第32話

 僕は一人、ホテルの部屋で寝転がり、白い天井を眺めていた。父さんは、休暇の申請のため、会社へと出掛けていた。

 結局、呪いの木なんていうものはなかった。ただ全て、三鷹ミツル、根越、この2人が仕組んだ事だったのだ。ツクモの家の焼失、これも2人がやった事だろう。

 けれど、ツクモの日記の鍵の発見、これはただの偶然なのか?あの夢、ツクモが木の根元に骨を埋めていた夢、あの夢を見なければ、鍵を発見する事はできなかったのではないか?

『私の魂はあなたに会いに行く。必ず。待っていて欲しい。あの木の下で。必ず会いに行く』

 ツクモの日記にはそう記してあった。夢という形だったけれど、ツクモに会う事はできた。それも偶然?あの火の玉は?あまりにも偶然が過ぎる。けれど考えても、考えても、何かに辿り着く事はなかった。

 それにまだツクモは死んだと決まった訳ではない。

 でも何故だろう。一番生きていて欲しいと願っている僕が、ツクモがこの世にいない事を漠然と受け入れてしまっている。

 また目頭が熱くなる。自分を慰める涙だ。

 ツクモなら、志村は世話がやけるなと、ため息でもつくのかな?


 その時電話が鳴った。

 

「志村君、志村君」スマホからとても焦った百瀬の母親の声が響いた。

「どうしたんですか?」

 僕は、次に続く言葉に嫌な予感がし、背中に油汗が滲むのを感じた。

「レイカがいなくなったの」

「えっ」

「少し目を離した隙に病室からいなくなったの」

「そんな」

「私どうしたらいいのか・・・」

「待ってて下さい。すぐに行きます。あと警察に連絡してないならすぐにして下さい」

 鼓動が胸を突き破るほど高鳴り、僕は慌ててホテルの部屋を飛び出した。

 嘘だろ。ミツルさんが連れ去ったのか?何故今更百瀬に固執するんだ。

 僕はタクシーに乗るため、道路前であたりを見回していると、冷たい視線を感じゾッとした。

 道路を挟んだ反対側で黒のジャージ姿に帽子を被った長髪の女性がこちらを見ていたのだった。その視線は永遠に溶ける事のない氷のような冷たい視線だった。

 ミツルさんだ・・・。

 彼はビルとビルの間へ、洞窟にでも入るように、スッと入っていった。僕は頭に血が上り、追いかけた。

「ミツルさん・・・」

 路地裏は行き止まりになっており、エアコンの室外機やパイプが僕らを囲んでいる。暗く埃っぽく、カビやヘドロの匂いが鼻を突く。まるで黄泉への入口のようだった。 

「やあ、志村君」

 その声は、怒りや挑発の気持ちなどなく、ただ、ただ無機質な機械音のようだった。 

「ミツルさん・・・、自首してください」

「・・・どうしてだい?」ミツルさんはジッと僕を見た。まるで何万という人に視線を向けられているようだ。

 緊張で、汗がふき出す。鼓動は破裂寸前まで脈打っている。空気が薄く、呼吸が上手くできない。

「あなたは・・・、自分のやった事に対して罪の意識がないんですか?」僕は精一杯言葉を発した。

「罪の意識ね。そういったものは、残念だけど無いよ。確かに社会や法律に背くことはしたのかもしれない。けれどもこれは君が善で俺が悪という問題ではない。君も俺と同じ運命なら、俺と同じ事をしていた。ただ君はその運命になかっただけだ」

「どういう事ですか?」

「ラプラスの悪魔だよ。つまりは、最初から決まっている事なんだよ。最初から。俺が生まれる、ずっと前から決まっている事なんだ」

「意味がわかりません・・・」

「俺の魂には欠陥がある。穴があるんだよ。それを埋めないといけないんだ。それは首を切られた亡者が自分の頭を探すため彷徨うような本能だ。俺は抗おうとした。普通に生活をしようとした。気さくで親身な人間を装うとした。でも何も変わらない。穴は空いたままだ。俺は自分の運命を呪った。するとある日空に大きな目が見えるようになった。大きな目だ。それがずっと俺を見ている。そしてこう言っているんだ、何をしようと無駄だとね。俺は気付いたよ。運命からは逃れられない。だからは俺は自分のリビドーのままに生きる事にした」

