4.5 裏坂未亜の青春

 




 優越感と、劣等感。


 自己肯定感と、自己嫌悪。


 その繰り返しを、"青春"と呼ぶのだろうか?







 わたしは、自分の容姿が嫌いだ。


 チビで童顔。

 そこそこ可愛いことは自覚しているが、この見た目のせいで嫌な思いをすることの方が多い。



 まず、第一印象で舐められる。

 背が低く、顔が幼い。

 それだけで、自分より下に見る者のなんと多いことか。


 それから、謎にファンシーなイメージを抱かれることが多い。

「ピンク色の部屋に住んでいそう」とか、「動物が好きそう」とか、「毎日マカロン食べていそう」とか……

 実際は、自室は黒一色だし、動物はどちらかと言えば嫌いだし、毎日食べるなら焼肉の方がいい。


 しかし、他人ひとは容姿だけで勝手なイメージを抱き、それにそぐわない言動を取ると、こう言うのだ。




「未亜ちゃんて、"見た目詐欺"だよね」




 そう言われたのは、小学六年の時。たいして仲良くもないクラスの女子からだった。

 あまりにカチンときて、思わず「あぁ?」と言ってしまったのを覚えている。


 要するに、「見た目は可愛いけど中身は可愛くなくてがっかりさせられる」と言われたのだ。


 大きなお世話だ。

 勝手に期待して、勝手に落胆して、その責任をこちらに押し付ける方がよっぽど詐欺である。



 ……そう思いつつ。

 わたしは、静かにショックを受けていた。


 わたしにも、『どうせなら周りから良く言われたい』という承認欲求はある。

 だから、中学への入学を機にキャラ変することにした。

 自分に求められているキャラクターがどのようなものなのかはよく理解していたから、あとはそれを演じるだけだった。


 いつもにこにこ愛想が良くて、バッグには可愛いぬいぐるみのキーホルダーをつけてて、髪も可愛く結っていて、甲高い甘え声でアホっぽく喋る。


 それが、周囲が求める"ちっちゃくて可愛い裏坂未亜"の姿。



 キャラ変の成果は上々だった。

 女子からは妹キャラとして可愛がられ、男子からもモテ始めた。


 時々、一部の女子が『ぶりっ子』だと陰口を言っているのが聞こえたが、僻みだと思うようにした。


 男子からモテるのも、正直気分が良かった。

 しかし、試しに付き合ってみた一人と初デートした帰りに「思っていたのと違った」と振られ……

 やっぱり言動の端々はしばしに素が出ているのだろうと。

 本当のわたしを好いてくれる人なんていないんだろうなと、けっこう落ち込んだ。



 "可愛い裏坂未亜"を演じる程に、自分がどんどん嫌いになってゆく。


 周りの目ばかり気にして、"可愛い自分"を演じ切ることも、"ありのままの自分"を貫くこともできない。

 悪いのは周囲の人間で、見た目で判断する馬鹿ばかりいるせいだと思い込むが、結局は独りになるのも怖くて、軽蔑しているはずの他人に認められたくて仕方がなかった。


 臆病で、傲慢で、自尊心ばかり高くて。

 そんな自分が、大嫌いだった。



 その葛藤から逃避するように、受験勉強に打ち込んだ結果、学区内で一番偏差値の高い大鳳おおとり学院高校に合格した。

 その年の合格者は、わたしだけだった。



 知り合いのいない、ゼロからの高校生活。

 ここで、リセットをしよう。

 周りにどう思われるのかなんて知らない。

 わたしは、ありのままのわたしを曝け出して、ストレスフリーな高校生活を満喫する!!




