9.人体ハッキング ◆東京国更谷区・セキュリティベルト更谷署 TK.KY.sb5840:ky6898-h566


 直方体と立方体を組み合わせたような、今では時代遅れの建築物――更谷警察署に今、夜道を歩く二つの人影が足を踏み入れた。

 更谷署と言えば、地区境を接する新明署と、さらに新明区と隣接する豊守区の警視庁本部と共に大規模な警備活動で有名な警察機関だ。南北に伸びる「セキュリティベルト」の南端として、厳かなる姿勢で東京中部の治安を守り抜く。

〈もう一度言っておこう。今回は、例の事件における警察のデータを調査するとともに、それに関わる署の記録を改竄するのが任務だ。まあ私のブツを流し込むだけだから、苦労はしないと思うがね〉

〈はいはい。あなたはほんっっっと優秀な頭脳を持っていますよそりゃ。ありがたやありがたや。まあ何で発案者が自分で行かないのかはすごい疑問だけど!〉

〈私は六年前、既に退官している。民間人が入れる場所ではないだろう、そこは? それに――〉

〈ハベル君と同じように指点情報とか偽装作成すればいいじゃない〉

〈私の顔がすでに知られているだろう……〉

 クレアは音声越しに自らを愚弄する声が聞こえると、一層身振り手振りを大きくしてカーネルに反駁していく。ただそれは、はたから見れば単なる狂人だ。ハベルも一時は訝しんだが、二日前のやり取りを思い出す。 

体内通信インナーか?」

〈ええ、そう。今はカーネルにチャンネルを合わせているわ〉

〈いきなりどうした?〉

「どうして黙って目を見る?」

〈失礼します、グエンです。クレアさん、体内通信はハベルさんに聞こえません……〉

「あ! ご、ごめんね。そう、体内通信よ」

〈まったく〉

 またもや体内通信で送られる揶揄悪口にクレアも言葉を返そうとするが、今回はハベルの合図によって遮られた。前方から人影が現れる。

「よおクレア! どうしたこんな遅くに。残業か?」

「厚木さん、お疲れ様です! いや実は、明日の物理資料オフセットを忘れてしまって」

「なんだ、言ってくれりゃ管翼ドローンで送ったんだがな。で、そちらの方は?」

「あ、彼はここのサーバーを定期点検する業者の人でして、私と目的地が同じで、案内してるところです」

「お、そりゃお疲れさん。君、クレアと横に並んで廊下を歩けるなんて、ラッキーなやつだな!」

 肩を小突かれて、ハベルはあからさまに嫌そうな顔をする。彼にとっては無害な男である。それは分かっているものの、許容対人距離を無礼に闖入されると心がざわめく。森の中を孤独に生活してきた彼には、それはまさにカルチャーショックだ。

「ああ、すみません、私たち――、特に彼は少々急いでいるので。後もあって、点検の時間があまり割り当てられてないそうで」

「気をつけてな」

 係長は去り行く。その場から目的地に至るまではもう、誰もが口をつぐんだ。理由は私には見当たらない。とにかく人間の知性とはそういうものなのだろう。


 部屋に入ると誰もいないことを確認し、クレアはひときわ大きなモニターに向かう。カーネル特製の装置を、これまたカーネル特製のマニュアルに沿って取り付けていく。

「このコネクタをBと同様の口に挿す……、って、まったく。インターフェースくらい意味はわかるっての! 絶対バカにしてるあいつ」

 丁寧に注まで付けられた取付け説明は、読んでいると確かに小馬鹿にされていると感じるかもしれないが、実際そのおかげでクレアの作業は捗っている。二人の相性は本人たちが思っている以上に良い。

 ハベルが見張りに多少の理不尽さを見出して部屋全体の観察をし始めた時、そしてクレアが全ての作業を終えて小さなため息を一つ漏らした時、この空間が変わった。まるでこの瞬間に、世界がひとつ消滅したようだった。

 輝度を上げる照明、続けざまに何かがぶつかり合う音を出すスピーカー、所どころに綻びを見せるモニターのブルースクリーン。カーネルの驚く声と共に、体内通信でアラートが送られた。だがそれも消えた。

〈君はクレア・コールマン。一度会ったことがあるな〉

〈え?〉

 クレアは意識も視界も極端に狭くなる。

〈ぎりしあ荘96‐Kを住まいとする女性、更谷区警察署に所属――〉

 奇妙な雑音にかき消されていた「音」も、徐々に男性の「声」となっていく。そして理解できた状況が、彼女を身震いさせていた。体内通信で、自分の情報が延々と語られているのだ。始めはカーネルの装置が誤作動を起こしたのかとも思ったが、通信は先ほど切っている。

