6-5 ささやきに耳を傾けて

 




 雨粒が木の葉を叩く、「ザー」という音が響き渡る。

 まるで、電波の入らないラジオを延々と聴かされているようだった。





 言ってしまった。


 彼女に、「好きだ」と。





 言うつもりはなかった。

 ただずっと、密かに想うことができれば、それで幸せだと思っていた。


 しかし、自分自身を否定し、涙する彼女を見て……

 そんなことはないと、こんなにも君を想っている人間がいるのだと、伝えたくなってしまったのだ。



「……急にごめん。ただ、俺は絶対に彩岐を嫌いにならないって伝えたくて……彩岐に、"本当の自分"を否定してほしくないんだ」



 汰一の告白に、蝶梨は潤んだ目を見開き、言葉を失っている。

 驚かせてしまったことを申し訳なく思いつつも、汰一は続ける。



「そんなに自分を責めるなよ。自分を押し殺してきた彩岐が、ようやく見つけた"本心"なんだろう? なら、そこには彩岐の想いや経験が詰まっているはずだ。俺はそれを、決して否定したりしない」



 そして、精一杯の優しい笑みを浮かべ、言う。



「言いたくないのなら、無理に言わなくていい。でも、これだけは覚えておいてくれ。ありのままの彩岐を受け入れてくれる人は、絶対にいる。少なくとも俺は、初めて会った時から彩岐が好きだったけど……"素"の彩岐を知れば知るほど、もっと好きになったよ」



 ずっと胸の内に留めていた想いを打ち明け、心が軽くなるのと同時に……

 汰一は、この関係性が終わってしまうことを、静かに認識し始める。


 こんなことを伝えれば、当然今までのような関係ではいられない。

 彼女は、振った男と友人を続けられる程、無神経ではないから。


 それでも、不思議と後悔はなかった。

 彼女は『ときめきの理由』を見つけられたようだし、自分もずっと抱いていた恋心を伝えることができた。

『"厄"を祓うために側にいる』という使命も、この町の地主神とこぬしのかみが見つかるまでの一時的なものに過ぎない。同じ校舎内にいられればカマイタチが十分に役目を果たしてくれるし、"ただのクラスメイト"という関係性に戻ったところで支障はない。



 そう。これでよかったんだ。

 振られたとしても、この気持ちを伝えることで、少しでも彼女を肯定できるのなら……

 "本当の自分"を受け入れる後押しができるのなら、それでいい。


 "素"の彼女は本当に可愛いから、きっと周囲に受け入れられるだろう。

 見つけたという『ときめきの理由』も、心を許せる誰かに打ち明ければいい。

 その相手が自分だったなら、なんて考えそうになるけど……こんな自分がずっと彼女の側にいられるなんて、初めからあり得ない話だった。

 独占欲を抱くのは、ここでおしまいだ。



 せっかく彼女に選んでもらった苗だけど……

 やっぱり、一人で植えることになりそうだな。



 と、汰一がビニール袋の中のストレプトカーパスに目を向けた……その時。




「…………私も」




 ぽつりと、蝶梨が呟く。


 雨音にかき消され、聞き取ることができなかった汰一が「え?」と聞き返すと……


 彼女は、手にしたタオルをぎゅっと握り締め。

 濡れた瞳で、汰一を見つめながら、






「私もっ…………刈磨くんのことが、好き……っ」






 振り絞るように、そう言った。



 ザーザーという雨音が、ノイズのように響き渡り……

 汰一の思考も、その音とリンクし乱れる。



 ……待ってくれ。

 彼女は今、何て言ったんだ……?



