24.天才の自己犠牲 ◆東京国目郷区・第三コンドミニアム・ぎりしあ荘 TK.MS.tc9360:s33045


 カーネル・C・クラークは、幼少期に両親と別れざるを得なかった。アメリカのスパイとして世界各国を転々としていた彼の両親は、東京国にて逮捕される。それは当時十六だった開道誠樺が作り上げた違法動作予測プログラムによってである。だから彼は誠樺が憎い。その強烈な憎しみが糧となり、彼の才能は多方面に華々しく開花した。彼が三十九の時には世界を揺るがせたマホロバ事変が起き、それに対して彼はアングラ、パサン・ラマ、紅美鈴などを率いた特別対策集団〈フリーランス〉を結成。その腕はやがて日本の次間自衛隊軍に買われ、政府から直々に手助けを依頼された。

 しかしその原動力であった誠樺への激情は、どんな名誉をもってしても、あるいはどれほどの富をもってしても、もう解消されはしない。なぜなら彼は、すでに姿をくらませていたためである。自発的か、それとも他者の介入によってか、それすらもわからなかった。目的が無ければすべてが無と同然、彼はそうした思考の持ち主であるから、アルティレクトという噂を掴むまではもぬけの殻であった。そう、アルティレクトは彼の人生において第二の目標である。世間を騒がせる超知脳。人類の敵たる悪の知脳。そんなやつがいるものか。誰かのいたずらであろう。そうしてアルティレクトの正体や足掛かりを掴むのに躍起になって、彼は今まで生きている。彼は今や、BJやヘレナ、そしてマザーとの会話により、アルティレクトと開道誠樺が何かしらつながっていると確証を得ている。それゆえに彼はアルティレクトと蜂の巣社にまっしぐらで、文句が無い。それが彼の人生における終着点であることに、彼の膨大な知識と経験による生体脳は、塵ほどの反対意見も算出しないのだった。

「先生。キーを言ったら、先生は、ほんとに行ってしまうのですか」

「そうだ」

 グエンはカーネルの部屋に籠りっきりで、もう二時間が経とうとしていた。最初は目を赤くはらしていた。ようやくカーネルと話ができるようになっても、彼女は一声一声に目が潤む。それでも命令されることはすべてやりこなした。

 彼女が今しがた頼まれたのは、すでに「改造済み」であったカーネルの脳に埋められた回路文神経を発火させる、ただ一つのキー情報を言うことだった。もう五年以上も前に、絶対忘れるなと言われた文字の羅列。カーネルは、それをもってして自身の脳そのものをMETAVERSE2.0に損傷を与える情報指令群にしてしまう、前代未聞の命懸けを実行しようとしている。

 その緊張が少なからずあるのか、他人の沈黙にいつもは食って掛かるカーネルも、今回ばかりはしばらく口を開かない。

「グエン、ができる最後にして最大の孝行は、私にそれを、正確に教えることだ。いいな? 二人からはすでに聞いた。残りのキーは一つだけなのだ」

 圧に、圧された。グエンの体は、その瞬間になにか感情をせきとめるものが崩れた感覚を覚えた。通話を終了し、涙に滲むその目で、汗に湿るその指で、最後のキーを教えた。U+16BB? そこにある正確さなど、誰も保証できるものではない。

 こうして、カーネルは信頼のおける三人――アングラ、公威、そしてグエンからキーパスを入手し、自身の頭脳そのものを、内部崩壊ワームとして仕立て上げた。

 あとは自分の力だけで、全てが実行できる。好ましくない心をも消し去る、全てが自分の手中にあることの快感! カーネルは自分に向けた強烈な悲しみなどつゆ知らず、腰に下げていた銃を生き生きと発砲解除する。威風堂々たる威勢で向かったのは、例のハニーポットだ。最寄りのそこへわずか五分で駆け寄ると、夥しい数の人をかき分け、混乱の波の中から飛び出す拳にも負けず、とにかく転送台へ近づく。甲高い声でオヤメクダサイと連呼する商業パラレルは無造作に張り倒して、不確定要素の強すぎる人間・パラレルへは銃口を突きつけて脅しまくる。その程度の犯罪では、彼の心はすでに怖気づかないほど神経が育っていた。または、もうこれ以上現実に世話になることがないがゆえの安心感か。

 多くの心を怯えさせて、ようやく彼は、METAVERSE世界への転送台に到達した。速やかに、機械に脳を焼き切らせて不可逆走査させた。

《もはや実体をも捨て去ろうとする馬鹿どもに告ぐ。よく聞き給え。人たるものは、意志を持つ。争い・逃げとアルティレクトが人類のためになるはずがないと、お前たちは知っているはずだ。やつの息がかかったハニカムのメタバースは、当然のごとく現実の人体を脳死に誘い込む、まさにハニーポットだ。それが分からないのか? 目を覚ませ。ホモサピエンスには知性こそふさわしいのだ!

 やあ、アルティレクト。片目と引き換えに神々の王に相応しき知恵を得た、とある最高神をご存知かね。それはもちろん、カーネル・アダムス。私のことである。思い知るがよい。その素晴らしい知能を!》

 カーネルは全脳分析の為、その脳を頭蓋骨ごとごく細かい輪切りにされて、すでに遺体となっている。先ほどの左目が力強く青に輝く彼は、録画映像だった。彼の脳に仕組まれたプログラム指令は、METAVERSEサーバーへ感染し、第一にこれを流すように働きかけた。蜂の巣社の広告回路に乗ったその文言や映像は、アルティレクトの声明と同じようにあらゆる利用者と公式サイトに届く。第二には、その指令の山場、METAVERSEへの入り口とその内部法則を乱すマルウェアが実行された。全世界のハニーポットがもれなく活動を停止させる。アルティレクトは、人類一掃の作戦を変更せざるを得なくなった。それが次に意味するのは、アルティレクトの引き起こす惨事と悪夢を疎み、彼の言うがままの道を辿ろうとした者たちが行き場を失ったということである。カーネルは、アルティレクトに屈服したいという民衆のエゴを、個性を失わずに死ぬべしという自らのエゴにより許さなかった。あくまでも必死に抵抗してたどり着く名誉ある死が、逃げの勝ちよりも上級のものと理解していた。

 そんなエゴイストによる仕業が、蜂の巣社のページを接続失敗しかはじき出さないぽんこつと成した。METAVERSEは現在がらくたである。

「うっ、うう」

 一部始終を見ていた、というよりも目によって見させられていたクレアの胃の底から、黄泉の水のような、途方もなく苦い液体が上がって来る。うまく胃酸を処理できないほどに、ショックは大きかった。

「ぁ、ネル」

 そのかすれ声よりは大きく、でも弱々しく「あいつ」と息を吐くと、そのまま座りうつむくままだった。


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