〈所有ドール一体。シリアルナンバー:N‐156874EI9。従順型、すずしろ。二〇六十年、お前に宣告したはずだ〉

 未だに個人情報が体内通信で流れてくる。やがてそれが苦痛で、肩を揺らす。続いて、鈍い頭痛が襲う。

 ハベルは異変に対して冷静さを保っていたものの、クレアのそうした行動は、さすがに無視できなかった。

「どうした? 何が起こってる?」

「う、あ、あれは、蜂の巣社ハニカムの」

 話がかみ合わない。だが、それは他人の質問に答えるよりも重要なことが目の前にあるということだ。ハベルはそう理解して、クレアの目線を借りる。

 前のモニターには、青い六角形がホログラフィックに回っている。

〈君は、誰だ。マザーの手駒か〉

 唐突に、今度はスピーカーから出た声が、二人の鼓膜を震わせる。思わず声の発信源を見てしまうが、やはり何も起きない。いや、そのように思えただけだった。今度はハベルも後頭部に鈍い痛みを伴い、またクレアの脳内にはこうつぶやかれた。

〈クレアは、私と同じだ。真の人間ではない〉

《パラレルだ》

 抗う術もない二人だったが、クレアのみに告げられる複合された声の宣告は、程なくして彼女を激昂させた。何も語らず、ただ拳銃ハンドガンを取り出し、モニターを狙う。

「おい、止めろ! 何をしてる」

 ハベルは体内通信系が無い体だ。それゆえに冷静でいられる。暴走気味のクレアが持つ拳銃を天上に向け、肩を揺さぶる。

 銃が五回火を吹いた後、クレアがようやく錯乱状態から脱出する。すると空間は無音となり、ハベルの目の奥を耳鳴りがつんざいた。軽い立ち眩みもある。

 モニターには相変わらず青い六角形が回っているだけだが、それだけだった。気まずい雰囲気が立ち込める中、クレアは何とか言葉を捜す。しかし、最初に口を開いたのはモニターの襲撃だった。

〈二人は――いやとりわけその男の力は、この世に存在してはならない〉

 それが最後の言葉となる。声がなくなると、未だに頭内を反響していた頭痛の残滓も消え去っていた。 

「えーと、ハベル、さっきは」

「伏せろ!」

 口を押えられると同時に無理やり屈ませられる。ハベルの強引なやり口に抗議しようとするものの、室外で発される銃声が耳に入る。

 まさか。

 そのまさかであった。

 間もなくドアが開くと、クレアの同僚が二人、拳銃を連射しながら侵入する。ハベルたちは机に身を隠し、銃弾の脅威をなくす。聴覚で分析すると、二人の銃声はまばらで、どこかぎこちない。しかもまともに狙いを定められてもないのに、マガジンが空になるまで連射していた。完全に、正気ではない。

「無力化するぞ! 俺は右を、家主はその銃で左を」

 かすれ声で言うがいなや、ハベルは石火の如き素早さで片方に詰め寄る。さらに近寄り、真下に到達すると同時に掌で顎を突き上げる。だがクレアにその動きを見とれている暇はない。その直後、拳銃を用いて相手のそれをはじく。それを察知したハベルはすかさず手刀を喉に叩き込む。

 無力化された二人をしり目に、二人は部屋を立ち去る。ハベルはその際に相手の拳銃をかすめ取っていた。

「と、とにかく、ここを出なきゃいけない。私の後について来て!」

「おい、この銃のロック解除はどうするんだ?」

 彼が持つ銃は、当然であるがとっくに安全装置セーフティが解除されている。それでも弾が出ないと言うのは、弾切れか、もしくは――

「署に所属している人間しか使用できないよう、IDロックが掛かっているの」

「なら、それは?」

 ハベルが指したのは、クレアが腰に下げている古参の銃だ。

「そうね。これはロックがないから。どうぞ」

 二人が互いの銃を交換し合う。互いが自分の銃を確認し終えた時には廊下の突き当りに到達していた。ハベルが壁際に寄りかかり、確認する。

 調和のゆがみが生じやすい張り詰めた空間では、相手の出どころを予測することなど彼には容易いのだ。クレアは手で待てと合図され、

 そして鈍い音が鳴る

 呻き声すら漏らすことも許されずに相手は昏倒。続く二人目の元にもハベルが行く。向けられた銃口を左手でいなし、右肘をみぞおちに叩き込んだ。

 また三人目がこちらを向いたときには、クレアが中距離型スタンガンの引き金を引いていた。

「右にある階段で、一階まで下って。そこから車庫に移動するから!」

 けたたましく、せわしない足音を響かせ、無我夢中で階を下る。

 車庫につくと、クレアは右を振り向く。その先には、車両が停めてあるエリアがあるが、こちらは人影が見える。代替案として左、二輪車のエリアを向く。こちらは見たところ、敵はいない。