 ……そう、心に決めたはずだったのに。



 高校入学後。

 わたしは結局、"天真爛漫な裏坂未亜"を演じていた。


 無理。やっぱりボッチにはなりたくない。

 そのためには、明るく元気で毒気のない未亜ちゃんでいなければ。



 結局は本当の自分を隠すことになってしまったが、今のところは『ぶりっ子』と言われることもなく、"可愛い妹キャラ"がうまく定着しつつあった。

 部活も、友だちに誘われて野球部のマネージャーをすることになった。ボッチは回避できている。


 しかし、やはり……




「つっっかれる〜……」




 である。


 ずーっとニコニコきちんとしているの、超疲れる。

 今仲良くしている子たちも、きっと素を見せたらわたしを嫌うのだろう。

 そう考えると、やはり自分のことが嫌いでたまらなかった。



 誰もいないのを良いことに、わたしは特大のため息をつきながら、渡り廊下を進む。


 入学して数週間。

 わたしは、初めての委員会活動へ向かっていた。


 成り行きで美化委員になってしまったが、花には全然興味がない。

 むしろ虫が大の苦手なので、自然が多い場所は避けているくらいだ。

 でも、決められた当番を守らないのも気分が悪いので……サボるという選択肢はなかった。



 何度もため息をつきながら、校舎を出て、中庭へと赴く。と……


 辿り着いたのは、想像以上に綺麗な庭だった。

 花に興味がない自分でも、足を止めて眺めたくなるような、美しい庭園。


 きっと先輩たちが、綺麗に手入れしてきたのだろう。

 意外と活発らしい美化委員の活動に感心しつつ、水やりの道具を取るために物置小屋へと向かうと……




 ──ドンドンッ! ドンドンドンドンッ!!




