5-1 蝶とゲームセンター

 



「これ、お前にやるよ」




 金曜日の放課後。

 生徒たちがぱらぱらと教室を出て行く中、一枚の紙切れを差し出す忠克ただかつに、汰一は怪訝な表情を浮かべた。



「……ゴミ箱ならあっちだが」

「ゴミじゃねーよ。ゲームセンターでもらった無料ただ券。ゲームが一回無料になるらしい」



 ずいっと突き付けられ、汰一は渋々それを受け取る。

 皺を伸ばし広げてみると……そこには確かに『ゲーム無料プレイ券』と書いてあった。



「……なんで俺に?」

「行く予定があるかなと思って」

「まったくもってないが」

「お前、中学の頃よくゲーセン通ってただろ? 腕もすっかり治ったみたいだし、気晴らしに行ってみたらどうだ?」



 にんまりと笑いながら、忠克が言う。


 中学時代、二年になってすぐ剣道部を辞め自由時間が増えた汰一は、よくゲームセンターに通っていた。

 その過去を知っているからこそ、忠克はこのように言っているのだろうが……最近はめっきり足が遠のいていた。



「……要するに、いらないゴミを押し付けただけだろ?」



 汰一がため息混じりに返すと、忠克は肩を竦め、



「いやいや。俺はお前が喜ぶだろうと思ってだな」

「しかもこれ、都市部にある店舗じゃん……なんでこんな遠くのゲーセンに行ったんだ? 珍しい」

「今ハマってるスマホゲームの景品が入ったから、わざわざ獲りに行ったんだよ。とにかくお前にやるから、ガムの包み紙にでも何でも使うといい」

「やっぱりゴミの押し付けじゃねーか」



 ジトッと睨み付けるも、忠克は意に介さず。

 手をひらりと振って、「じゃ、そゆことで」と教室を出て行った。


 一人残された汰一は、手の中に残った無料券に目を落とし、



「…………」



 ……案外、使えなくもないかもな、と。

 丁寧に折りたたんで、ポケットにしまった。








 ──その、数時間後。




「ゲームセンター?」



 中庭の手洗い場で、蝶梨が聞き返す。

 今日も花壇の手入れを終え、手を洗っているところである。


 振り向く蝶梨に、汰一は頷いて、



「うん。忠克にゲームの無料券をもらったんだ。一緒に……行かないか?」



 そう、緊張気味に誘った。

 それに、蝶梨は一瞬驚いた顔をして、蛇口をきゅっとしめると、



「……平野くんじゃなくて、私と一緒でいいの?」



 そう、落ち着いた声で返す。

 汰一は、忠克のニヤついた顔を思い出しながら苦笑する。



「あいつはもう欲しい景品を手に入れたからいらないんだと。ほら、ゲームセンターにはシューティングゲームがあるだろ? 彩岐、前にゾンビ映画を観たことあるって言っていたし、こないだ一緒に観た映画でも銃を使うシーンに反応していたから、『ときめきの理由』に繋がるヒントが得られるんじゃないかと思ってさ」



 ……というセリフは、本音半分、口実半分だった。

 もちろん彼女の『ときめきの理由』を見つけたい気持ちもある。しかし……

 純粋に、デートっぽいことをしたい気持ちも多分にあった。



「彩岐さえよければ、明日か明後日の休みにでもと思うんだが……どうかな?」



 窺うように尋ねる汰一に、蝶梨は……

 どこか熱の籠った目で、首を何度も縦に振り、



「うん。ぜひ、お願いします」



 その誘いを、受け入れた。






 * * * *






 ──翌日。

 汰一は、待ち合わせした駅で蝶梨が来るのを待っていた。


 緊張のあまり、約束した時間の三十分前に着いてしまった。

 駅前を行き交う人をそわそわと眺め、汰一は今になって後悔に似た感情に襲われる。



 休みの日に待ち合わせして、二人で出かけるなんて……完全にデートじゃん。

 俺みたいなモンが、彼女と、デート?

 しかも、よりにもよってゲーセン?

 せっかくなら、もっと彼女に相応しい場所に誘うべきだったのではないか……?

