天秤を揺らす風 2

 




「──ぶはっ! 痛いではないか、この式神!!」




 顔からカマイタチを引き剥がし、小さな"福神ふくのかみ"が叫ぶ。



「早うぬしの主人あるじを呼べ! あのデカブツを退治するのじゃ!」



 その細長い身体をガシッと掴み、ガクガク揺すりながら言うが……

 カマイタチは、「キュウゥ……」と力のない声で鳴くのみだ。

 しかし、



「……なに? 『を呼んで来てほしい』、じゃと?」



 その鳴き声から、彼女はカマイタチの意志を聞き取る。

 聞き取った上で、カマイタチをさらにぎゅうっと握り、



「ぬしの主人あるじなどぬしで呼べばよかろう! 何故われが……!!」



 目を吊り上げ言い返すと、カマイタチが再び「キュウ、キュウ」と鳴く。

 それを聞き、彼女は……目を見開く。



「ぬしの主人あるじは、あの人間……? それはまことか?」



 鎌鼬かまいたちの言うことが本当ならば……

 人間を境界こちらへ呼ぶには、神の導きが必要になる。


 そして、主人あるじと式神が力を合わせなければ、あの巨大な"厄"は倒せない。


 倒せなければ……

 すぐそこにいる"エンシ"にも危害が及ぶだろう。


 そうしたら、"エンシ" の保護と育成に余念がないに咎められるのは、間違いなく自分だ。



 彼女は……怒られるのが苦手だった。




「……仕方ない。呼ぶだけ、呼ぶだけじゃぞ! あのデカブツの始末はお前らがやれ!!」



 小さな"福神ふくのかみ"はそう言い捨てると、カマイタチをパッと離して。


 大鳳おおとり学院高校の校舎内へと、飛んで行った。






 ♢ ♢ ♢ ♢






 ──ガタガタと揺れる教室の窓。


 突然荒れ模様になった天候に、汰一と蝶梨は驚いて窓の外を見上げた。



「……なんか、急に嵐みたいになってきたな」

「……そうだね」



 校舎全体を揺らすような豪風と、窓に打ち付ける大粒の雨。

 まだ夕方と呼べる時間のはずが、分厚い雲のせいで夜のように暗かった。



 まさか……と。

 真っ黒な空を見上げる汰一の胸に、一抹の不安がぎる。



 昼と夜の狭間の時間……"逢魔刻おうまがとき"。

 日暮れ前のこの時間は、この世ならざるものの動きが活発になる、らしい。


 この嵐も、自分が呼び寄せた"厄"のせいだったりして……


 ……いや、そうだとしても、カマイタチがいてくれる。

 あいつを信じて、嵐が過ぎ去るのを待とう。



 そう自分に言い聞かせると、汰一は蝶梨に向き直り、



「これじゃしばらく帰れそうにないな。ちゃんと勉強終わるまで帰るなっていう、神からの天啓だったりして」



 そう、冗談っぽく言う。

 蝶梨はくすりと笑って、



「そうかもね。次の章の定理をマスターするまで、雨止まないかもよ?」



 と、どこか楽しげに返した。

 すぐ隣で見せるその悪戯な笑顔に、汰一はドキッとする。

 それを誤魔化すように、参考書に目を落としながら、



「……明日は晴れるといいな。花壇の手入れができないと、彩岐の『ときめき』の謎についての調査が進まないだろ? こんな風に勉強していたって、特にときめいたりしないだろうし……」



 窺うようにそう尋ねると……

 蝶梨は、すぐに頷いて、



「うん。むしろ私の本性を知っている刈磨くんといると、家にいるみたいに落ち着く」



 さっぱりと、即答した。


 ……そうはっきり言われると、悲しむべきか喜ぶべきか悩むな。


 と、汰一が複雑な心境を抱えていると、蝶梨が続けて、



「いっそ刈磨くんと二人の時は好きな髪型にしようかな。本当は三つ編みとかツインテールとか、可愛い髪型が大好きなの。でも、そんなの私らしくないから……普段はできなくて」



 言いながら、長い髪の先をくるくると指で弄ぶので……汰一は考える。



 確かに彼女の髪型と言えば、結ばずに下ろしているか、体育の時にポニーテールにしているくらいだ。

 それでも十分過ぎるくらいに魅力的なのだが……



 ……俺の前でだけ、三つ編みとかツインテールにしようかな、だと?