 ……という音と共に。

 物置小屋が、揺れていた。


 何事かと思い、恐る恐る近付くと……



「誰か! 開けてくれ!!」



 中から、人の声がする。

 どうやら物置小屋の中に閉じ込められているらしい。


 ……どうやったらこんなところに閉じ込められるんだよ。


 呆れながらも、わたしはそっと手を伸ばし、小屋の扉を開けた。

 すると……



 中にいたのは、一人の男子生徒だった。

 平均的な身長。特徴のない顔。

 そんなごく普通の男子は、わたしを見るなり目を輝かせて、



「おぉ、助かった! ありがとう。君は救世主だ」



 そう、嬉しそうに言った。




 それが、美化委員の二年生……

 刈磨汰一先輩との、出会いだった。




 話を聞くと、軍手を取りに物置小屋へ入ったところ、突然強風が吹き、扉が強く閉まったらしい。

 その拍子に扉の内側の取手部分が壊れ、中に閉じ込められたのだという。



「……運、悪すぎ」



 思わず漏れた、素の声。

 しかし先輩は、



「そうなんだよ。俺、昔から不運でさ。でも、今日は君が助けてくれたから運が良かったよ」



 そう言って、困ったように笑った。




 ──それを機に、わたしと刈磨先輩は一緒に美化委員の仕事をするようになった。

 他の委員会メンバーは当番をサボりまくっているらしく、先輩はほぼ毎日花壇に来ていた。


 わたしの当番は、水曜日。

 わたしはサボったりしないのに、刈磨先輩はいつでもいた。

 花の世話をするのがよっぽど好きらしい。

 その証拠に、花のことをいち質問するとじゅう以上の言葉を並べて返してくる。

 わたしがうんざりした顔をしていることなんてお構いなしに、よく蘊蓄うんちくを垂れ流していた。


 そんな先輩だから、わざわざ"可愛い未亜ちゃん"を演じるのもアホらしくて、わたしは自然と素の態度で接していた。

 わたしがいくら辛辣なことを言っても、先輩は「ひどいなぁ」と言うだけでまったく気にしなかった。


 たぶん、のだ。


 だから、わたしがどんな言葉遣いをしようが、何とも思わない。

 他の委員会メンバーが当番をサボっていても、怒ったりしない。

 元々そういう性格なのか、何かきっかけがあってそうなったのかはわからないが……



 先輩のその姿勢は、わたしにとって、とても居心地の良いものだった。



 面倒くさかったはずの水曜日の放課後が、いつの間にか自分を曝け出せる唯一の時間になっていた。

 刈磨先輩といる時だけ、本当の自分でいられる。

 彼も、それを受け止めてくれる。


 だからわたしは、勘違いしたのだ。

 わたしが告白したら、先輩はきっと「うん」と言う。

 本当の私を知っているのは先輩しかいないし、先輩の良さを知っているのもわたししかいない。

 彼女ができる見込みもなさそうだし、わたしが付き合ってあげよう。

 なんて……


 そんな高慢な勘違いをしたから、あんなことを言った。



「お花のお世話、本当に頑張ったので、今度ご褒美くださいよ、先輩」

「なんだよ、ご褒美って」

「もうすぐ夏じゃないですか。未亜、先輩と夏らしいことがしたいなぁ。アイス食べたり、お祭り行ったり、海に行ったり……」

「あぁ、つまりアレか。なんか奢おごれってことか」

「違いますよう! そうじゃなくて……」

「わかったわかった。小遣い貯めといてやるから、早く部活行ってこい」

「んもぅっ。約束ですからねっ」




 ほらね、わたしの誘いを断らなかった。

 先輩とデートの約束を取り付けたことに、わたしは勘違いをさらに加速させた。


 来月、隣町で夏祭りがある。それに誘おう。

 そして、その時に……告白をしよう。

 絶対にうまくいく。わたしが振られるはずないんだから。


 そんな風に浮かれて、お母さんにおふるの浴衣までもらって。

 約束の時を、楽しみに待っていた。




 でも……あの日。

 野球部のボールが中庭の方へ飛んで行き、それを追いかけた先に……



 あの、美人で有名な彩岐蝶梨先輩がいた。



 刈磨先輩と一緒に花の手入れをしているだけだと言ったが、わたしにはすぐにわかった。

 刈磨先輩が、彩岐先輩に特別な感情を抱いていることを。

 彼女を見つめる視線は……わたしに向けるものとは、明らかに違ったから。




 その時わたしは、頭をハンマーで殴られたみたいな感覚に陥った。

 端的に言えば、ひどく傷付いた。

 そして、ようやく気付いたのだ。



 わたし、本気で……刈磨先輩のことが、好きだったんだ。



 誰かに取られるかもしれない状況になって、やっとわかった。

 ありのままのわたしを受け入れてくれる先輩に、本気で恋をしていたのだと。



 気付いた時にはもう遅かった。

 刈磨先輩と彩岐先輩の距離はどんどん縮まっていて……

 わたしが入り込む余地なんて、なくなっていた。









 ──学校を飛び出し、自転車を漕ぎながら、わたしは先ほどの出来事を思い出す。



『裏坂さんが、刈磨くんのことを好きって言ったら…………私、ちょっと困るかも』



 凛とした、彩岐先輩の声。

 けど……



『……刈磨くんと一緒にいるのは、からかっているからじゃない。……側にいたいからだよ』



 その黒い瞳が、震えていた。


 それは、本気だから。

 彩岐先輩も、震えるほど本気で、刈磨先輩のことが好きだから。


 クールだと思っていた彼女のその表情は、どこからどう見ても"恋する女の子"の顔で……

 戦意を喪失するくらいに、可愛かった。



 こんなの、勝てるはずがない。

 きっと刈磨先輩は、彼女の内に秘めた可愛さに気付いて、好きになったんだ。


 あぁ、もう。どうして。

 "可愛い"と思われるのが、あんなに嫌だったはずなのに……




 今は、誰よりも可愛くなりたくて、堪らない。







「身を引きます」なんて言い捨てて、逃げるように帰って来たわたしは、「ただいま」も言わずに家に入る。

 すると、母親がリビングから駆けてきて、こう言った。



「おかえり、未亜ちゃん。こないだ言ってた浴衣、クリーニングに出しておいたわよ。ほら」



 と、紺色の生地に花の柄があしらわれた可愛らしい浴衣を掲げる。

 祖母から母へ、そして母からわたしへと、三代に渡って引き継がれることになった浴衣だ。



「この浴衣見ていると、お母さんも若い頃を思い出すわぁ。お祭り、お友だちと行くの? それともデートだったりして。いいわねぇ、青春真っ盛りで」



 楽しげな母の声に、胸の中が真っ黒な感情に塗り潰されていく。




 これが、青春?

 こんな、優越感と劣等感と、自己肯定感と自己嫌悪に振り回される最悪な状況を、青春と呼ぶの?


 当事者の気も知らないで……勝手に美化しないで。




「……っ」



 わたしは、母の手から浴衣を奪い取ると、そのまま自室へと駆け込む。

 ドアを強く閉め、浴衣を丸めて、床に叩きつけてやろうと腕を振り上げる。が…………やめた。



 そんなことしたら、それこそ可愛くない。

 これ以上……自分を嫌いになりたくはなかった。



 どうしようもなくなって、その場に座り込み、浴衣をぎゅっと抱きしめる。

 抑えていた涙が、ぽろぽろと溢れ始めた。






 この気持ちは、絶対に言わない。

 口にしなければ、なかったのと同じだから。

 告白しなければ、失恋したことにはならないから。


 だから……大丈夫。

 ゆっくり、忘れていこう。





 そう、言い聞かせるけど……

 全然消えてくれない悲しみが、大粒の涙になって溢れて。


 先輩に見せるはずだった浴衣に落ち、生地の色を黒く変えながら、じわりと染み込んでいった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る