 例えば、おしゃれなカフェとか、美術館とか、水族館とか……


 ……いや、違う。何を考えているんだ。

 これはデートじゃなくて、『調査』だろう。

 彼女の『ときめきの理由』を見つけるための協力に過ぎない。

 これをデートと呼ぶなんて烏滸おこがましい。罰当たりが過ぎる。

 落ち着け。いつもの放課後の延長だ。彩岐も、そのつもりで来るのだから。




「……よし」



 汰一は目を伏せ、知っている花の名前を『あ』から順に思い浮かべ、精神統一を図る。


 アネモネ。

 インパチェンス。

 ウメ。

 エリカ。

 オニユリ。


 カ……カ……



 ……と、早くも行き詰まったところで。





「──お待たせ。刈磨くん」





 名前を呼ばれ、反射的に顔を上げる。

 すると……


 そこには、私服姿の蝶梨が立っていた。


 瞬間。




「…………カ……ッ」




 花の名ではなく『カワイイ』と叫びそうになり、汰一は慌てて口を押さえる。

 そして……あらためて彼女のよそおいを眺めた。


 フードの付いた、パーカータイプの白いワンピース。胸にはうさぎのキャラクターのワッペンが付いている。

 髪は耳の下あたりで二つにゆわえている。初めて見る髪型だ。

 足には編み込みのショートブーツを履き、背中には大きめのリュックサックを背負っていた。

 スポーティに見えるが、ちゃんと女の子らしい要素もある、爽やかな装いである。


 つまりは、彼女にとてもよく似合っていて……

 息をするのも忘れるくらいに、可愛かった。




「……刈磨くん?」



 口を押さえ硬直する汰一を、蝶梨は心配そうに覗き込む。

 汰一は、ゆっくりと口から手を離し、




「……ごめん。彩岐の私服姿が可愛すぎて、ちょっと言葉を失ってた」




 と、結局本音を漏らしてしまった。

 その途端、蝶梨は顔を真っ赤にして俯き、



「あ、ありがとう……いつもはスカートなんて制服以外では履かないんだけど、今日は思い切ってワンピースにしてみたの。だから……そう言ってもらえて嬉しい」



 はにかみながら、控えめな笑みを浮かべた。


 それを聞き、汰一は理解する。

『可愛い』にトラウマがある彼女にとって、この格好は現状で着ることのできる精一杯の『可愛い装い』なのだろう。

 それを、勇気を出して着てきたのだと思うと……汰一は称賛せずにはいられなくなり、



「いつもの三つ編みもいいけど、今日のおさげもめちゃくちゃ可愛いよ。服も本当によく似合っている。少しずつ"素"が出せるようになってきているみたいで、俺も嬉しいよ」



 と、素直な気持ちを口にした。

 蝶梨はますます顔を赤くし、小さく笑って、



「……ありがとう。刈磨くんの服もカッコいいね。私服だと、なんだか新鮮」



 と、制服の時とは違う雰囲気の汰一を見つめ、そう返す。

 それを、汰一は一〇〇パーセントお世辞だと思い込み、困ったように笑って、



「あはは、ありがと。の彩岐の隣に並ぶのは、ちょっと恥ずかしいけどな」



 ……そう、答えた直後。

 蝶梨は「えっ?!」と声を上げ、顔を引き攣らせる。




「な……なんでモデルやってたこと知ってるの……? 名前も髪型も変えて、家族以外には内緒で活動していたのに……!!」




 心底驚いた様子の蝶梨に、汰一は……



 ……しまった。完全に失言だった。



 と、己の軽率な発言を後悔する。

 しかし、すぐに微笑んで、



「ごめん。『昔、彩岐に似た人が雑誌に載ってた』って風の噂で聞いたから、カマかけてみたんだが……本当にモデルやっていたのか?」



 なんて、あくまで『噂に聞いただけ』というていを装う。

 蝶梨は、顔をほてらせたままため息をついて、



「う、うん。中学時代に少しだけね……完璧に隠していたつもりだったのに、そんな噂が立っていたなんて。一体どこでバレたんだろう……」

「悪い、知られたくない過去を掘り起こしちまったみたいだな」

「ううん、刈磨くんに知られるなら良いよ。他にも恥ずかしいところいっぱい見られてるし。でも……他の人には内緒にしてね」



 恥じらいながらお願いする蝶梨を可愛いと思いつつ、汰一は「もちろん」と頷く。

 彼女のモデル活動を知っていた事実は、バレずに済んだようだ。


 嘘をついてしまった罪悪感と、二人だけの秘密がまた一つ増えた幸福感を同時に味わいながら、汰一はスマホで時刻を確認する。

 蝶梨が思いの外早く到着したので、予定をかなり前倒しできそうだった。


 汰一は一度咳払いをしてから、ゲームセンターがある方へ足を向け、



「それじゃあ、予定よりだいぶ早いけど……行こうか」



 そう、蝶梨に言う。

 彼女は「うん」と頷き、緊張した面持ちで、汰一の隣を歩き始めた。


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