 理解できずに硬直していると、蝶梨が続けて、




「好きなの、刈磨くん……初めて見た時から、ずっと……」




 そして、涙をぽろぽろと溢しながら、




「だから言えないの……刈磨くんのこと好きだから、言えないんだよ……っ」




 そう言って、せきを切ったように泣き始めた。

 信じられない気持ちを抱きつつも、汰一はその泣き顔に居ても立ってもいられなくなり、



「な、泣かないでくれ。ほら……大丈夫だから」



 彼女の手からタオルを取ると、頬を伝う涙を拭ってやる。

 蝶梨は、ひくひくと肩をしゃくり上げながら、優しく宥める汰一を見つめ……




「……っ」



 ぎゅっ……と。

 汰一に、抱き付いた。


 突然のことに、汰一は心底驚きながら、それを受け止める。



 雨に濡れたブラウスが、冷たく密着する。

 しかし次第に、服の奥にある温もりと、強く脈打つ鼓動が伝わってきて……

 汰一は、彼女の想いが本物であることを実感する。


 どうしてこんな自分のことを好いてくれたのかはわからない。

 だが、自分の肩に顔をうずめ、子どものように泣きじゃくる蝶梨に、汰一はどうしようもない愛しさを覚え……

 彼女の背中に、そっと腕を回した。




「……俺、たぶん彩岐が思っているよりずっと、彩岐のことが好きだよ」



 優しく言い聞かせるように、汰一は自分の想いを紡ぐ。



「……嬉しかったんだ。普段はクールな彩岐が、俺にだけ素顔を見せてくれて……俺だけが彩岐の本当の顔を知っているんだって、独占欲に浸ってた」



 そのまま、彼女の髪をそっと撫で……

 耳元で、囁く。




「嫌いになんて、なるはずがない。ずっと、ずっと君だけを見てきた。他には何もいらない。だから……誰も知らない彩岐の心を、俺にだけ見せてくれないか?」




 その言葉に、蝶梨はぴくっと身体を震わせる。

 汰一の背中に回した手がぎゅっと握られ、啜り泣く声が止まる。


 そのまま、蝶梨はしばらく黙り込むが……

 やがて、覚悟を決めたように息を吸って。


 ぽつりぽつりと、語り始めた。




「…………私、おとぎ話のお姫さまに、憧れていたの。王子さまと幸せに暮らす、可愛いお姫さまに」

「うん」

「でも……おばあちゃんが死んで、おじいちゃんが悲しんでいるのを見て……どんなに幸せな夫婦も、必ず死に別れるんだって気付いた。それはきっと、物語のお姫さまも同じだって」

「……うん」

「だけど、どのおとぎ話を読んでも、お姫さまがどんな風に王子さまと死に別れたのかまでは描かれていなかった。それで、考えた。どんな死に方が、一番幸せだろうって」

「……うん」

「その答えが出ないまま、高校生になって……中庭で、花壇の手入れをする刈磨くんを見つけた」

「……俺を?」

「そう。ちょうど、一年前くらい。刈磨くんが、雑草を抜くのを見た瞬間……すごくドキッとして、目が離せなくなった。どうしてそうなったのか、理由が知りたくて、刈磨くんのことを……ずっと覗き見していた」

「……うん」

「それで、刈磨くんと仲良くなって……映画を観たあの日、刈磨くんにネクタイで首を絞められて、ようやく気付いたの」

「……何に?」

「私は、刈磨くんのことが好きで………それで……」

「…………」

「……ずっとずっと、好きな人に………………こっ、殺されることを望んでいたんだ、って……っ」




 蝶梨の声が、これ以上ないくらいに震える。

 そして、その細い喉を、こくんっと小さく鳴らし、





「つまりね、私は…………刈磨くんに、殺されたいの。刈磨くんに、私の命を……すべてを握っていてほしい。そのことを想像するだけで、ドキドキして、身体が……たまらなく熱くなるの……っ」





 吐き出すように、思いの丈を打ち明けた。


 彼女が内に秘めていた想い。

 その全てを聞いた汰一は、驚愕するが……

 同時に、ようやく腑に落ちたような納得感を抱いていた。


 映画にせよゲームにせよ、蝶梨は生死に関わる場面でを見せていた。

 酷く痛めつけられるのが好きなのか、あるいは命の危機に晒されるようなスリルを求めているのか。そのどちらかなのではないかと予想していたので、あながち大はずれでもなかったわけだが……