「人が傷つく事が、あなたの穴を埋める行為なんですか?」

「マスターベーションのようなものだ。一瞬の高揚はあるが、虚無で、独善的で、サブスティテュートで、本質ではない」

「百瀬は今どこに?」

「・・・」

「桐生ツクモはどこにやった!」

「・・・」

「答えろ!」

 僕は走り出し、ミツルさんへ殴りかかった。ミツルさんは一歩も動かず、僕の手をひねりあげ、体重を乗せた」

 骨が、ミシミシとなる。

「痛い」

「そりゃそうだろう。君には力が無い。何もない。あるいは俺を殺す役割だと思ったけど、無理だろう。君ではなかったみたいだ。役不足だ。また一から因果を積み上げなくちゃいけない」 

 ミツルさんは、僕のポケットからスマホを取り出した。

「録音しているなんて案外冷静だな」

 大蛇のような体温の通っていない腕が僕の首に巻き付く。

 どんどんと意識が遠退く。

「で、どうやって俺にたどり着いた?成程、桐生ツクモと言ったな。あの子は俺にもっとも近づいた子だった。君の友達だったんだな。あの子は俺が殺した。こんな風に」

 遠慮も躊躇もない純粋な力が僕の首を締め付ける。

「プラモデルの首を捻るより簡単だ。そしてプラモデルを完成させるより、達成感がない。俺の心の穴は埋まらない。何もかも簡単だ。百瀬さん、あの子を連れ去る事だって簡単だったよ。病院の看護師を使ったんだ。そう誰しも心に穴がある。それを埋めてあげればいいのさ。君だってそうだ。心に穴があるはずだ。百瀬さんに埋めてもらうつもりだったのか?でも残念だがそれはできなくなった。でも俺が解決してやろう。言葉でも薬でもない。もっと簡単にね」

「ちくしょう・・・、ちくしょう」

 その時鈍い音がなった。

 フッとミツルさんの力が抜け、僕は解放された。そして誰かに手を引かれ、僕は路地裏から連れ出された。


「どうして上坂が・・・」

 僕は息も絶え絶えに言った。上坂はそれには答えず、僕の手を引き走っている。片方の手には、金属バットが握られている。僕は後ろを振り向いた。ミツルさんはまだ倒れている。

「警察に行こう・・・」僕は言った。

「私がなんとかしてあげる」

「えっ?」

 僕らは運よく止まっていたタクシーに乗った。

「七曜神社まで」上坂は言った。

「上坂どうしてここに?」車内で一呼吸置き、僕は言った。

「志村を助けるため」

 上坂にいつものオドオドした様子は微塵もなかった。もっと先の未来を見るように、ただ前をすっと見据えていた。


 神社に着いたのは、日が暮れあたりが闇に浸食され始めた頃だった。上坂は神社の裏手に回り、池の前まで来ると当然のように服を脱ぎ出した。僕もさもそれが最初から決まっていたかのように眺めていた。落ちそうな程の満月が出ていた。上坂の白い裸は、月光で輝き神々しく感じた。そして上坂は池の中へと入っていった。

「志村も服を脱いで、中に入ってきて」

 僕は言葉に逆らう事ができず、上坂の言う通りにした。

 池に入り上坂に正対した。上坂は僕の首に腕を絡め、僕を引き寄せた。僕も上坂の細い胴体に腕を回した。

「あなたの願いは何?」

「僕はあの人が憎い」

「どうして?」

「ツクモを殺し、百瀬も奪われた」

「本当にそれが願い?」

「ああ」

「私の目を見て」

 上坂と僕は、脈打つ臓器の一つになった。まわる世界の中心に上坂の目がある。僕はそこに吸い込まれる。その時、ミシミシと音が鳴り、首括りの木が枝をいっぱいに広げ僕らを包むのが分かった。そして幹が広がり、僕らはそこにいざなわれた。



   *



 街を見下ろせる高台。朝日に照らされて、コートを来た彼女が笑顔で立っていた。僕は駆け寄っていく。けれども彼女は首を横に振り、白い息を吐きながら何かを呟いた。

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