 IDを通すと、目の前にある二人乗りの警邏用二輪がうなる。装置が正常に作動することを確認すると、クレアがハンドルを握る。

 次にハベルが乗るのだが、跨りきらない内にクレアは発進させる

「おいまだ片足が地面についてたぞ! 急ぎすぎだ!」

「いや、もう遅すぎ。車両のID認証をした瞬間に、そのデータが同時に署内の管理表に表示されるようになっているから、もうこの発進は筒抜け……、来た! 迎撃して!」

 ミラーを一瞥しただけでも、クレアは光源を三つ確認できた。後ろに座るハベルが敵に狙いを定める。

「ちっ!」

「ちょっと、危ないじゃない! ちゃんと狙って!」

 ハベルが狙いを定める前に、後続するバイクが銃撃する。狙いはかなり乱雑だが、それでも連射されればいつかは当たってしまう。クレアから受け取った拳銃を深く持ち、狙いを定める。が、当たらない。この状況にしびれを切らしたクレアは、バイクの速度を一気に上げる。急速な変化には彼女以外対応しきれていない。

 いつの間にか高速に突中した二人。ビルや発光中工蟲ミディゾアの光は、高速によって「光線」へと形を変える。

 ハベルがようやく体制を立て直した頃、相手の車両も加速に適応していた。またもや徐々に距離を縮められる。今度は相手に先攻を取らせないよう、素早く狙い撃つ。三発目でようやく一台のバイクを仕留め、続けざまに二台目の車両を減速させる。

 いまだに加速を止めない二人のバイクは、高速のどの車両をも追い抜かすほどの速度となっていた。数秒に一回のニアミス(かすり)が、ハベルの不安感をあおる。

「クラフト化するわ! 振り落とされないよう、私の腰でも掴んどいて!」

「何だって!? 掴む? おい」

 ゆくりなく専門用語交じりの指示を出され、ハベルが思わず聞き返す。

 返事はない。何が起きてもいいように、彼は言う通りに腰を掴む。すると、バイクの乗り心地が変わっていた。タイヤと地面が接する感覚が、微振動が消えていたのだ。下を確認する時間はなかった。クレアがハンドルを一気に左にきったからだ。慣性によって体が反対方向に持っていかれるのをこらえたのも束の間、今度は右に急転。 

 間違いない。彼女は隣の車道へと飛ぶ気だ。目の前の道路に移るなど、無謀にもほどがある。間を隔てる溝を見て、ハベルですら不審に思う。

 次いで車体が前傾すると、悪い予感に圧迫されそうになる。それ以外にも――目前の危機に目を奪われていた為に懸念していられなかったが――後方からは新たにバイクが二台近づいてくる。内一台に爆射器ランチャーが積まれているのを目にした瞬間、彼の意識は、拡張された。

 前後に激しく揺さぶられるバイク、そして後続の敵が放った小型投弾グレネードの閃光が、極度の集中を生む。人間の脳はほんの数割しか機能を発揮していないと、今世紀の初期にはそんな説が囁かれたことを彼は変に思い出していた。詭弁ではあったが、それでも緊急時には普段以上の能力を発揮するものだ。

 今、ハベルが乗るバイクはおそらく車道同士の溝を乗り越えるために路上を横切っている。ほんの少しの時間ではあるが、車体が横を向くということはつまり、着弾面積が何倍にも増加するということ。その上運悪く、白熱する凶弾は韋駄天のごとき速さでやって来る。それに負けじと車体は後傾し、ついに、

 道路を海面とするなら、二人を乗せる光二輪はトビウオになった。

 飛び回るトビウオを外した爆弾は前方を走っていた車に着弾し、夜景を白く縁取る。

 向こう側についたはずなのに、ハベルにはふわりとした感覚が残った。これが「クラフト化」だ。見ると、バイクの車輪が二つとも横倒しになっている。東京国を浮かせる技術でもある、第一種指定技術:重力操作。

 後ろからこちらへ向かう一般車に当たらぬよう、クレアは空滑り(エアドリフト)で体制を立て直し、さらに方向まで修正した。

「はあぁ~。ハベル、大丈夫だった?」

「荒い運転だ」

 二人とも、少し前までの緊張が取れないのか、声帯が余計に震えているようだ。そして後に付属したクレアの言葉を聞いて、ハベルは今だに彼女の腰に手を回していたことを気付く。