 まさか、『好きな人に殺されること』を理想とし、その『好きな人』こそが、他でもない自分だったなんて……

 そんなことまでは、想像できなかった。




「ごめんなさいっ……気持ち悪いよね、こんなの……刈磨くんに『好き』って言ってもらう資格ないよ……っ」



 再び涙声になりながら、汰一から離れようとする蝶梨。

 しかし、それを、



「何言っているんだよ」



 ぎゅうっ……と。

 汰一は、引き留めるように抱き締めて。





「俺に命を握っていてほしいだなんて……

 …………そんなの、可愛すぎるだろ」





 そう、はっきりとした口調で言うので。

 蝶梨は、「へっ?」と素っ頓狂な声を上げる。



「かっ、可愛い……?」

「そうだよ。要するに、雑草やゾンビやたい焼きに自分を見立てて、俺に抜かれたり撃たれたり齧られたりするのを想像してハァハァしていたんだろ? 何その発想……可愛い以外の何者でもない」

「えぇっ?」

「ほらな。嫌いになるどころか……やっぱり彩岐のこと、もっと好きになった」



 言って、汰一は蝶梨の肩に手を添え、身体を離す。

 そして、泣いて赤くなった彼女の目を、じっと見つめる。



 涙に濡れた、長い睫毛。

 戸惑うように揺れる、黒い瞳。

 薄く開いた、赤い唇。

 ほんのり染まった、白い頬。


 その全てが愛しくて。

 この世のものとは思えないくらいに美しくて。


 嗚呼、やはりどうしようもなく、彼女に恋をしていると……

 汰一は、ため息を溢して。




「…………好き」




 そう、独り言のように囁いた。

 その途端、蝶梨は頬を赤らめ、




「う……わ、私も、好きぃ……っ」




 受け入れてもらえたことに安堵したのか、顔をくしゃりと歪め、泣き始めた。

 その泣き顔が可愛くて、汰一は再び彼女を抱き締める。



 まだ、信じられない。

 彼女に「好きだ」と伝えたことも。

 それを拒絶されるどころか、「好き」で返されたことも。

 彼女が、『殺されたい』と思うほどに自分を想っていてくれたことも……



 だから汰一は、蝶梨にこう尋ねることにする。



「……なぁ、彩岐」

「……ん?」

「念のための確認だが…………彩岐の『好き』って、『ライク』の方だったりしないよな?」

「そっ……そんなの、『ラブ』の方に決まって……!」

「うーん、やっぱり信じられないな……もしかすると俺は『ライク』と『ラブ』の意味を逆に覚えているのかもしれない。ちょっと家に帰って辞書の確認を……」

「合ってるよ! ちゃんと、その……お付き合いしたいって意味だから……っ」

「……お付き合いするのか? 俺たちは」

「えっ……しないの?」

「いや、したい。めちゃくちゃしたいんだが……恐れ多すぎてまったく実感がわかない」

「……こんなにぎゅってしてるのに?」

「……確かに」



 二人は笑いながら、身体を離す。

 そして、汰一は蝶梨の手をきゅっと握り、見つめる。



「……彩岐さん」

「はい」

「俺と、付き合ってください」

「……はい。お願いします」

「うわ……本当に俺なんかでいいのか?」

「……刈磨くんじゃなきゃダメです」

「うぅ……可愛い……」

「や、やめて。恥ずかしい……」



 手を取りながら、互いに赤面する二人。

 しばらくの悶絶の後、気を取り直すように見つめ直し、



「前述の通り、俺は彩岐が好きなので、本当に殺すことはできかねるのですが……そこは大丈夫でしょうか」

「も、もちろんだよ。私も想像を楽しむだけで、本当に死にたいとは思っていないもん。自殺願望があるわけでもないし。ただ……」

「……ただ?」

「……私が病気とか寿命で、もう助からないってなった時は……最期に、刈磨くんの手で殺してもらいたいな……なんて、思ったりはする」



