第3話 見習い魔女は気にしない

 忙しい。目が回る忙しさとはまさにこのこと。私は次々と押し寄せるお客様のお相手に死に物狂いで手と目と頭を働かせている。


 「も、申し訳ありません」


 遅いと言われても……でもちょっと待って。お願い、今やってるから、考えてるから、計算してるから!


 既に頭は焼ききれそうなのに、こんなので最後までもつのだろうか。うぅ、計算が得意とか言うんじゃなかった。




 遡ること一時間――


 私たちは旧水底駅に着いたはいいけれど、思ったとおりびしょ濡れになってしまった。居心地が悪くなったのだろう、シラーが胸から飛び出して肩に戻る。


 見た感じ、田舎の方にある普通のJRR駅と同じ作りをした旧水底駅。違和感といえば駅の線路に溢れるまでお客がごった返していることと、そお客が人間ではないこと。


 普通に生活していれば、この世界で人間以外の人間っぽい種族に出会うことはあまりない。まあ私は常日頃から見ているけど。


「しっかし、轢かれても文句言えないなあれ」

「白緑、口調」


 お客の波に呑み込まれないように関係者用の出入口へ向かう。一応入る前に軽く髪の毛を絞っていると、ベリーもずぶ濡れを嫌って全身を捻り自らを脱水し始めた。そんなもんだから、捻りに巻き決まれた私の二の腕部分がつねられたようになってしまった。


「早かったですね」


 どこかに監視カメラでも付いていたのだろうか。ベリーに文句を言っていると出入口のドアからJRRの制服を着たお兄さんが出てきた。


 どうしたことだろう、私たち以上にずぶ濡れじゃないか。シャツが透け透けだ。


 でもまずは笑顔と挨拶。外国でパン屋を間借りしてお届け物屋をしている、かの先輩魔女も言っていたではないか。『笑顔よ、第一印象を良くしなきゃ』と。


「この度は見習い魔女にもかかわらず――」

「ああ、そういうのはいいです竜胆さん。僕は駅長の上原です。取りあえず中へ」


 はぅぅ。まさかの大撃沈だわ。先輩のような警察沙汰の大失敗はしなかったけれど、まあまあイケメンのお兄さんに冷たくされて私の自尊心はズタズタ。ああ、なんてこともう働く気力が起きないわ。よよよ……。


「おい、勝手に人の心気持ちを捏造するんじゃない」


 上原さんに聞こえないよう、ふざけるベリーに抗議する。


『別にいいじゃんか~』

「白緑、口調を」


 まったくベリーめ。貴重な魔力の無駄遣いをしやがって。ほぼゼロとはいえ、お前の言葉を理解するのだって魔力が必要なんだからな。


 おまけにシラーにまた口調を注意されるし。首を突つくから痛いんだ。それにあんなことくらいでへこたれる私じゃないっての。いったい何十年見習い魔女をやってると思ってるんだよ。


「ご覧になったと思いますが、とにかく忙しくて。汗を拭く暇もないんですよ」


 斜め前を歩く上原さんが私を見て笑顔になる……え、待って。そのずぶ濡れ具合は汗のせいなの? 


 いやいやきっと冗談だろうが、万が一事実ならだいぶ引く。けれど私は大人だから、当たり障りのない究極の愛想笑いを浮かべて、ちょっぴり話題を変えてみせる。


「噂には聞いてましたけど、凄い数が押し寄せるんですね。驚きました」


 でも一応、上原さんから滴る液体がかからないよう微かな距離をとる。


「ええ、今年は特にですよ。なにせ名物の新年水溜まり弁当のいくつかにランダムであの竜胆紫様の護符が入ってますからね」

「母の護符が!?」

「はい。お陰様で売上は例年の十倍と予想されます。僕の新年出勤手当ては歩合制ですから。本当にありがたいことですよ」


 ううう、おそらく私に仕事を回してくれるための条件だったのだろう。母よありがとう。あなたは本当の親よりも偉大であらせられる……チッ。


 おっと、つい頭に浮かんだちゃらんぽらんな親父と、にっくき緑色のちんちくりんの顔に舌打ちをしてしまった。


「さて、今回お願いするお仕事なんですが、竜胆さん計算は得意ですか? まあ得意でなくとも得意になってもらうしかないんですが……」

「計算ですか? あ、もしかして調合材料の分量だったり在庫の管理のための?」

「いいえいいえ。まじないや調合担当の数は揃ってるんで大丈夫です。お願いしたいのはレジ係です」


 レ、レジ係……ふふ、ふふふふ。


 分かっていたではないか白緑よ。私は見習い魔女なんだから調合を任されるなんて夢のまた夢。妖力を扱えないのだから仕方がない。


 落胆してないといえば嘘になるが、こういう時でもめげないための素敵な呪文を私は知っている。


「白緑は歯車。社会の歯車。皆もそう。役に立つ歯車。動いているうちは唯一無二の素敵な歯車。代わりのことは考えない愚直な社会の歯車……」


 どうやらシラーも同じ呪文を知っていたらしい。耳元で囁いてくれたから私の唱える手間が省けた。まったく気が利くことですこと、私の執事ペンギン様は!