「ふふ、意外と素直なんだ」

 クレアが彼に小さな愛くるしさを見出していると、ふと、耳鳴りのようなものが意識を揺らす。どうしようもないので放っておくと、徐に音声が理解可能なものとなる。

〈*レア……、クレア! 聞こえるか!? クレア!〉

〈あ、カーネル! ちょっとどういうこと!? これは!〉

〈わからん。何もかも不明だ〉

〈クレアさん、グエンです。無事でよかった〉

〈グエンちゃん! ああ、声が聞きたかった。カーネルとは違って〉

〈おおそうだ、ハベル君は、無事なのか?〉

〈ええ。彼は後ろに乗ってる。今は署の光二輪で目郷ー品茂間高速を走行中。どう? トラッキングできる?〉

〈もう済んでいる。君との通信がなくなったのは、おそらく署内の妨害壁が原因だ。そこから出た時に追跡は完了したが〉

「家主、おい! 前を見ろ!」

「え? うわわっ」

 ハベルがクレアの両手を鷲掴みにし、そのまま右へと無理なカーブを図る。それに気づいたクレアはブレーキを踏む。ブゥンと、耳障りな低周波音が身体ごと振動させ、機体が前のクラフトすれすれで横移サイドシフトする。

「ご、ごめんなさい。通信してて」

 ハベルはこの言葉に対して返答しなかった。呆れてしまっているのだろうか? クレアが振り向こうとすると、この瞬間を見計らっていたかのようなタイミングでカーネルからの通信が入る。それも、アラームをまとって。

〈まずいぞ! 情報交換はここで終了だ。署からそちらに、ヴィトールが急接近している〉

「え、うそでしょ」

 事態が悪化したことを示す彼女の言葉と、それと同時にまたもや速度が一回り加速したことに疑問を持ち、ハベルが問うた。クレアが体内通信で得たことを手短に説明すると、立て続けに連絡が入る。

〈クレアさん、いま大見の南雀バレット駅までの地図を送ります。料金などにつきましては、先生が何とかしたとのことですので、とりあえずバレットで逃げ延びてください!〉

〈ありがとう! グエンちゃん〉

〈どうか、ご無事で〉

  こちらの集中を促すためか、向こうからの通信は途切れた。もう一度、ハベルに状況を伝えると、クレアは送られてきたルートを拡張端末オーグで網膜投影する。

「これなら、最高速であと数分ってとこか。やってやるわ! ハベル!」

 空滑り(エアドリフト)、横移サイドシフト後移リアスライド。クレアは可能な限りの手段を用いて他のクラフトを次々と追い抜かしていく。「やってやる」。その言葉通り、強い意気込みが滲み出るパフォーマンスだ。

 そして電子メーターが「六〇〇」を指すと、鋭い電子音がますます高い音を発するようになる。ハベルは本能で危険を察知し、いつの間にかまたクレアの腰に手を回していたが、どちらもそれをとやかく言う余裕などなかった。

 安全を犠牲にしたこの力強い運転は、しかし二人を無傷のままいよいよ出口ゲートまで送り届けた。車体につけられた端末から、交通料分の電子マネー(コイン)が支払われる。それを知らせる甲高い音が鳴ると、同時に聞えたのはバイクよりもいっそう高周波の音。

 いよいよだ。二人は追われているという緊張をズル無く背負い、片方はより確実で早い運転を目指し、片方は無謀ながらも拳銃の標準を飛行する垂平機(VTOL)に合わせる。

「無理か」

 半ば自嘲気味に呟くと、おとなしく銃を腰にしまう。身の安全を最重要視して、再度振り落とされないような体制をとる。

 現在のバイクの速度は「六一一」。もちろんこれは、一般の公道に与えられた法定速度を大きく上回っているが、それが警察車両であること、クレアが警官の制服を着用していること、そして高空を飛ぶ警邏垂平機(VTOL)が機銃を掃射してくることなどが、一般市民の目をあまり惹かない。何も知らなければ、古臭い手法で個人観賞用の映画でも撮っている物好き、そう認識されるほどには現実離れしていた。

 とはいえここはMETAVERSE(メタバース)などの次間ではない。万人がもの好きの撮影だと思ったとしても、現実が歪むことはないのだ。だからあの弾が一発でも車体に当たれば大事故につながる可能性も十分にあるし、ましてや体を貫いたとすればもっとひどい結末もありうる。