 そう語る彼女の瞳が、ギラギラとした光を孕む。

 これは……想像以上に根が深いヘキなのかもしれない、と。

 汰一は背筋をゾクゾクさせながら、そんな危うさにますます魅了される。



「……わかった。そうなった時は……俺が殺してあげる。だから、それまで一緒に長生きしような」



 ……って、これじゃまるでプロポーズじゃないか。

 と、汰一は気恥ずかしさを覚えるが、それを聞いた蝶梨は……



「ほんと?! ど、どんな風に殺してくれるの……?!」



 汰一にぐいっと身体を押し付け、物凄い勢いで食い付いてきた。

 性癖を暴露して本領発揮、といったところか。そんなところも好きだと思いながら、汰一は聞き返す。



「……逆に彩岐は、どんな殺され方がいいの?」

「えぇと……やっぱり刈磨くんの温もりを感じられる系がいいかな」

「温もり?」

「そう。一番いいのは手で首を絞められるの。あと、さっきみたいにぎゅうってされるのも幸せだから……圧死もいいかも」

「……彩岐。残念なお知らせなんだが、彩岐が寿命で死ぬ頃には俺もじいさんだから、絞殺ならまだしも、抱きしめて殺せるような腕力は、恐らくない」

「そ、そんな……!」

「というか、今でも無理だな、きっと」

「えっ、そうなの?!」

「そうだよ。俺はゴリラじゃない」

「そんなぁ……でもやってみなきゃわからないよね? ほら、もう一回ぎゅってして! 殺すつもりで!!」



 期待の眼差しで、ばっ! と両手を広げる彼女に、汰一は思わず半眼になるが……


 ……まぁ、思いっきり抱きしめていいと言うのなら、やぶさかではない。

 恋人というオフィシャルな立場を……存分に楽しませてもらうとしよう。


 んんっ。と、汰一は一度咳払いをし。



「……では」



 ニヤけそうになる顔をキリッと引き締め、再び彼女を抱き締めた。



 ふわりと漂う甘い香り。

 肌に張り付いている、濡れたブラウスの感触。

 その奥からじんわり伝わってくる体温と……隠し切れない柔らかさ。

 控えめながらもしっかりと存在を主張する膨らみが、汰一の胸板に押し付けられ、むにゅりと形を変えている。



 やはりこれは、夢なのではないか……?

 でなければこんな幸せ、罰当たりすぎる……



 ……と、汰一が彼女の感触をしみじみ味わっていると、




「そ、そんなんじゃ全然死なないよ……もっと強く、押し潰す勢いでぎゅってして……?」




 ……という、甘い声が耳元で囁かれるので。

 汰一は、いよいよ鼻血が出そうになるのを堪えながら、



「……じゃあ、思いっきりいくぞ?」



 そう断りを入れ。

 抱き締める腕に、力を込めた。

 直後、蝶梨が「んっ」と声を上げる。



「ほら、苦しいだろ? やっぱり無理は……」

「だめ、もっとして……?」

「えぇ……こ、こうか?」

「あぁ、しゅごっ……肋骨折れちゃいそ……っ」

「それは駄目だ。もうこれくらいに……」

「いやっ、このまま息の根止めて……? 刈磨くんの腕の中で逝きたい……っ」

「ちょ……んなコト耳元で聞かされたらやばいって……!」



 などと、蝶梨より先に汰一の理性が死にかけた……その時。





「────グルルゥ」





 蝶梨の甘い声の合間に、獣の呻きのような声が聞こえる。




「だから、そんな変な声出されたらもう我慢の限界が……って、え?」


 

 汰一はハッとなり、彼女の背後に目を向ける。

 と……





「なっ……なんだ、こいつら……」





 そこにいた異形の姿に、汰一は…………目を見開いた。



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