「計算は得意な方です。魔女の基本だと、あやかしの算盤と夜の天秤は叩き込まれましたので」

「それは心強い。ではさっそくお願いします。僕が隣に付きますんで、分からないことはなんでも聞いてください」


 それは助かるんだけれど、隣に立った上原さんはどういうわけかシャツの第三ボタンまで外し、爽やかに笑いかけてきた。


 そして冒頭に戻る。


 私は死に物狂いで働いていた。押し寄せるお客様方は人間ではない。つまり、基本的にお金で支払ったりはしないのだ。物々交換。各々が新年水溜まり弁当と同価値と考える物を出してくる。


 レジ係はその価値を正確に計り、過不足なくきちんと処理しなければならない。


 妖力が込められた物は、あやかしの算盤か夜の天秤で計算できるからいい。速攻暗算できるし、見ただけで判断がつく場合も多い。お釣にするJRRの切符だったり、他のお客様が差し出した物をパパッと渡せる。


 霊力のこもったものもまだ優しい。あやかしの算盤と夜の天秤の逆を考えてやればいいのだ。


 しかし、問題はそれ以外のもの。


 どう見ても道端で拾ってきたであろうひん曲がった何かの鍵や、動物虐待を思わせる謎の生暖かい尻尾、この世界ではゴミ同然の魔力を宿した私には喉から手が出るほど欲しい宝もの等々。


 難易度が一気に跳ね上がる。


 レジ係用のPCに過去のデータを纏めた換算表なるものがあるにはあるが、検索をかけても曲がった鍵や生暖かい尻尾だけで一億以上もヒットする。まったく同じものかを特定する絞りこみだけで一苦労だ。


 もしどれにも当てはまらなければ、別の作業へと移行する羽目になる。


 そして更なる混乱を招くのは、神の使いや神様が差し出すもの。込められた妖力や霊力の量も、物自体の価値ももれなく桁外れ。どうしてお弁当一個に対してタワマンの上層フロアを買い占めできるような物を差し出すのか。


 お釣が足りるわけがない。


 隣にいる上原さんに指示を仰ぐも、第一級特殊切符を発券しろ。JRR新神輿の極楽黄金車の往復切符を発券しろ。といった、習っていないし、存在を聞いたことすらない切符の発券業務を振られるだけ。


 それらはどうしようもないから別のJRR職員さんへ投げる。というより叫ぶと駆けつけてくれる。


 あと意外に困るのが外国のお金。毎年、新年水溜まり弁当を買いに来ているらしいお客様の中には、気を利かせて人間のお金で支払う方もいる。


 正直に言おう。円ならいい。だがそれ以外は有り難迷惑だコンチクショウ。どこの国の貨幣なのかから調べなくちゃいけない。プントだのドラクマだの言われても知らんて。


「竜胆さんもっと早く!」

「も、申し訳ありません……」


「竜胆さんそれお釣間違うよ! 換算表の六億番のやつ!」

「申し訳ありません」


「竜胆さんそれ――」

「申し訳――」


 日が昇り、まじないや調合担当の魔女たちが巫女や祢宜ネギと交代して数時間。お昼を過ぎた頃にようやく私は終業時間を迎えた。


「いや~、すみませんね。あまりの忙しさで上がり時間をお伝えできなくて。あ、お疲れでしょうから座ったままで大丈夫ですよ」


 控室でぐったりする私の元に、なぜか首からタオルをかけた上半身裸で短パン姿の上原さんが紙袋を持ってやって来た。


 おいおい正気か? ここ女子更衣室だぞ。しかもで入り口はあなたが立ち塞がっているそこだけ。私がちょっとでも叫べば人生終わるってのに……。


「でもギャラの方は色を付けておいたんで。本当、すみませんね。ありがとうございました」


 えへへ、と反省してます感を滲ませた母性本能くすぐる笑顔と、引き締まった筋肉のアピール。


 はは~ん。こいつは小慣れてやがるな。もとから残業させるつもりだったのだろう。年増の見習い魔女だからと甘くみて、整った顔と若い肉体美を見せつければ、のぼせ上がって何も言わないだろうとふんでやがる。


 おそらく、臨時で雇う者にはいつもこうやっているのだろう。


 だがな……ふ、ふははは。残念だったな上原よ。私の本当の姿はお前より遥かにイケメンで肉体も美しい。格、いや次元が違うのだよ愚か者め。貴様も人間にしてはまあまあかもしれないが、その程度じゃあ――


「あ、いえいえ。勉強にもなりましたし、また宜しくお願いいたします」

『ああもう! まだ途中なのに~!』


 喧しいベリーは無視だ無視。


 私はなんと思われようが、また声をかけてもらえればそれで良いのだ。実力のない者がやりたいことを続けるためには、形振なりふりかまっていられないのだから。ちょっとしたセクハラがなんだっていうんだ。最悪、呪いをかけて一生勃たなくしてやれば良いだけのこと。


「それで、竜胆さん。もし良ければなんですが……」


 私の目線と、目の前に来た上原さんのマックスに膨らんだものがピタリと合う。


 おぅ、こいつはもうちょっとしたセクハラではない。


「もし良ければ、もう少し休んでいかれますか?」


 隣に腰かけた上原さんが爽やかに笑う。が、手は私の太ももの上だ。


『ベリーの言うとおりでしたね』

『ひゅ~ぅ、相変わらず男にモテるねぇ~』

「いえ、しっかり休ませていただきましたし、また次回に……ね? では母たちも待っていますので。お先に失礼させていただきます。ギャラ、ありがとうございます」


 形振なりふりかまってられないとは言ったが、まだそれに応じるほど切迫しているわけじゃない。遊びたい盛りの手におイタは駄目よたしなめて立ち上がる。


「そうですか。はい、お疲れ様でした。また是非お願いしますね」


 それから紙袋を受け取って、ゆったり優雅に旧水底駅から飛び立ってみせた。

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