5 近くて遠い

 



「──蝶梨ちよりちゃんてさ、好きな人とかいないの?」




 翌日の、昼休み。


 弁当を食べる女子グループの会話に、汰一の耳がピクリと反応した。

 しかし、それを目の前にいる忠克ただかつに悟られぬよう、弁当をガツガツと掻っ込む。



 もうすっかり治ってしまった左腕は、学校では吊るのをやめにした。

 親から怪我の状態を聞かされている教師たちに不自然に思われないよう、包帯だけ巻いている状態だ。


 昨日、神を名乗る男と邂逅するという信じ難い体験をしたわけだが……今日の午前は特に変わった点はなかった。

 強いて言うなら、まだ不運な目に遭っていない。半日も過ごせば不運の一つや二つ降りかかるのが当たり前な汰一にとっては、非常に珍しいことだった。


 目には見えないが、カマイタチが"厄"を喰っているのだろうか?

 そう考えるが、それを確かめるすべはなかった。



 汰一が聞き耳を立てる中、クラスメイトの女子に好きな人の有無を聞かれた蝶梨は、玉子焼きを優雅に口に運びながら、



「いないけど、どうして?」



 と、落ち着き払った声音で返す。

 それに周りの女子たちはますます食い下がり、



「えぇーっ。だって蝶梨ちゃん、こんなに綺麗で告白もいっぱいされてるのに誰とも付き合わないじゃん。好きな人がいるから断っているのかなぁって思って」

「あ、もしかして……『好きな人』じゃなくて『彼氏』が既にいるとか?」

「誰?! まさか他校……いや、大学生とか?!」

「きゃーっ! エローっ!!」



 何がエローっ、だ。勝手に盛り上がるんじゃない。


 と、唐揚げを頬張りながら脳内でツッコむ汰一。

 女子たちのハイテンションに、しかし蝶梨は眉一つ動かさず、



「付き合っている人はいないよ。今までもいたことない」



 そう、淡々と答えた。

 そのセリフを聞き……クラス中の男子が反応するのを、汰一は感じ取る。

 それは、彼の目の前にいる男も同じで。



「おい、聞いたかよ汰一」



 なんだ忠克、お前も聞き耳を立てていたのか。

 という視線を送ると、彼は眼鏡の縁をギラリと光らせて、



「あの彩岐蝶梨がまだ誰のモノにもなっていないなんて……夢のある話だと思わんか?」



 と、汰一にだけ聞こえるように囁くので……彼は顔をしかめた。



 忠克の言わんとしていることは、わからないでもない。

 彼女が振ってきた男の中には学年一のモテ男であるサッカー部のエースや、芸能活動をしている三年生の八頭身イケメンもいる。

 それらを袖にしてなお誰とも付き合ったことがないとなると……恐らく彼女は、見た目やステータスで男を選んではいないのだ。


 ならば、イケてない自分にも逆にチャンスがあるのでは?


 なんて馬鹿な勘違いを起こすのが、非モテ男子というもの。

 しかし汰一は、そんな風に蝶梨が、ある種の賞品というか……モノのような扱いを受けることが、何より許せなかった。



 ……という考えが顔に出ていたのだろう、忠克は肩をすくめて、



「そんな怖い顔するなよ、冗談だって」

「冗談でも言って良いことと悪いことがあるだろ。人をモノ扱いするな」

「あれあれ? ひょっとして昨日話しかけられて、ちより様ガチ勢になっちゃった?」

「……ンなわけあるか」



 ニヤニヤと笑う忠克の言葉を一蹴いっしゅうする。

 この男にバレると厄介なので、蝶梨に本気で恋していることは秘密にしているのだ。


 教室の真ん中では、女子たちがさらに蝶梨を問い詰める。



「じゃあさじゃあさ、蝶梨ちゃんはどんな人がタイプなの?」

「付き合うならこういう人がいいなぁーみたいな理想。あるでしょ?」



 よくぞ聞いてくれた! という男子どもの心の声が聞こえてくる。

 なんだかんだと御託を並べつつ、結局汰一もそわそわしながらその答えに聞き耳を立てているわけだが……


 蝶梨は弁当を食べる手を止め、考え込むように俯くと、




「…………秘密。私、ちょっと変わってるから」




 そう、平坦な声で言った。

 そのセリフに、汰一は……


 ……あれ、そういえば。


 と、思い出す。

 昨日、柴崎が言っていた言葉……



『確かにあの娘ってちょっと変わったヘキを持ってるから……恋愛対象になると、それはそれで別の心配が浮上するんだよね』



 その意味を問い詰めようとしたら、わかりやすくはぐらかされたが……もしかして彩岐は、本当に変わったシュミをしているのか?