「左だ!」

 言われ、クレアが咄嗟に左によけると、今さっきいた空間には機銃に撃ち砕かれた地面が漂っていた。もう一度体を撃たれた時の想像をして、ハベルは猛烈な風に吹かれながらゆっくりと拳銃を取り出す。引き金に指をかけようとするが、クレアの呼びかけで動作は止まる。

「ハベル、もう少しで駅につく! 普通に止まってる時間なんてないから、飛び降りてちょうだい。私がバイクを横にしたときが合図!」

 そう、あくまで最終目的は弾行バレットで逃げること。あの卑怯な機体の攻撃をかわしながら迎撃することではないのだ。

 息を整える。一、二、三。心の水面に一切波紋がないことを確認すると、ハベルは精神統一の状態に入った。その時は近い。一滴の水が滴り、波紋を描く

 時を同じくして、機銃がバイクをとらえた。元いた場所が次々と抉れていく。それをクレアが、後ろに目があるかのように流麗な運転で避け、ついにバイクを九十度回転させた。

 減速していたとしても、危険なことに変わりはない。クレアは自分の準備できた一瞬を選んで飛び降りたにもかかわらず、右半身を痛めてしまう。だが、ハベルは独特の受け身をとり、クレアがやっと顔を上げた時には立ち上がり、走りだそうとしていた。彼に迷惑をかけてはいられない。そう思うと、彼女にもまた、生きるための原動力が生まれていることが実感できた。

 熱線が背中を撫でる。先ほどまで乗っていたものが爆ぜたことは見ずとも明白だ。垂平機(VTOL)はこれからも、上空から「非道」をお見舞いしてくるのだろう。振り返らず、ただ前に進むのみ。ふと、もう一度前を意識して向くと、ハベルが駅の入り口でたじろいでいるのが見える。おそらくゲートにつかまっているのだろう。ID認証が必須の東京では、何をするにも電子マネー(コイン)かそれが必要だ。

 クレアが先に構内に入る。ハベルには目配せと手振りによる意思疎通をしておいて、出発できる弾行バレットを探す。

 ハベルは身に迫った危険を背負っていることから、ゲートを無理矢理突破していく。

「お客様、困ります! お戻りください」

 ほぼ無差別の空襲に市民や職員が戸惑うなか、尚もこうして足止めをする。彼は商業パラレルだろうという思考の結果、ハベルはすぐさま伸びてきた右手を両腕でつかみ、肘関節を逆方向に曲げる。間髪をいれず、膝蹴りを下腹部に二度叩き込み、しゃがみながら肱での打撃、仕上げに足払いをかける。

 無理矢理ゲートをこじ開けると、クレアが戻り、こう発する。

「こっちはもうダメ! 日本行しかないわ!」

「戻るな! どこでもいい、進め!」

「でも日本だと空中飛んで下降していくんだけど!」

 手を振って呼びかけるクレアに、ハベルは鋭く空を薙ぐ手の動きで提案を一蹴する。その理由はクレアが彼の近くにまで戻った時に判明した。

 建造物の崩れる音と共に、あたりにか細くも人を不安にさせるような推進音が響く。あの暴走垂平機VTOLが駅にまで侵入していたのだ。この衝撃を素早く察知すると、クレアも急いで弾行バレットに走る。ハベルの言うように、この際どれでもいい。例えそこで落下する間に攻撃されればひとたまりもない「日本直行」でも。

 あと十数歩。だが背後からの危機はそれを頑として許さない。破裂音がひねり出したのは、誘導弾だった。燃えながら目標を追尾する、眼を持つ破弾。このままでは肉体が弾ける運命しか待っていない。一か八か、ハベルはクレアを突き飛ばし、同時に抱える。背後からの突撃だと言うのに、クレアはすでに受け身の体制だった。

 結果、ハベルが上に被さる形で見事バレットに入ることができた。休みをいれずに飛び起き、色違いのボタンを四つ、すべてを同時に押す。

 閉扉する。そして、急発進。

 速度の代償であるGが生々しく感じられる。バイクの時とは違って風圧がないのもそうだが、やはり“生きている”という感覚を実感できた。

 クレアがやっと体を起こし、緑のボタンを押した。

「これ、途中のブレーキを多くするボタンだから。あると遅くなるんだよね」

 若干痛みをこらえている印象もあるが、それでも生きている。

 空からの違法な攻撃は、それを発射する機体もろとも見えなくなっていた。警察署を襲った不可解な襲撃もそっちのけで二人は共に見合うと、自然と相手の痛み、そして互いの生の実感に幾度となく浸ることができた。

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