない、粗末な、しょうもない店ですよ?」

「……いや、そこまで言うなよ。行きたいんだよ。この棍棒じゃあ、とても訓練にならないから」

「イクツさんがそう言うのなら……」


 しぶしぶといった具合にアーデルが口をすぼめる。よく考えてみれば、何かしら商売を行っている店に人を連れ込むというのは、なかなかに勇気のいることなのかもしれない。何かを買うのも、買わないのも、それはそれでやりづらそうだからだ。


 ただ、武器屋というものに一度行ってみたかったという事情がある。現実世界だと銃や刀のレプリカを売っている店こそはあるが、実戦を想定しての武器を販売している店なんてのはかなり数が限られているはずだ。そして——そういったところは普段、人の目に触れるような場所にはない。


「あ、六時限目どうすっかな……」

「基本的に自由参加なので、教官に言っておけば途中で退出もできますよ」

「じゃ、そうするか」


 こうして——幾とアーデルはさっさと退出し(教官からは渋い顔をされたが)、ヒートレグからトキトーリの街並みへと向かったのだった。

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