 汰一がドキドキと鼓動を速めていると、



「何それ、ますます気になる!」



 汰一の考えを代弁するように、女子たちが甲高い声で彼女に詰め寄る。

 うんうんっ! 気になる気になる!! と、男子どもの心の声が聞こえてくる。

 蝶梨は女子たちの勢いにやや気圧されながら、困ったように眉を寄せる。



「なんでそんなに食い付くの?」

「だって蝶梨ちゃんの恋バナだよ?! 誰もが憧れる超絶美人がどんな人を理想としているのか、気にならない人間なんていないよ!」



 そうだそうだ! と、男子どもの心の(以下略)。

 明らかに気乗りしない様子の蝶梨に、女子の内の一人──明るいお調子者キャラな浪川なみかわ結衣ゆいが、うるうると瞳を潤ませ、



「あたしはただ、大事なお友だちである蝶梨ちゃんと恋バナがしたいだけなの。ね、ちょっとだけ。ちょっとだけでいいから教えて?」



 顎に手を当てながら、甘えるように言うので……

 蝶梨は、観念したように小さくため息をつく。



「……そうね。強いて言うなら……」

「言うなら……?」



 ゴクリッ。

 と、結衣だけでなく他の女子も、男子も、汰一も喉を鳴らす。

 教室中が答えを待つ中、蝶梨は…………


 髪を耳にかけながら、凛とした声音で真っ直ぐに答えた。





「── 道義心どうぎしんがあって、礼節を重んじる人……かな」





 瞬間、女子たちは「どうぎしん……?」と首を傾げ、男子たちは「れいせつ」の意味をスマホで調べ始める。


 汰一はと言えば……

 彼女らしい芯の通った答えが聞くことができ、嬉しいような安堵したような気持ちになっていた。



 女子たちが頭に疑問符を浮かべる中、浪川結衣は自身のショートヘアをガシガシと掻きむしり、



「もーっ、難しい言葉使われるとわかんないよ! つまりはどういうこと?!」

「優しくて真面目な人ってことよ」

「何それ、フツーじゃん!!」

「その『普通』が、一番難しいと思わない?」

「うっ……モテ女な蝶梨ちゃんが言うと、重みが違うね……」

「そういう結衣はどうなの? いきなり『恋バナしたい』だなんて……まさか、好きな人ができたのは結衣の方だったりして」



 スッと目を細めながら、蝶梨が指摘する。

 それに、「ぎくっ」と身体を震わせる結衣。

 女子たちは新たな獲物を見つけたと言わんばかりに目を光らせ、「誰?!」「いつから?!」と結衣に集中砲火を喰らわせる。


 ぎゃあぎゃあ騒ぐ女子の中で、蝶梨は……口元を僅かに緩ませ、笑っていた。


 その横顔を、汰一が密かに眺めていると、



「ごめーん、彩岐さんいるー?」


 

 そんな声と共に、二年E組の引き戸がガラッと開く。

 現れたのは、隣のクラスの女子二名だ。確か陸上部だったか、と汰一は朧げな記憶を辿る。


 名前を呼ばれ、蝶梨は席を立ち二人の元へ向かう。

 二人は申し訳なさそうに手を合わせて、



「ごめんね、お昼食べてる時に」

「大丈夫。どうしたの?」

「こないだ相談した、陸部の雨の日の練習場所なんだけど、どうなりそうかな? もうすぐ梅雨時だし、なるべく早く場所を確保したくて……」



 どうやら生徒会役員である蝶梨に部活の件で相談を持ちかけていたようだ。

 不安げな顔で尋ねる二人に、蝶梨は落ち着いた声で答える。



「その件なら、今日か明日には結論が出ると思う。生徒会の役員会議では、第一体育館のエントランスホールを解放する案で可決されたから、昨日先生方に申請書類を提出したの」

「本当?!」

「うん。正式に許可が降りれば、その日から使用が可能になる。先生方から返答をもらったらすぐに伝えるから、安心して」

「さっすが彩岐さん、仕事早くて助かるー! ありがとう! 結果がわかったら教えてね!」



 陸上部の女子二人は手を振って、嬉しそうに去って行った。

 その様子を見ていた教室内の女子は、うっとりと嘆息する。



「やっぱ蝶梨ちゃんてかっこいいわ……デキる女って感じ」

「うんうん。背高くて落ち着いてて、頭もいいし、頼りになるよねぇ」

「きっと恋愛観もオトナなんだろうなぁ……だから簡単に付き合ったりしないんだよ」



 などと口々に話す女子たちの元に、「何の話?」と戻って来る蝶梨。

 スカートの裾を押さえ、髪を耳にかけながら椅子に座る優美な姿に……



 ……嗚呼、やっぱり遠い存在だな。



 と。

 汰一は唐揚げの最後の一口を頬張り、弁当の蓋をパタンと閉めた。


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