15.痛手 ◆東京国文興区・職務エリア・生産セクター・次間ゾーン TK.BK.1159opv:z0358-3


 いたるところに敷き詰められた企業広告の放つ強烈な彩色のおかげで、夜でも明かりがいらないのがこの地区の特徴である。特に次間企業の集まるこのゾーンは現実の広告もたっぷりとあるから、亜間広告も当然すさまじい。ここら一帯を通り抜けるときは、拡張端末オーグ使用率が極端に下がる。

「ケバいね。これが、空に浮かぶ東京の姿なのかい」

天森まもりはひっそりとしているが、それ以外は喧噪か人ごみかこうした「画素」にまみれている。そう言っても間違いはないな〉

「まあ、人がいっぱいいるって言っても、私たちだってその一員だけどねー」

〈これは観光ではない。クレア、ハベルと琳瑚にもう一度伝えてくれ。潜入任務だと〉

〈いいね〉

 ゴミとかけているのだろうか。毎度のことながら高みの見物をしているように見えるカーネルへ、クレアの不満が募る。

〈ねえ、ほんと何かあったら私を実働部隊みたいにして動かすよね。今回なんか強化パラレルが二人もいるんだからあんたが来ればいいのに〉

〈クレアさん、どうか落ち着いてください。先生はちょっと人と頭が違うんです〉

〈なぜ脳みそが頭にあるかわかるか? そしてなぜ頭が足と対極にあるかを考えたことがあるか? そういうことだ〉

「はあ? 私たちが手足ですってこっの」

〈先生!〉

「大声を出しすぎだ」

 通行人の視線が集まるのを嫌い、ハベルが注意する。ほんの少しの短所を無視すれば今や伝心技術テレパスもどうにかなる時代に、体内通信を使う者はほとんどいない。そのほんの少しの短所を無視できないカーネルのおかげで、今日もクレアはいちいち説明が面倒くさい状況や、こういったそもそもが面倒くさい状況に陥る。

〈そこだ。少し手前で止まってくれ〉

 不満などを止めどなく放ちながら練り歩いていくと、三人はすぐ目的地に到達する。カーネルが状況を伝える。今回は事件に濃厚に関係していそうな蜂の巣社の周辺を探るため、まずはリエール研究所と最も多くの通信をやりとしていたウナート・ドルシェ社の調査を行うという。駐車場の限りなく奥地まで三人を誘導し、機器の説明をした。

〈つまり、通信傍受ではなく通信量だけを記録する装置であるから、怪しまれることはないはずだ。だが、腐っても文興区。それなりの通信警備が敷かれているはずだから、長くて五分だ。ランプが緑にならなくても、五分経ったら速やかに電源を切り、その場から立ち去ってくれ〉

「りょ~」

「お偉いさんは、なんだって?」

「とりあえず何もしなくていいけど、タイムリミットは五分だって。それだけ」

「じゃ、あたしたち二人で見張りしとく?」

「大丈夫でしょ。あ、でも固まってると怪しまれるかもしれないから、二人はできるだけ私が見える範囲でぶらついててくれる? 五分だからね」

 身振りで散開を伝える。クレアはいかにもであるが、かすれた口笛を吹きながら明後日の方向を向いている。ハベルと琳瑚は何をするわけでもなく、広いコンクリートの空間をただ持て余す。

 二分を切ったところで、クレアも暇を持て余して周囲を見渡す。床は、雨が降ったわけでもないのにしっとりと湿っている。だが、苔も羽虫も全く見当たらない。それどころかどんなに目を凝らしても、ひび割れ一つなく、カビによる黒ずみも、ないのが当然といわんばかりに、ない。少し不気味に思える。もしかすると細菌すらいないのではないか。この空間に死の雰囲気を覚えて、つま先で床を小突く。なぜか乾いた音が鳴り響いた。音に気付いて琳瑚が目を向けた。

 深い衝撃が、クレアの脇腹に響いた。瞬間的に息が詰まり、声も出ない。引くことのない鈍い激痛は、骨折を意味するのだと直感的に知った。

「クレア!?」

琳瑚が叫ぶと、ハベルも何事かが起きたことに気づく。クレアを気遣う琳瑚に、人影が襲う。ハベルがそれを止めた。

「やあ、君は、いつぞやの。リエールからのヒューマノイドをなで斬りにしていましたね」

「なぜそのことを」

「言うほどのことはありません。それよりも、あなたの行動はあるべき未来を終わらせようとしています。ミスター・ハベル、私は貴方を終末ドゥームへと導きましょう」

 長身のヘルメスだった。黒の燕尾服にシルクハットという奇妙ないでたちもさることながら、頭に装着する一つ目の暗視ゴーグルのようなものが、とくに異色を放っていた。

「カーネル、緊急事態だ!」

〈これは何の反応だ、警備員か! 装置は無事か。引き上げてくれ〉

「うガっ……」

 琳瑚がその気配を察知したときには、もう足がそこにあった。かろうじて右腕を盾に防いだが、かなりの痛手だった。通信を切り、こちらもその気配を蹴るが、脚は虚空を割いた。