 汰一は鼻血が垂れそうになるのをグッと堪えながら、キリッとした表情で、一言。



「ぜひお願いします」

「刈磨くん、なんか目が怖いよ」



 警戒する蝶梨の視線に、汰一はふるふると首を振る。



「俺は真剣なんだ。それもの彩岐を徐々に出していく"練習"になるだろ?」

「まぁ……たしかに」

「ゆくゆくは周りの目を気にせず、自分がしたい格好ができるようになるのがベストなんだから。俺の前では好きな髪型にしてくれ。三つ編みでもツインテでも、ハーフツインでもおだんごでもドンと来いだ」

「なんか候補が増えてない?」

「とにかく、その調子でどんどんを出していこう。俺が見たいからとか、そういう本音は一旦置いておいて」

「本音言っちゃってるけど。そして置いておくんだ」

「…………置かずに、本音を言うならば」

「……言うならば?」

「………………そういう髪型、絶対似合うと思う」



 ぼそっ、とこぼした汰一の本音に。

 蝶梨は、思わず目を見開き……少し頬を赤らめる。



「……そう、かな?」

「うん、絶対似合う。俺が保証する」

「……刈磨くん、髪型フェチなの?」

「そういうわけじゃない」

「じゃあ……何が好きなの?」



 急な質問に、汰一が「え?」と聞き返すと……

 蝶梨は、やはり髪の先をくるくると弄りながら、




「……刈磨くんなら、どんなことにときめくのか……参考までに教えてよ」




 そう、目を逸らし尋ねた。

 汰一は驚きながらも、その質問について考える。



 俺が、何にときめくか……

 その問いの答えは、数学の問題よりも明らかだった。


 俺がときめくのは、胸が高なるのは。

 シチュエーションや、よそおいによるものではなく……



 "君だから"。




 ……なんて、さすがに言えるわけがないので。




「……俺が、好きなのは…………」



 と、代わりの答えを探し、目を泳がせた──その時。





『やい、そこの小僧!!』





 ……という幼い声が、何処からか聞こえ。

 汰一は、きょろきょろと周囲を見回す。



「……どうしたの?」



 が、蝶梨にはその声が聞こえなかったのか、周囲を気にする汰一を不思議そうに見ている。


 ……今のは、一体……?


 と、首を傾げると、





『でっかい"厄"が上空に迫っておる! 式神を……鎌鼬かまいたちを使って祓え!!』





 同じ声が、再び頭に響く。



 でかい"厄"? カマイタチ?

 ってことは、この声の主はあちら側の誰かか……?

 俺にカマイタチを使うよう呼びかけているということは……

 カマイタチだけでは祓えない"厄"が、この高校に近付いているということだろうか?



 ……彩岐が、危ない。




「……っ」



 ガタッ、と立ち上がる汰一を、蝶梨は驚いた様子で見上げる。



「か、刈磨くん……?」



 それを、汰一は見つめ返し、




「……三つ編み」

「え?」

「三つ編みが、特に好きだ。彩岐によく似合うと思う」




 と、先ほどの問いの答えを、咄嗟に返してから。



「……ちょっとトイレ行ってくる」



 彼女の方を振り返らないまま、足早に教室を出た──






 ♢ ♢ ♢ ♢






 ──教室の引き戸を閉めた瞬間、汰一の視界がモノクロに変わった。


 その景色に……汰一は既視感を覚える。


 色のない、うつろな世界。




「……"亡者たちの境界"」




 先日、達磨だるまのような形をした巨大な"厄"を倒したことを思い出し、そう呟くと……




「──ほう、この境界に来たことがあるのか? ならば、あの式神の主人あるじがぬしだという話はまことのようじゃな」




 そんな声が、すぐ横から聞こえる。

 先ほど頭に響いたのと同じ声だ。


 そちらを向くと……声の主は、想像よりもずっと小さかった。


 艶々のおかっぱ髪に、額から生えた一本の角。

 巫女のような袴を身に纏った…… 五、六歳くらいの幼女。



「……君は?」



 汰一が尋ねると、彼女は……

 口の端を、ニィッと吊り上げて。





「われの名は、艿那与になよ比咩神ひめのかみ。泣く子も笑う"福神ふくのかみ"じゃ」





 その御名を、高らかに告げた。



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