「ケッ、てめぇの闘い、生ぬるくって反吐が出るなあ。到底未来にゃのこしておけねえってことで、あたいの混沌に導いてやるよ」

 もう一人は低身長のエリスだった。現代風のいでたちだが、ただ一点、さすがにファッションと言い逃れできないほどに大きなブーツを履いていることは、不自然である。

 ハベルはナイフを持った。男に向かって切りつけるが、すべての攻撃を見切られている。いや、自分の行動が、相手に操作されているのか、そう思われるほどにあたらない。

 琳瑚も攻撃を繰り返すが、すべて相打ちに終わる。しかし相殺されてるわけではなく、常に強い衝撃が体を襲い、それでも相手は平然としている。体に不釣り合いなほど大きいブーツが、衝撃を吸収し、さらに威力を強くしているように見える。であれば、戦い続けるのは全く愚策だった。

「逃げるぞ、クレアを持てるか」

 いち早くハベルがそう判断した。琳瑚はわざとらしいフェイントをかけたが、幸い女は盛大にかかった。一瞬のすきを見てクレアの拳銃を抜き取り、女めがけて撃つ。ブーツに当たったものの、傷がついた程度だ。よほどの強化素材で構成されている。だが今は、逃げるが勝ちだ。ハベルも逃げるために戦う。琳瑚はクレアを背負い、両足に力を凝縮する。ハベルはついにナイフを投げた。それは当たりこそしなかったものの、男の走る速度を遅らせるのに役立った。またちょうどそのナイフを女が踏んだことで、クレアとの距離も開く。

「なんだってんだよこれ! お前ら……、絶対殺してやるかんな」

「まあ、落ち着きなさい。あのお方からの言伝です。深追いはするな、人目につくな」

「ここまで来て逃がせってかぁ?」

 男は、勇む女の手をつかんで強引に引き戻す。喚かれようが、全く離す気配がない。ついにクレアたちが見えなくなると、観念しておとなしくなる。

「まあ、彼らの力はわかりました。それに、地下ではどうしても力が届きにくい。最大限の能力があればどうってことないのだから、また先回りして潰しましょう」

「クソめんどくせえな」

 不気味は二人は、失笑の声と舌打ちを響かせて、どこかに気配を消していた。


「カーネル!」

〈落ち着け、唐突に――どうなった、あいつらは、装置を〉

「あんたが落ち着きな。今はとりあえず振り切って、目の前の人混みに飛び込んだ。二人組に襲われて、クレアは命に別状はなさそうだが、骨はいくらか折れてると見える。私たちもいくらか軽い治療は欲しい」

「装置はどうなんだ」

「あっの、く、分からず屋」

「今それどころじゃないってわかってるだろ? それとも、ほんとに人の命より装置が気になるのかい?」

 二人から責め立てられ、カーネルは少しの間黙り込む。じんわりと、ハベルと琳瑚に痛みが襲う。クレアはもっと痛いはずだった。次の言葉の槍が飛んでくる前に、やるべきことをやる。

〈一八八に繋ぎ、急患であると伝えた。じきにそちらの現在地に、医療管翼ドローンが来るはずだ。それが見えるまで、人混みにまぎれ続けろ。もし人が少なくなったら移動しろ。私とグエンで、適宜修正する〉

「あんがと」

〈そしてもし――〉

 通信は、琳瑚によって途中で切られた。しばらくカーネルの横にいれば、誰だってこういう対応を身に着けるものだ。さてクレアには意識があるが、お影で痛みと吐き気にさいなまれることになった。ハベルはそっぽを向いているが、この痛みを知る琳瑚には、他人事として処理ができなかった。豊かな励ましの言葉を贈る。

 やがて、カーネルの呼んだ管翼ドローンが来た。十字架とアスクレピオスの杖を刻んだ機体はまさしく中央病棟の使者である。付属のモニターで院内の職員へ状況を説明し、指示を仰いだ。プロペラの甲高く雑な羽音で、多くの通行人が蜘蛛の子を散らすように離れていく。 

 遠くに飛び去って小さな点になったのを見送ると、二人は再度カーネルへの通信に切り替えた。結局、頼りになるのは力よりも知識なのだ。

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